★〇∮◎☬

「名前なんてないわ」


 真っ白な雲に包まれた後で、気が付くとボクは細い道をトボトボと歩いていた。フカフカしてて変な感じだ。すると前を歩く真っ黒い猫が突然振り返ってボクの顔を見た。だから「ボクの名前はバナナ」って挨拶したんだ。でも名前がないって言われたからどうしてって訊いたんだ。


「だってあたしは生まれた時からずっとお外だったから」


 と言って黒猫は下を向いた。

 その時、ボクはいつか聞いたことのあるノラという言葉を思い出した。


「バナナにはおうちがあったの?」


「あったよ。でもお外に飛び出しちゃったら黒いものにぶつかっちゃったんだ」


「きっとタイヤね」


「タイヤ?」


「そう、あたしのお母さんが話してたことがある。あれには気を付けなさいよって」


 それを聞いてボクは何もお外のことは知らなかったんだと思った。


「君はどうしてここに来たの?」


「あたしもタイヤにぶつかっちゃったのよ」


 耳にした途端、あの毛が逆立つような出来事が目の前に浮かんだ。そして、それからどうなったのかを黒猫に話して聞かせた。


「そう、身体がそのままだったのは良かったわね」


「そのままって?」


「あたしがぶつかったのはタイヤがいっぱい通るところだったの。だから次から次に来て、身体はわからなくなっちゃった」


 ボクはびっくりして何も言えなくなってしまった。


「でも、ここに来たらちゃんと髭もシッポもあるからちょっとうれしくなっちゃった」


 黒い猫はそう言って丸い目を細めた。


「どこまで歩いていくんだろうね?」


「もう少し行くと受付っていうのがあるらしいわよ」


「受付?」


「ええ。あたしもさっき耳にしたばかりだけど、そこで何かするらしいわ」


 そんな話をしていると、『★〇∮◎☬』というのが見えた。でもたぶんパパさんでも読めないと思った。へんてこりんで絵みたいだったから。『ネコのくに』と書いてある。


 ボクは黒猫がやってるのを見て同じようにまねをした。右のあんよにインクを付けて、白いところにペタンとした。一つだけあんよの裏が真っ黒になっちゃった。でもこれで受付というのは終わったみたいだ。


 そのすぐ後だった。


 ボクのまあるいおめめがもっと大きくなった。


 いろんな色の、そして、小っちゃいのから大きなのまでたくさんの猫がいた。楽しそうに遊んだり寝ていたりして喧嘩は誰もしていなかった。


「私はリンゴ」


 ボクと黒猫が気になったのか真っ白い猫が声を掛けてきた。それから黒猫に話したことをリンゴにも伝えた。


「そう。ぶつかっちゃったのね。でももう安心よ。ここにはタイヤはないし、犬もいないから思いっきり走り回れるわ」


 そう言ってリンゴは真っ白いシッポを左右に振って見せた。


「そうそう、来たばかりならこの先に小さいお池があるんだけど、そこで面白いものが見られるわよ」


 詳しいことまでは言わなかったけど、ボクと黒猫はそこへ行ってみた。そして、言われたようにお池を覗き込んでみた。すると、お池に絵美ちゃんが映った。お庭の隅にちょこんと座って小さいおててを合わせている。


 絵美ちゃんの前には小さいお山があって棒が一本立っていた。身体を乗り出して顔を近付けると、その棒にバナナって書いてあるのが見えた。そこにボクが眠ってるんだなって思った。もっと顔を近付けたら上の方に当たりって字が見えた。絵美ちゃんの好きなアイスの当たり棒だ。


 パパさんにもママさんにもあげないと言って宝物のようにしてた棒を使ってくれたんだ。そう思ったら、ボクの目から涙がポトンと落ちて、あとはお池にはボクしか映らなくなっちゃった。


 そんなボクを見て黒猫は、「良かったわね」と言った。


「君は見ないの?」


 ボクがそう言うと黒猫は黙って首を振った。なんとなく理由はわかった。


「ねぇ、駆けっこしない?」

 

 だから違う話に変えてみたんだ。すると


「あたしと?おうちにいた子が勝てるかしら」

 

 と黒猫は笑いながら走り出した。ボクもすぐに後を追った。夢中で走りながら「絵美ちゃん。ボクは今ここで元気にしてるよ」って心の中で叫んだ。


 それから黒猫とボクは並んだまま走った。


「ねぇ、友達になってくれる?」

「あたしたちってもう友達でしょ」


 黒猫の言葉に黄色いシッポを傾けると、黒いシッポがチョンと触れた。

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