ロード

 笑顔を交えて父親らしく振舞えた。時折、うちの奴とも視線があって俺は口角を上げる。もっと神妙になると長いこと思い続けて来たのだが、何かの流れ作業をこなしているようで、「楽勝だよ」確か昨日はそんな台詞を呟いていた。


 しかし、扉が開いた途端に包み込む厳かな空気は俺を一気に男親に替えてしまった。地面に張り付いたのか、黒い革靴が鉛で出来ているのか、とにかく足が重く感じる。やはり、リハーサルとは違うと口元に力を入れた。


 目の前に続く道は、いつか歩くだろうと思っていたバージンロードか。ゆっくりと半歩前に出た俺は左ひじを軽く曲げる。するとそれを合図に娘の雪乃の手が添えられる。優しくもそれでいて何かを語り掛けてくるようだ。


 流れている音楽を一瞬だけ味わった後は、右足を一歩踏み出す。雪乃もそれに倣う。ここはさすがに親子、息はピッタリだ。ホッと聞こえないように息を吐き出した俺は、目に映る光景に唖然とした。


 参列者が誰一人として見えないのである。


 瞳に映し出されているのは、生まれたばかりの雪乃の姿だった。なるほどこれが意味するところの誕生と人生の始まりなのか。まさか実際に見られるとは思っても居なかったと俺はさらに歩みを進める。


 子宝に恵まれたのはこの雪乃だけだった。だから溺愛と言うくらい可愛がり一緒に遊んだ。保育園に入った頃だろうか、お遊戯している姿が見える。まるで昨日のようだ。甘やかしすぎたなどと思った時期もあったが、年頃になるにつれわがままも少なくなった。


 旗振りでもしているのか、登校班で歩く雪乃が見える。一番前だから班長だろう。六年生にもなると後ろに続く一年生とはだいぶ体の大きさも違うもんだ。靴の踵の僅かな振動が足元から脳まで伝わってくるのがわかる。こんな映像が見えるくらいだ。神経が高ぶっているのだろう。


 一度瞬きをすると雪乃は高校生に変わっていた。白いスカーフと肩まで伸ばした髪を揺らして笑っている。入学式だろうか。さらに阿吽の呼吸で一歩踏み出す。高校生になった頃には、うちの奴とよくキッチンに立っていた。お弁当くらいは自分で作ると得意そうな顔をよくして見せた。


 どことなくそれがうちの奴に似ていて、親子だと思いながらもドキッとしたものだ。短大くらいは行かせようと思っていたが、働くのが好きだったのだろう。


 雪乃は進学せずに県内の企業に就職した。いかにも事務職と言った制服に不満げな顔を浮かべながら、夕食時にはたいていその日にどんなことがあったのかを私たちに報告してくれた。些細な時間でも今となっては何事にも代えがたい貴重な時間だったのかもしれない。


 それからどれくらい経った頃だろうか。


 突然、雪乃は紹介したいからと一人の男性を家に連れて来た。それがお相手となる翔君だった。照れくさそうな雪乃の顔に俺は一抹の寂しさを覚えた。ぎこちない笑顔だったと帰った後に雪乃に言われた。男親とはそんなものなのだろう。


 何度か会ううちに翔君も緊張が和らいだのか、接して見ると明るくて実に優しい心を持った青年だと思った。親御さんの育て方がその人柄からも伺えるようだ。


 その翔君に雪乃を手渡す。


 この時くらいは泣いてもいいだろうと涙腺が俺に語り掛けて来た。準備は整ってると言わんばかりだ。どのくらい歩んだのか、朧気に翔君の姿が視界に映った気がした時、俺の身体がゆらゆら動き始めた。



 次第に映像が薄らいでいき耳元に声が響いた。




「―――あなた」


 口調からして場内のアナウンスではないと思った。俺はゆっくりと目を開ける。瞼がすぐには開かなかった。


「また泣いてたんでしょ?」


 頭を振ろうとしたものの、枕カバーには染みが出来ていた。それ以上うちの奴は訊かなかった。


 病み上がりのような調子で和室に足を踏み入れると俺はじっと遺影を見つめた。


 雪乃とそして隣には翔君と一緒に写した二人の笑顔がある。


 まさか通り魔に二人揃って―――。


 雪乃を…いや二人を返してくれ。何度こんな台詞を口にしただろう。そろそろ命日を迎えるが、犯人逮捕の連絡はいまだ俺の耳には届かない。


 


こんな茨の道ではなく出来るならバージンロードを歩きたかった。

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