小説

 面接をしてくれたのは常務の桜井と言う男性だった。履歴書を眺めた後で俺の目を見つめるようにして口角を上げる。経歴には問題はなさそうだと呟いたが、履歴書を見たのは一瞥に近い。そのため桜井さんの浮かべる笑いには何かが隠されているような気がした。


 数日後、俺は真新しい作業服に袖を通して、先輩社員と共に配送の仕事で顧客を回った。欠員からの急募が出されていたのだが、その理由を運転席の塩田さんがぽつりぽつりと喋り出した。


「このエリアの運転手が続かなくてね。長くても三ケ月さ」


 言い辛そうな表情から適当に相槌を打っていると、問題はこれから行くところだとハンドルを右に切った。


「また運転手辞めたの?」


 呆れたような顔で検収に当たったのは、その会社の常務だという女性で、体格のいい男どもを向こうに回す存在感を漂わせている。眼光も鋭く威圧感で思わず足が数歩下がるようだ。


 米つきバッタにも似た塩田さんのマネをして難なくその日は終わったが、一人で納品に出向くと彼女の迫力はさらに凄みを増した。


「そんな荷物でいつまで時間掛けてるの!サボってるって会社に電話するわよ!」


 恰幅の良い体型からか声も下手な男よりも通る。ちょうどその時電話を知らせるアナウンスが流れ、彼女は肩を揺らしながら事務所に向かって行った。その隙を見てその会社の集荷担当の男性社員が手刀を切るようにして話しかけてきた。


「パワハラを絵に描いたような人でしょ?もっとも常務が書いてるのは小説だっていう話らしいですが、投稿しても鳴かず飛ばずで、最近はそのせいもあってか機嫌が一段と悪くてね」


「小説なんて凄いですね」


「いや~、入選もしないんだから素人作文みたいなものじゃないですか」


 言い終えるなり男性は帽子を素早く取って頭を下げた。気配でも感じ取ったのだろう。視界の中に大柄な女性が映りこんだ。


「あんた、まだ居たの?」その声に俺も素早く車に乗ってエンジンを掛けた。


 二週間ほどした夕方、帰り支度をしていると桜井さんに声を掛けられた。


「どうですかね?仕事の方は?」当たり障りのない口調だったが、内容は徐々に例の会社の話に変わった。


「本来なら取引を止めたいところなんだけどね。一番のお得意様だから始末が悪くて。知っての通り他にも運転手はいるんだけど、あそこを担当するなら辞めるって言われちゃっててね」


 それも当然だろうと思ったものの、口には出さなかった。配送はほぼ毎日のペースであった。見慣れたはずだが笑顔の一つも労いの言葉も無かった。


「ダラダラしないで!日が暮れるわよ」

「仕事も遅いわりに汗ばかり掻いて!汗臭いわよ!」


 一ケ月で辞めたという前の運転手は軽い鬱になったそうだ。言われてみればなるほどと頷ける。


 ある日のこと、珍しいことを訊かれた。

「あんた、本は読む?」

「いえ」と答え終わる前に常務は鼻で笑い、お呼びじゃないと追い払うように掌を振った。


 時にはお愛想も必要なのかと、

「ちょっと小耳に挟んだんですが、小説を書かれてるとか?」


「あ~、うちの馬鹿社員だね。そのうち本でも出してなんて考えてるんだけど、あんた新聞は?」


 すべてじゃないが、目を通していると話すと、「あそこに小説のコーナーがあるでしょ。あれによく出してるのよ」


「じゃ、もしかしたら何度か読んでるのかもしれませんね」


 作り笑顔で答えると常務は眉根を寄せ、「それって嫌味?」と俺の目を睨んだ。


「でもそれなら知ってるでしょ。先月に載った『バラの香りは恋の香り』」


 黙って二回頷くと、「あのサルビアってペンネームの彼女凄いわよね。何度も掲載されてて素人の領域を超えてると思わない?」


「いや…それほどでも――」


「え?あんたにはわからないの?もっとも男性じゃ無理かしらね」


 常務は呆れたとばかりに顔を左右に振った。


「でもそう言っていただけるのは書いた方としても光栄です。ありがとうございます」


 俺の言葉が余程意外だったのか、しばらく呆然として何かを考えていた。


「もしかしてあんた…いえ、サルビアって?」

 俺は照れ臭そうに頭を掻いた。


「ええ。俺のペンネームなんですよ」


 以来、常務の態度は一転。俺を配置換えしたら取引停止するという電話があったと、桜井さんは疑問と喜びに満ちた表情で俺を見た。

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