小さな道案内

「なにしてるの~~?」


 突然呼び覚ますかの声に目を開けると、朧げな記憶にも似た視線の先には少女が一人。ポツンと花を手にして立っている。そうだ。今日は部活でこれでもかって走らされて一休みしようって座ったんだった。それでどうやらうたた寝してしまったらしいが、それを四つくらいの子に説明したところでと、咄嗟に思いついた台詞を零す。


「あ・・ちょっと目を瞑ってたんだよ」


「ふ~ん。ねむくなっちゃったん」


 起き上がって同じ目線になるや否や、少女は納得したように名もない花に顔を寄せる。立ち並ぶ工場の中の道路にはこれといった車の姿は無く、どこからともなく機械の音が鳴り続いている。


 いつも近道と言って通る工業団地の道だ。ただ、作業服の大人ならともかく、ジャージ姿の学生と小さい女の子はさすがに似合わない場所で、宛ら夢の世界に迷い込んだように浮き上がって見えるはずだ。


 立ち上がって埃を払うと、


「あれ?パパかママはどこに居るの?」


 やさしく俺は声を掛けた。そして腰を下ろしながら、この子を家まで送り届けなければならないとも思った。ほとんど直感に近かったが、たぶんそうなるだろうと言う確信があった。


「ママはね~おうち」

「そ~。一人でお花とりに来たんだ」


 思惑通りの応えを隠すかに笑って見せると、


「うん。ともちゃんね~お花だいしゅきなの」

 

 あどけない笑みと一緒に、少女は色とりどりの花を突き出して見せた。


「そう~。ともちゃんて言うの~」


 近くにはそれらしい民家も見当たらない。恐らく摘み歩いているうちに・・・・。うなだれた数本の花が、そう語りかけているように見えた。


「よ~し。じゃ~お兄ちゃんがお家まで送って行ってやろうか」

「え~ホント~!」


「あ~、ちょうど帰るとこだったんだよ」


 うれしそうに笑う少女につい口走ってはみるものの、正直、家を探すのは容易ではないと思った。


 まずはこの子を知ってる人を探さないと。俺は立ち止まっては花を眺める少女と共に歩き始めた。不揃いの足音が通りの少ない道路に響いた。


「ともちゃんのおうちはこっちの方?」


「うん。そう」


 そんな会話に引き寄せられるかに俺は靴音を刻んだ。時折、穏やかな風が両側の壁の間を気持ち良さそうに吹き抜けて行く。


「ホントにこっちなのかな~?」


 幼い子の記憶に不安を過らせ、何げなく振り返れば作業服の男性が目に留まる。ちょっとあの人に訊いてみよう。そう思って少女の方に視線を戻すと、俺は思わず首を傾げた。目の前に居たはずの少女が、既に十メートルも先に居るではないか。走った音も聞こえなかったし、確かに自分も一緒に歩いていたと俺は足を速めた。すると、少女は急に駆け出したのである。


「あっ!走っちゃ危ないよ!」


 まるで追い駆けっこでも楽しむかのように、笑い声を上げ一目散に逃げる少女を、微笑ましい表情で追ったが、次第に俺の顔から笑みが消え失せた。それもそのはず、全力で走る中学生の俺が、どんどん離されて行くからだ。唖然としながら今一度呼ぼうとした時だった。



 バァーーーン!



 突然、身体が無重力のように宙を舞い、そのまま激しく倒れ込んだ。打ち所でも悪かったのだろう。立つことも出来ず、ゆっくりと瞼を閉じた。耳鳴りだけで音は何も聞こえなかった。


 どのくらい時間が経ったのか。うっすらと開けた目に白い壁が映り込んだ。初めは曇った空でも見上げていると思ったりしたが、時間が経つにつれそこが病院であることがわかった。後に爆風で飛ばされ強く頭を打ち生死の境目をさ迷っていたと母親から聞かされた。驚いたのは工場にもう少し近かったら即死だったということだ。


 それから十数年、痛々しい出来事も夢と変わる頃、父親となった俺は四歳になる娘と庭で戯れていた。花を数本手にした娘は急に振り向き、


「パパ、しななくてよかったね」

 そう言ってニコッと笑った。


 その瞬間、忘れ去られた映像と目の前に現実がピタリと重なり合った。脳裏に浮かんだあの少女。それは紛れも無く自分の娘そのものだったからだ。もしや・・・・娘が。俺は呆然とその場に立ち尽くしていた。点けっぱなしのTVから十年前の工場爆発のニュースの音声が流れていた。

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