キャプテン(S編)
九回裏。
燦々と降り注ぐ太陽が晴れの決勝の舞台を照らしている。
暑い。
すり鉢状の球場は熱の逃げ道もないのか、練習で鍛えた俺たちですら禁句の一言を発してしまいそうだ。あと一回。嫌、ツーアウトまで来ているのだから残すはアウトあと一つ。
対戦相手は甲子園の常連校。負けて元々とは言え、皆が口々に言った奇跡が起ころうとしている。なんとここまで一対ゼロで勝っているのだ。ただし、疲れで球が甘くなったところを連打され、ランナーは二塁三塁。状況は決して良くは無い。
ピッチャーの佐藤も肩で息をしているのがわかる。彼は二年生だ。
お前を甲子園に連れて行く。キャプテンの俺はことあるごとにそう言って部員たちと自分を鼓舞してきた。予選の二、三戦は然程注目もされなかったが、まぐれがだんだん奇蹟に変わろうとしてきたため、父兄や教師も浮足立った。甲子園出場となれば学校始まって以来の快挙だから無理もない。それもほぼ無名の進学校だからなおさらだ。
ブラバンの音が一段と増す。悲鳴にも似た女生徒の声。その中に響くだみ声。自分の学校なのか相手の学校なのか、音が反響してわけがわからない。
額の汗を袖で拭う。佐藤をジッと見つめる。柔らかいフォームから白球が放たれる。外角高め。球審の通る声と同時に右手が上がる。連投ながらまだ余力がありそうだ。球のキレは悪くない。キャッチャーから返球される。スルスルッと二人のランナーが足を進める。俺はそんな二人を左右の目で捉えている。
「打たしてけーっ!」
俺は佐藤に向かって声を張り上げる。佐藤も頷く。その後、ランナーに目配せしてから二球目を放る。キャッチャーの手が伸びる。外角高めのボール。やや力んだかキャッチャーの安井が両肩を大袈裟に揺らす。
―――「黒田君。垂れ幕が出来上がったよ」
「垂れ幕?」
「そう、甲子園初出場を知らせるやつだ」
担任の先生から伝えられた言葉に俺は目を細めて笑った。
やるしかない。他人は奇跡だなんていうが、ピッチャーの佐藤はそれを実現させるものを持っていると俺に感じさせた。スライダーのキレも抜群だし、何より天性のスピードがある。キャッチャーの安井も二年だが、類まれな強肩と瞬時の判断力はキャプテンの俺をも唸らせるほどだ。
バッターがボックスを外す。一番二番はあっさりと抑えた。しかし、そこはさすがに強豪校。三番、四番と痛打されて一気に流れが相手に傾いた。もちろん、ここまでの道のりでなんどもそんなことはあった。ただ違っているのは決勝の舞台だということだ。
監督に目を移す。それから相手校の監督にもチラッと目を向ける。どんな作戦で来るのか。スクイズは無いだろう。ツーアウトだ。ふと、優勝の場面が頭を過る。
三球目が放たれる。佐藤得意のスライダーが真ん中から内角に落ちる。バッターは見送った。判定はストライク。どっと歓声が沸く。佐藤も大きく息を吐き出し返球を受け取った。そして、四球目。同じようなラインでスライダーが落ちて行く。五番バッターがスイングする。打ち損じだ。歓声と悲鳴が交錯する。何も聞こえない。
「来い!来い!」
俺の願いが通じたのか白球は砂煙を纏わせながらショートへと向かってくる。俺はグラブを下げながら前進する。まるで無の境地だ。不思議と音が一切聞こえずすべてがスローモーションのように映る。ゆっくりと腰を下ろす。グラブを差し出す。ズシッとした手ごたえを感じる。
入った。すぐさま右手で球を握って投げの姿勢に入る。焦ってはダメだ。こんなところで暴投は有り得ない。それからファーストのミット目がけて一直線に投げる。決まった。その時、ようやく凄まじい音が耳に届いた。
大歓声だ。大袈裟に言えば隣町まで聞こえたのではないだろうか。
甲子園だ。
俺は両手を広げて佐藤のところへ走り出そうとした。しかし、その佐藤の姿が無い。なぜだと辺りを伺うと佐藤はホームベースの方に居た。気の早い奴だと思って何気に振り返ると転々と転がって行く何かをセンターとレフトが追いかけている。
あれはなんだ。白いもの。
そこから先の記憶はほとんどなく気が付くと部室の中で丸まっていた。全員の責任と監督は慰めてくれたが俺の耳には届かなかった。まさかのトンネル。信じられなかった。
「キャプテン」と声を掛けられたのはその時だった。
見上げると佐藤が立っていた。
心無し笑った顔で、「先輩の無念は俺が来年晴らします」と言った。
力強い言葉にその夢と一緒にキャプテンの椅子を彼に譲る事を決めた。
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