相談事

 枯れ葉が足元に纏わりつくのをやっと確認できるような時間帯だった。


 俺は青年という言葉が似合う年頃の男性を連れて、とある町はずれにある喫茶店に入った。温かいコーヒーが寒い心とかじかんだ手を解してくれる。青年の名は青木と言った。



「青木君…」とひと言呟いてから俯いた彼に聞かせるように俺は昔を振り返った。


「訪問販売お断りって札があっただろうって、初めて入った家の人に最初に言われてさ。結局、こんにちはだけ言って外に出たっけ。俺も良く見りゃよかったんだろうけど、当時のマネージャーにどこでも入れるようじゃないと一人前にはなれないなんて言われてたからな」


 思わず当時が蘇って苦笑が漏れた。


「すぐに会社に採用され俺も借金抱えてたから是が非でも売らなきゃって意気込んではいたんだけど、飛び込みセールスは予想以上に厳しかったな」


 その言葉に青木君もわずかに口元を緩める。


「そういや水を掛けられたこともあったよ」


 意外なことを聞いたとばかりに青木君が顔をあげた。



「一日百軒くらい回ったけど一向に売れなくてさ。知っての通り完全ノルマ制だから売れなければ給料はゼロだ。でも歩いてれば腹も減る。おかしいだろ。働いているのに金は減っていく。最初はファミレスなんかで食べたりしたけど、しまいにはパン一個とか、飲み物だけなんて日もあって、だんだん歩くのが辛くなってさ。公園にずっと座ってたこともあったよ。結局、一ヶ月何も売れなくて親から金借りてなんとか食いつないだんだけど、さすがにこうなると違う仕事をした方が良いだろうって―――」


 今では懐かしい話なのに脳が辛さを思い出させるのか、コーヒーが妙に苦く感じられる。


「不思議なもんだよな。売れないことが続くと売れないって思うようになる。そうなると玄関のチャイムも押せなくなる。指が動かないんだよ。笑えるだろ?」


 硬い青木君の表情を和らげようとしたのだが、あまり意味はなかったようだ。



「二ヶ月タダ働きして、俺は悟ったよ。もう駄目だとね。最後に一軒回って終わりにしようって。才能がなかったんだってつくづく思い知らされたな」


 暖房で温められた店内には何組かの客の姿があった。どこも笑みがあふれている。そんな光景をあの時の俺も外から眺めたことがあった。きっと妬んだような目をしていただろう。


「最後の家で何を喋ったのかよく覚えてなくてね。でも、一言だけ鮮明に覚えてる言葉があるんだよ」


 青木君が私の顔を見た。



「それ一つ買いますって。耳を疑ったけど、もう動転しちゃってさ。頭下げてたら涙が出ちゃって、おまけに洟は出るわ、セールスマンが聞いて飽きれるって」


 この時ばかりは思わず声を出して笑った。それから傍らに置いたカバンから物を取り出して見せた。


「二ヶ月掛かって売ったのがこれ一個。実質俺のところに入るのは千円。凄い仕事だろ。でもこれは俺に転機を与えた商品だとも思ってる。だからあとで自分で買っていつもこうやってカバンに入れて持ち歩いている」



 信じられないという表情で青木君は数回首を振った。無理もない。今では全国の営業所で俺はトップ3を維持しているのだから。


「無理強いはしない。向き不向きってのもあるからね。一応、店に入る前に聞いた話は明日所長には話しておくけど―――」


 そこで伝票を手に立ち上がると青木君もゆっくりと腰をあげた。外の気温に身体を一旦強張らせた俺は、「次はいい仕事が見つかるといいな」と言って肩をポンと叩いた。



 彼を背に少し歩き出した時だった。



 背後からの声に俺は足を止め振り返る。すると青木君が一言俺に告げる。薄暗かったが声の調子から笑っているようにも見えた。その言葉に俺は右手を軽く挙げて再び歩き出す。心なし俺の身体は少しばかり温かくなったような気がした。


 仕事のことで相談があると言った時の彼の顔は、まさにあの時の俺だ。結論を出すのは彼自身だろうが、苦い昔話を聞かせてやるのも悪くはないはず。俺もそれで思い留まり今があるのだから。



 俺は歩きながら今一度、明日の彼とのやり取りをシミュレーションした。

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