クシャクシャ

 その知らせを耳にしたのは突然でした。


 あまりに突然で何を聞いてるのかも理解出来なくて。頭が真っ白ってあんな状態のことを言うんでしょうね。


 お父さんが亡くなった。


 確かそんなことを聞いたと思います。掛かって来たのは病院からでした。それから仕事を早退してタクシーに乗って。あとは何がなんだか・・・・。


 お葬式も身内だけで地味なものでしたが、私はそれでも十分だと思いました。正直、良い父親ではなかったからです。暴力こそ振るわなかったけど、仕事らしい仕事はしていない。黙って朝出て行く先も競艇場。新聞みたいなものを持って赤いペンを耳の上に差して。何度か目にしたことあるけど、呆れて文句も出なかった。


―――「もともと心臓に持病があったようですね」


 病院の先生からそう言われた私は、「はぁ」としか言えませんでした。そもそも会話らしい会話がないんです。お母さんが亡くなったのは高校の卒業式の前日。卒業式の翌日には長年勤めた会社をリストラされた父親。悪いことは重なるって本当ですね。


 毎日ゴロゴロしてた父親が出掛けるようになったので、仕事でも見つかったと思ったら期待外れ。いつも手には赤く競艇と書かれた新聞を持っていました。


 このままじゃ家賃も払えなくなると思って、卒業と同時に働き始めた。それで家賃と水道光熱費。他にもいろいろある。だから稼いだお金は右から左で貯金なんか出来ません。一応これでも年頃の娘だからお化粧くらいしないと仕事にも行けないって思ってみたところで、足を運ぶのは市外の百円ショップ。レジに並ぶときはいつも俯き加減です。



―――「また競艇行くの?」

「あ・・・ちょっと」



 それが父親との最後の会話でした。手元には例の新聞が握られていました。私の涙腺もきっと無口になっちゃったんでしょうね。お葬式の時も涙が出なかった。姉妹もいないから親戚のおばさんなんかは労ってくれて。そういえば後で話があるなんて言ってたけど、喪主で慌ただしかったからすっかり忘れちゃって、気が付いたらスリップ一枚の姿で部屋で横になってた。



「急性心不全です」


 病院の先生の言葉が蘇って来る。


「働き過ぎってことはなかったでしょうか?」


 私は有り得ないと即座にかぶりを振る。咄嗟に思ったのは競艇場でなくて良かったということくらい。倒れた場所を考えると恐らくそこから家に帰る途中なんだろうと思いました。これも遺品なのかと持ち帰った新聞はクシャクシャでした。こんなになるまでと、呆れて捨てようと思った時、私は「あれっ?」って思わず声を上げました。良く見るとそれは一年前の日付の物でした。


 携帯が鳴り出したのはそんな時でした。



「あっ、みゆきちゃん。お父さんのことで話があるんだけど───」


 そういえばと私はお葬式の時のことを思い出し、じっとおばさんの話をただ聞いていました。けれど次第に目が大きくなるのを感じました。


「仕事・・・・?」


「そう。お父さん実は仕事しててね。だけど日雇いでカッコ悪いから、みゆきには黙っててくれって」


 聞きながら何か話そうと口を開けましたが、言葉にはなりませんでした。


「それ以外にもアルバイトみたいなのもしててね。もし俺に何かあったらって通帳も預かってるのよ・・・・・もしもし・・・・聞いてる?」


 見慣れない男の人と女の人が来たのはその翌日でした。


 整った身なりから借金取りじゃないとすぐにわかりましたが、差し出された名刺に心当たりはありません。


「今でいうサプライズってことなんでしょうね。お父様から本日お届けにあがるよう仰せつかりましたもので」


 にこやかに話す男性はそう言い終えるなり女性が抱えるものに一度視線を移し、



「来年、御成人式だそうで。おめでとうございます」と二人は丁寧に腰を折った。


 ボーっと見ていた瞳に生気でも宿ったのか、突然、ダムでも決壊したように涙が溢れ出てきました。言葉にもならない声を必死に手で押さえてはみたものの、その時の顔はきっとあの新聞のようだったに違いありません。

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