中華料理店
田舎とも都会とも表現できない駅を眺めながら一人佇んでいると、どこからともなく聞こえた音が俺の意識を呼び寄せる。近年あまり耳にしない音だったせいもあるのだろう。腹に響くような重厚な音で、すぐに車だとわかったものの、さすがに目の前でピタリと止まった時は唖然となった。
咄嗟に目を合わせない方が良いと俺は視線を足元に向ける。柄の悪そうな男がじっとこちらを見ていたからだ。開け放った窓に見える顔とハンドルは手を伸ばせば届きそうなほど。つまりは左ハンドル。アメリカの車だと脳が理解した時、「待ったか?」という声に俺は不意に顔を上げた。
「さ…佐藤さん!?」思わず声が上ずった。
それも当然と言えば当然。普段目にする佐藤さんとはあまりにギャップがあったからだ。佐藤さんは同じ会社で働いていて俺より三つ上だと聞かされている。ひょんなことから飯でも行こうと誘われたのだが、互いの家も知らない間柄だったためこうして分かり易い場所で待ち合わせたのだった。
「誰が来たのかと思っちゃいましたよ」
車に乗り込んだ早々、俺は安堵という息を吐き出すように声を掛けた。
「休日はこんな感じが多くてさ」軽快にハンドルを操作しながら佐藤さんはニヤッと笑った。
あちこち穴の開いたジーンズにギラギラと装飾された革ジャン。ツンツンという言葉が相応しい髪から普段横分けにしている佐藤さんを思い浮かべることは到底出来ない。まるで映画のスターのようだ。
「何か食いたいものはあるか?」
「いえ。俺はなんでも」
好き嫌いはないのだと返すと、前から気になっていた店があるのだと町はずれにある中華料理店に車を着けた。昼過ぎの時間帯でも駐車場にはそこそこの車が止まっている。けっこう繁盛しているようだと『東東』という看板を一瞥して佐藤さんの後に続いた。
店内へ足を踏み入れた途端、店主を始めとした視線が一斉にこちらを向くのがわかった。これだけ目立てば当然だろうと俺は苦笑を堪えて案内されたテーブルに着いた。店主がチラとこちらに視線を向けて何か声を張り上げる。何を言っているのかわからない。おそらく中国語でその感じからして働いている女性たちも中国の人だと思われた。
時折炎が厨房で舞い上がる。手も良く動かすが店主はそれに負けず口も動かし、独り言なのか指示なのか、いずれにしてもさっぱりわからない。
「何言ってるんですかね?」
料理を運ぶ女性が見せる苦笑につい前の佐藤さんに声を掛けてみたものの、訊くだけ野暮という顔が返って来ただけだった。
佐藤さんが会社に来たのはちょうど一年前。いわゆる中途採用で俺の方が今の会社では先輩になるが、仕事を離れれば話は別。他愛もない会話をしばらく交わしていると頼んだ料理が運ばれてきた。ちょうどそれを見計らったかに厨房から店主の声が響く。耳にした女性が微妙な笑みを浮かべている。
直後、誰に言うでもなく声を張り上げたのは目の前の佐藤さんだった。
「电影里没有!」
呆気にとられたのは俺だけではなかったようだ。店主も女性もしばしこちらを見たまま呆然としている。それからどのくらい経ってからか、店主が頼んでない料理を持って直々にやって来た。それをテーブルに置くと佐藤さんに何やら照れ臭そうに声を掛けている。佐藤さんは表情そのままに言葉を返す。いずれも中国語らしく俺には理解不能だ。
「サービスだってよ」
小籠包に指を差してからお前も食べろと目で佐藤さんが語る。他の客の手前、この場ではまずいと思った俺はその理由を車に乗り込んでから訊ねた。
「そのド派手な奴は映画スターか訊いてみろって親父が言ったから映画には出てないって答えたんだよ。実は前の会社で三年くらい中国に行ってたことがあってさ」
なるほどそれでと納得しかけたが、不意に別の疑問も湧いた。佐藤さんはそんな俺の表情を読み取ったようだ。
「中国語がわからないだろうって言いたい放題でさ。何を話していたか今から聞かせてやるよ」
そう言ってニヤリと笑うと佐藤さんは車のキーを捻った。
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