この橋の上で

 萬代橋通りと柾谷小路とを結ぶ橋の上に立った私たちは暑い日差しを受けながら、買ったばかりのアイスクリームを頬張っていた。


 眼下の穏やかな流れは信濃川。ここからの眺めがとにかく落ち着いたし好きだった。地元の人たちはこの幾度か架け替えられた橋をどう思ってるのか知らないけれど、私たちはどこか歴史のある佇まいが良いと声を揃えた。


 彼の名は卓也。出身は北海道。そして私は四国の徳島。知り合ったのはこの橋のある新潟の大学。テニスの同好会で何となく話しているうちにお付き合いが始まるという出会いは極ありふれたもの。一年生の終わりの頃だったからかれこれ二年。


 初めて口づけをしたのもこの橋の上だった。橋側灯のオレンジ色が水面に映り込んで奇麗だったのを今でも覚えている。



「卒業してすぐにここで暮らすってわけにはさすがにいかないよな」

「実は私も同じこと考えてた」


 スッと川を眺めていた卓也が顔を向け視線が重なり合う。白いものを付けた口元が上がった。


「いったん家に帰るって約束したし。亜実も同じだったよな?」


 私は黙ったまま首を縦に振った。


「金まで出してもらっていきなり彼女と暮らすなんて言ったら―――」


 そこまで言って卓也はフッと吐きだした。照れ臭く呆れたような息だ。それだけでも意味は理解できた。私の気持ちも全く一緒だったから。


「来年、卒業したらまたこの橋の上で会わないか?」

「来年?」

「そう、来年の今日。同じ時間で」


 私はポケットからスマホを取り出した。


「四時ね」


「ああ。それまで―――」と、卓也はある考えを私に伝えた。


 その言葉に私は戸惑いを浮かべる。


「出来るかしら…」

「俺は我慢する。そして、来年の今日、俺は亜実にあることを告げる」

「あることって?」

「それはここで会った時のお愉しみさ」


 その光景を思い描いているのか、卓也は目を輝かせるように遠くに視線を向けている。語らずとも何か察した私は彼の腕を掴んだ。


 

 卒業後、卓也は親の経営する会社で働き始めた。私も徳島に帰り地元の金融機関に就職。その傍ら家で花嫁修業とばかりに母親とキッチンに並んだ。電話もメールも出来ない寂しさを多少は紛らしてくれたけれど、何度も卓也との約束を破りかけた。スマホを見ては何度も指が画面の近くまで行く。こんな辛い時間を過ごすのなら反対すれば良かった。


―――「一切の連絡を絶つ。その方がドラマティックだろ?」


 卓也との辛い約束もある時期から変わり始めた。私の声が枯れてしまったのだ。酷い声を聞かれなくて良かったと私は毎日喉薬を処方した。県内の病院に行ったのは痰に血が混じるようになってからだった。そして、幾日も泣き続けた。


 私が手術を受けた数日後、あの橋には行けないとLINEを送ろうと思った。何度も打ってはみたものの、最後まで紙飛行機のマークはタッチできなかった。どうせなら会って直接伝えよう。何より一目だけでもと約束した日には二倍以上に感じる腰を上げた。小さいスケッチブックも手にした。


 移動の時間は思いのほか長くこれでもかと私の不安を煽り続けた。引き返そうかとも何度も思った。大きな駅で降り立った私は東大通からあの橋を目指した。足が重いのは照り付ける太陽のせいではない。こんな私を見て卓也はなんと言うだろうか。あの時言ったような言葉が聞けるのだろうか。歩きながら何度も同じことを考え続けた。


 やがて、私の視界に橋が映った。あの日と何一つ変わらない橋。私は自分の足に勇気を送り込む。そして、卓也を見つけた。橋の真ん中あたりに立っていた。こちらを見た気がしたので手を上げようとした時だった。


 私の足と手がピタリと止まった。理由は卓也が手にする白い杖とその仕草だ。周囲の音でも聞くかのように顔を動かし、時々手首のあたりを指でなぞっている。恐る恐ると進んだ足も一定の距離まで。私は目を見張ったままじっと立ち尽くしていた。


「卓也」と口を開いた。だけど誰にも聞こえない。そんな私を卓也は見つけられずにいる。


 ヒールに落ちるいくつもの水滴は何かを悟った印なのか、私は顔を上げるとゆっくり歩き始めた。


 後に仕事中の事故で卓也が両目を失明したということを知った。

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