パーフェクト

 水曜日の夜も重いバッグを提げて自動ドアを潜り抜けた。違和感のあった特有の匂いも今はすっかり馴染んで心が落ち着く気がする。混み具合などを一瞥してから受付に向かう。


 そしてセンターの人と笑みで会話を交わす。常連ならではの呼吸がそれだけで感じられる。会員ナンバーを告げると早々にレーン番号を告げられる。今夜も人気のない半分から左側のレーンで二本用意してもらった。


 

 ボウリングを始めたのは三十歳の時だった。それまで全く興味を示さなかったのだが、生涯できるスポーツを探していてこれにたどり着いた。雨でも雪でも出来るのが一番の決め手になった。


 当初はTシャツにジーンズとラフな格好でボールもシューズも借りものだった。スコアは散々たるもので、一人で大汗を掻いていたのを昨日のように覚えている。たかが玉ころがしにとバカにしていた自分はその運動量に浅はかな考えは一転した。


 会員になり靴もボールも買った。100をやっと超えるアベレージは半年もするとめきめきと上昇した。ゲーム数はそれほどでもなかったが、多い時はほぼ毎日通いボーラーの人とも少しずつ話をする間柄になった。


 あれから三年が経過した。


 アベレージも180に達した。


「最近、調子が良いんじゃないですか?」


 ターキーを出したところで隣のレーンで投げている吉田さんに声を掛けられた。


「いや~、ボールとここのレーンが合ってるだけでしょう」


 ボールに付いた油を拭きながら俺は苦笑を浮かべる。


「ピンの飛び方が以前から見ると違いますよね」


 それは言われるまでもなく実感していた。三連発のターキーなどはむしろ当たり前。狙ったスパットもほとんど外さないようになった。


「そろそろ出るんじゃないですか?」


 吉田さんは一カ月前の俺のセミパーフェクトを近くで見ている。そろそろと言うのは300点。つまりはパーフェクトを指している。



「さぁ?」


 曖昧に首を捻っては見たものの、球の走りとピンの弾け具合で何となく予感めいたものは感じていた。


 三ゲーム目も256とハイスコアだ。一度くらいはとボウリングをスポーツで始めたものなら誰しもが思うのではないか。無論、俺もその一人だ。しかし、これが投げても投げても届かない。


 隣のレーンから軽快な音が耳に届く。吉田さんも調子が良いようだ。ボウリング歴も長いこともあって吉田さんは既にパーフェクトを三回も経験している。そのキャリアを感じさせるフォームをじっくりと見てから穴に指を入れる。


 四ゲーム目はターキースタート。吉田さんが隣から手を差しだす。軽くタッチして俺は笑みを浮かべる。それから呼吸を整えスパットを見つめる。ゆっくりとした動作からボールをリリースする。回転を伴ったボールがピンに向かって走っていく。


 スコーン!という音がセンター内に響く。


 9フレームまでストライクを重ねる。ここまでが半分とも言われる。それほど残された10フレームは難しいという意味なのだ。前回も最後の最後でミスをした。緊張のあまり雲の上を歩いているようになり、狙ったスパットも外してしまった。それで295。なんとも中途半端な結果だ。


 落胆したのはもちろんだが、同時に闘志もわいた。週に三回は欠かさずに投げているし、リーグ戦にも参加している。正直、いつ出てもおかしくないと手応えだけは感じ続けている。


 10フレ一投目もピンが飛んだ。


 隣の吉田さんはその成り行きを見届けようと椅子に座って中断している。集中しているのが伝わるのだろう。途中から一切声も掛けなくなっている。息を静かに吐き出す。同じ動作でアプローチに立つ。そしてリリース。二投目もストライクだ。


 ようやく権利をものにしたと思った。投げ終わった途端、肩で大きく息をした。問題はここからだ。チラと横に目を向ける。吉田さんと目が合う。行けると彼は目で訴えた。


 しかし、投げ急いでは前回と同様の結果が待ち受けている気がして、アプローチから一旦降りた俺は目を閉じた。落ち着こう。そう思っても鼓動が早いのがわかる。深呼吸を繰り返してアプローチに立つ。もう一度同じ事をすればと、自分に言い聞かせながら足を踏み出す。


 レーンに接したボールは狙ったスパットの上を通過する。祈るようにボールを目で追った。


 ピンの弾ける音と共に聞こえたのは、吉田さんの「あっ!」という声だった。

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