ディザスター

 高速で移動する美しい景色を私は瞳の中に映し込んでいる。そしてスローモーションのように流れる鮮やかな絵巻をすべて記憶に留めようと努めた。瞬きする時間すら惜しかった。と同時に船内で活動を共にしたジョンソン氏の言葉を反芻していた。


(悲観しなくていい。すべてが終わるわけじゃない)


 確かそんな言葉だった。それから私は時計に目を移す。協定世界時であと一時間。これが食事までの待ち時間ならどれほど良かっただろうかと思った。思わず視線を下げると肩に重みを感じてゆっくりと顔を向ける。


 ロシア人技師のイヴァンがそこにいた。


「地球は青かったは永遠だと思ってたんだけどな」


 彼は力なくそう言って私を見つめた。青い目は濡れていた。地上から約四百キロ上空を時速二万八千キロ弱で移動しているのがまるで嘘のように感じてしまう。どうせならこれからのことも嘘だと誰かに言ってほしかった。


「当初の運用期間を先延ばしにしたのはこういう思惑があったからなんでしょうか?」


「俺も詳しくは聞かされていないが恐らくそう考えるのが妥当なところだろう。そもそも急に手を取り合ってこのステーションを作るって知った時から疑問を持ってたんだ」


「つまりはその時にはもう・・・・」


 私の問いかけに彼はわからないとばかりに首を振った。あるいは答えられないという表現かもしれない。


「今、わかってるのは船内にいるクルー。つまり俺たち六人は助かる確率が大きいということだ。ただし」と言葉を濁した。


 意味は訊かずとも把握できた。恐竜を絶滅させた要因ともいわれるチクシュルーブ隕石の直径が約十五キロ。今回ディザスターと名付けられた隕石はそれよりも小さいが、おおよそ十キロはあると推測される。せめてもの希望はそれを迎撃する文明があるということだろう。


 国際会議で核を搭載したロケットを対象物に向けて発射する案も決議され既に準備は整っている。計画に参加したのはアメリカとロシア、そして中国だった。


「地球への被害と上空での核爆発を天秤にかけたってわけだな。でもきっとアメリカがやってくれる」そう力強く言って歩み寄ってきたのはアメリカの技師であるジョンソンだった。


 私は彼を見ながら頷いて親指を立てた。だが、彼の表情は言葉と裏腹にさえなかった。


「成功は間違いないと言っても問題は山積みだ。予定ではステーションより百キロ上になる。搭載される弾頭が如何ほどのものかは詳しく知らされていないが、間違いなくここにも影響はある。それは荷電粒子が大気中の分子と衝突して人工的なオーロラが見えるなんてロマンティックな話じゃない」


「つまりは爆発に伴う電磁パルスの影響ってことか」イヴァンがそう呟くと、


「その程度で終わればいいのだが…」とジョンソンは左右に首を振った。


 仮にステーション自体が無傷であったとしても、今後は違った任務を遂行することになる。それは宇宙から見た地球の経過観察である。まさかこんな任務を担う日が来るとは。きっとクルー全員が同じことを思っているに違いない。それから間もなく二人の元へフランスの研究者が顔を見せた。レモンドだ。


「マツムラ、イヴァン」と声を掛けた後でこう続けた。


「あと三十分だ」つまりはあと地球を三分の一周する時間である。


 地球上では暴動やパニックが起こったと聞く。フェイクニュースだと国際的に封じ込めようとしたが、ネット社会の今では情報源までは抑え込むのは不可能だ。


「レモンド。生命維持装置に問題は?」私が尋ねると彼は何事もないように首を振ったが、表情はけっして明るくはなかった。


「迎撃が成功したとしてもその隕石の欠片がどの程度になるのかが問題だ。うまいこと大気圏で燃え尽きてくれればいいが、衛星のように地球上を漂うことになると厄介だな」


 リスクは地上も上空も一緒ということなのだろう。


「念のため、窓は装甲シールドで覆っておいた方がいいだろう。それとクルーもなるべく近いところに集まった方がいい」


 すでに思いは通じているのか、話している途中でロシアのユーリとカリフォルニア出身のスティーブンが姿を見せた。誰もが覚悟は出来ている。そう思った直後、迎撃ミサイルの発射を知らせる連絡が地球から届き、クルーの表情に一層の緊張が漲る。


 三か国が予定した時刻に発射したとのこと。何かすべきことは無いかと思いつつも、私は時刻に目をやった後で知らぬ間に手を合わせていた。

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