聖夜
ドン…ドン…。
意外と神経質なのか小心者なのか、俺の身体はその物音に反応してしまった。
「もぉ~っ!誰ともしてないなんて嘘なんでしょ?」
ベッドに仰向けになった雪乃は俺の目をじっと睨んで口を尖らせた。
「いや…嘘じゃ――」
そう言って視線を落とすと、その言葉を否定するような光景が目に映る。どうしたんだと俺は心の中でぼやいた。するとまたドン…ドン。と壁を叩くような音。耳障りだ。気が散ってしょうがない。
「だいぶ、お隣さんも激しいみたいだな」
体裁の悪さを紛らわすかに俺は苦笑を浮かべる。雪乃の口は相変わらずだったが、心なし目は笑ってくれているようにも見えた。せっかくのイブの夜なのにこれじゃ台無しだ。戦意を失ったようなものを見つめながら俺は数時間前の浮かれた自分を思い出していた。
「だってイブの夜なんて空いてないでしょ?」
雪乃がそういうのも無理はない。予約のとれる高級ホテルならいざ知らず、郊外にあるラブホテルなどはカップルでどこも満員御礼だ。
「実はちょっと穴場なところがあってさ」
「連れ込み旅館みたいなところは嫌よ。せっかくのイブなんだから」
雪乃の不安な表情を消すように掌を左右に振ると俺は愛車のエンジンをスタートさせる。温暖化とは言いながら今年の冬は寒い日が多く、数時間前から雪が舞い始めていた。雪乃はタイヤを心配したが、この程度の雪ならば問題ない。ゆっくり行くからと伝え時折ワイパーを動かす。
一時間ほど走ったところにそのお目当てのホテルはあった。
「な?安っぽくないだろ?」
イメージと違っていたのか、雪乃の顔にも光が射しこむ。入口のところには『空』という緑色のランプが眩しいほどに灯っていた。
「通りから見えづらいし――」
俺はハンドルを慎重に回しながら思いついたことを口にする。本当のことを話せば雪乃は絶対首を縦に振らないと思ったからだ。それは他人から聞いた良からぬ噂だった。あくまで噂だと思うのか、あるいは知らないのか、駐車場には数台の車がナンバープレートを隠すように止まっていた。空いているスペースに車を止め、受付を済ませると四階の部屋に向かった。
薄暗い部屋に照明を灯すと雪乃の顔もパッと明るくなった。
「素敵な部屋!」
ここまでは予定通りだった。
ドン…ドン…。
その音で俺は現実に戻される。と同時に急に怒りが込み上げて来る。俺はベッドから素早く降りてフロントに電話を入れる。
「……え。いや…でも…そうですか」
歯切れの悪い口調になった。気が付くと妙な汗が額から滲んでいた。
「雪乃!か…帰るぞ」
やや強い口調で言うなり俺は服を慌てて着込む。何かを感じ取ったのか雪乃もいそいそと身支度を済ませる。それから手を引くようにエレベーターに向かった。無意識に速足になった。扉が開いたときに俺は口を開いた。
「この階には俺達以外に誰もいないって」
雪乃の目が見開く。ちょうどその時だった。俺達が出てきた隣の部屋の扉がスーッと開く。俺も雪乃も声を殺してそれを見ている。すると中から白い影のようなものが現れこちらにゆっくりと向かって来た。
「な…何?あれ!?」
雪乃は恐怖で震えていた。俺は『閉』のボタンを叩き続ける。扉が閉じる。白い影は目と鼻の先まで来ていた。
車に乗り込むや慌ててホテルから飛び出した。息が荒くなっていた。道路は既に真っ白だった。左右に振られる車を操りながら俺は口を開いた。
「昔、ここで殺人事件があったらしくて――」
雪乃は震えていた。無理もない。でもこれでと言いかけた時、俺はルームミラーを見て「うわ~~っ!」と絶叫しブレーキを蹴とばした。すると車は急に向きを変えグルグル回り始める。
ドンと言う衝撃の後、天と地が入れ替わり、すぐにまた激しい衝撃が身体を襲った。吹き付ける冷気にゆっくり目を開けるとフロントガラスが無いことに気付く。
俺はその先に映るものを凝視しながら雪乃に声を掛けた。
「私は平気よ」
ホッとしかけた俺はすぐさま声に違和感を覚えた。雪乃じゃない。遥か先で横たわってる黒い服こそが雪乃だ。
お前はいったい・・・・。
恐る恐る顔を向けた途端、俺の身体はさらに氷つき、視界が白一色に包まれた。
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