おはようございます
時刻は十二時十五分。配達帰りに買ったコンビニ弁当を食べ終えた俺は窓を少しばかり開けて煙草に火を点ける。ラジオからはニュースが流れている。あと数分もすればスピーカーから歌番組が聞こえるはずだ。
今日もほぼ時間通り。ラジオに表示された小さな液晶を見て、お約束のごとく俺は靴を脱いで足を開放してやる。と言ったところでこの配送で使う車の運転席は足を延ばせるほど広くはないし、椅子を倒して寝ることも出来ない。それでも昼休憩の定位置は俺にとって居心地の良い場所には違いない。
吸い込んだ煙を窓の隙間に向かって吐き出す。そんな動作も恒例行事の一つだ。中には自家用車で昼寝をする奴もいるし、事務所で本を貪り読む奴もいる。要は人それぞれってことだが、俺はこうして然程広くもない道路沿いに止めた車からぼんやり外を眺めて過ごすことを選んだ。
車窓の向こうには大きな木が見える。何という木なのかはわからない。夏に覆っていたその葉はすっかり落ちていて、当たり前のような光景でも俺に季節を教えてもくれる。スマホに触れるのは数分程度。メッセージを確認するくらいで、煙草を手にしている時間の方が遥かに長い。
二本目の煙草を灰皿にねじ込んだ時だった。視界の左の方からゆっくりと男性が歩いてくる。歩調の様子から足に障害があるように思えた。怪我というよりも脳梗塞とかで不随になったのかもしれない。
リハビリを兼ねた散歩だろうと、俺は車の通りがほとんどない狭い道を進む男性に目を向けていた。高齢者でもないが若くもない。あるいは俺と似たような歳かと思っていると、視線に気付いたのか男性の顔がこちらに向く。その途端、互いの視線が交わった。俺はその威圧するかの目に言葉を感じ取った。
何見てるんだと。知らずに俺の目も険しいものになっていく。だが、それも数秒足らずのことで、いざこざにでもなったら困ると俺は視線を外した。
ちょうどその一週間後だった。やはり同じような時間に男性が俺の車の前をゆっくりと通り過ぎていく。俺はその存在を確認しただけ。男性も何かを察したのか正面を向いた顔は動かなかった。
休み明けの月曜日の朝、少し離れた駐車場に車を止めると俺はいつものように会社まで歩き出した。縮こまるほどではないにしろ、冬の足音を感じさせる気温だ。歩き始めて数秒も経たぬうちに俺の目はある人物を捉えた。川沿いの道をこちらに向かって見覚えのあるリズムで歩いてくる。視線を交錯させた男性だとすぐに気付いた。
歩くスピードを考えるとちょうど小さな橋の手前で鉢合わせになると思ったが、歩調を変えようとも思わなかった。何食わぬ顔でやり過ごせばいい。そう思って男性の顔に視線を運んだ時だ。
「おはようございます」
男性がにこやかに声をあげた。周囲に人はいないし、明らかに男性は俺を見ている。咄嗟に同じように返したが、はたして俺はちゃんと笑っていただろうか。苦手意識でも持っていたのか、あるいはただの偏見だったのか、数秒足らずで渡り終える橋の上で思わず苦笑が漏れた。
俺はゆらゆらと顔を揺らす。五十にもなってと自嘲しながら振り返ると、遠ざかる男性の後姿が見えた。ほんの僅かずつリズムを刻んでいる。心なしその背中が温かく、そして清々しく映った。
きっとまた顔を合わせるだろう。その時は俺が先に声を掛けよう。いや、掛けなければと口角を上げながら強く思った。
もちろん、あの時の見せた男性をも上回る笑顔を添えて。
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