キャプテン(P編)

 さすがに強豪校のクリーンナップだ。打球の速さはうちのチームの比じゃない。もう少しコースでも甘かったらスタンドへ運ばれていたかもしれない。甲高い金属音を耳にした時は一瞬、変な汗が重なるようだった。


 それでも九回裏だ。おまけにツーアウト。目の前に甲子園が迫ったからか、あまり味わったことのない鼓動を感じる。ここまではとりあえず何とか失点を抑えてきた。はっきり言って甲子園の常連校相手にゼロは上出来だ。ただ、ランナーは二塁と三塁。一打サヨナラの状況だ。相手チームの声援とブラバンの音がやけに耳につく。


「勝てるぞー」という声が聞こえる。


 落ち着け。俺は自分にそう言い聞かせ、バッターボックスを見つめる。


 五番バッター。こいつも振りが良い。うちのチームなら間違いなく四番だろう。

 

 ミットの中で揺れるサインを見てからゆっくりと振りかぶる。出来るだけ力を抜く。白球は狙い通りに外角高めに一直線。球審の手が上がる。まずはワンストライク。同時に我が校から悲鳴のような歓声。返球されたボールの感触を確かめるようにして落ち着かせる。


「打たしてけーっ!」


 俺の耳にキャプテンの声が届く。いつも俺に安心感を与える力強い声だ。俺は軽く頷く。キャッチャーの安井からのサインを見て二球目を投じる。ただ、今回はちょっと力んだのか球が浮いた。判定はボール。返球の際、安井が大袈裟に肩を揺らす。わかってるよと俺は右手で応える。


 キャプテンの黒田さんは、「お前を甲子園に連れて行ってやる」って声を掛けてくれた。その一言がどれだけ大きかったか例えるものが思いつかない。三年生のピッチャーが二人も居るのに二年生の俺を抜擢してくれたこともそうだ。


 本当は「俺が黒田さんを連れて行きます」って言いたかった。もちろんそう言わせるほどの自信も少しばかりある。球速はチームで一番だし、スライダーは滅多には打たれない。それが安井に伝わったのか、三球目はそれを要求している。


 わかったとミットめがけて放る。バッターはそれを食い入るように見つめる。ストライクという声と一緒に右手が上がる。やんやの喝さいが起こる。


 あと一つ。あの夢に見た球場がぼんやりと浮かんで来る。行くぞ!俺は気合を入れる。そして四球目。ゆっくり振りかぶり鞭のように腕を振る。先程とほぼ同じコースに得意のスライダーが行く。左側に立つバッターが反応する。打ちに来た。しかし、キレが勝ったのか単純なゴロだ。その行方を見て俺は両手を上げる準備をした。


 白球は真っ直ぐ黒田さんの方へ向かっていったからだ。公式戦以外でもエラーを見た覚えがない。皆でよくゴールデングラブ賞と褒め称えたものだ。


 甲子園行きの切符。それを決定づけるグラブさばきを記憶に留めよう俺は瞬きもせずに見つめた。直後、俺の目は大きく見開いた。


 夢か幻か。一瞬、頭の中が真っ白になってしまった。我に返り慌ててホーム方向へと走る。途中、黒田さんを振り返って見た。そこだけ時間が止まってるようだった。


 転々と転がった球をセンターの石川が捕る。レフトの北島も捕れただろうが、肩は石川の方が強い。咄嗟に判断したのだろう。一点取られても同点。負けたわけじゃない。それでも二塁ランナーは俊足を飛ばし、すでにサードとホームの中間を過ぎている。石川が自慢の強肩で矢のような筋を描く。まるでこの状況下でも音が聞こえてくるようだ。


 安井のミットに吸い込まれるようにボールが走る。補給するや安井は身体を捻る。ランナーにミットが触れる。俺は主審をじっと見つめる。息をするのも忘れそうだった。記憶することも放棄したのか、それからのことは不思議と思い出せなかった。


 監督の話を聞く。泣いてる先輩も多かった。でも黒田さんは泣いてなかった。全員野球。それが耳に響いた。もちろん俺は黒田さんを責めたりはしない。そもそも俺が打たれなければ良かった話だ。五番まで回した。それが敗因じゃないか。


 一回りも小さく見える黒田さんに「キャプテン」と声を掛けたのは監督の存在が消えてどのくらい経ったあとか。黒田さんの無念を思うと涙が零れそうになったが、俺はあえて笑おうと思った。


 野球の楽しさを教えてくれた感謝の意でもあった。そしてこう声を張った。


「先輩の無念は俺が来年晴らします!」


 その声に黒田さんは唇の片方を上げ一言呟いた。


「ありがとう。佐藤、次はお前がキャプテンだ」

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