ドラッグの結末
掛けられたであろう声にうっすら目を開けると、おぼろげな瞳に男性らしき人が映り込んだ。一メートルほどの距離で俺を見下ろしている。どこか聞き覚えのある声だったからか、特に警戒もせずに俺はゆっくりと視線をあげた。寝ぼけているとでも思ったようで男は同じ台詞をもう一度口にした。
「迎えに来たぞ」
その懐かしくも感じる声と視線に映る顔が数秒後に合致した。
「お・・・おやじ」
「久しぶりだったな。元気でやってたか」
そう言って親父は目を細めた。
「まぁ・・。ってどうしてここに?」
意味が分からずボソッと呟く俺に、一瞬口元を緩ませた後で、
「理由はあとで説明する。とりあえず行こう。母さんも待ってるから」
「・・・母さんも?」
誰にも届かないような声を零し、ベンチから腰を上げる。野球も満足に出来ないほどのさびれた公園の日陰にあるベンチだった。手入れの行き届かない公園なのか、至る所に雑草が生い茂っていて気付くと数カ所蚊に喰われていた。
ボリボリと掻きながら俺は親父の後に続いた。歩きながら周囲に目を凝らす。妙に懐かしい風景だったからだ。子供の頃に遊んだ狭い道を歩いている。ふと、我に返ったように広い背中に声を掛けた。
「親父は・・・元気だった?」
「元気?元気も何もないだろ。俺も母さんもとっくに死んでるんだからな」
そうだ。母さんは病気で、それに親父は何年前か事故で亡くなっていたはずだ。それがどうしてここに?そんな疑問を感じ取ったのか、親父は振り返ってこう零した。
「お前は死んだんだ。ドラッグでな。だから迎えに来た」
「ドラッグ?」
「そうさ、買っただろ」
と、細い眼差しで俺の目をじっと見つめる。
「確かに買った。だけどまだ・・・・」
「吸ってねぇってか。まぁ、まともな状態じゃねぇからな。みんな同じだ」
重々しい声には妙な説得力があった。
「死んだのか・・・・俺は」
「そう。おまけに人殺しだ」
「ひ・・人殺し!?」
凍りついた眼球を見つめてうろたえる俺に、親父は直ぐさまこう続けた。
「ドラッグをやって運転しただろ。それでお前は事故を起こして二人を轢き殺した」
まさかと言うよりも後の祭りでしかなかった。そんな思いに身体でも支配されてしまったのか不思議と罪悪感もなかった。
―――俺は死んだ。
親父から聞いた言葉ですべてが終わっていたのかもしれない。突然、変化した風景からも現実感が薄れている。
「でもお前みたいな人殺しも俺や母さんにとっては大事な子供だ」
優しく低い声も俺の耳には人工的にしか響かなかった。足取りも重い。一人ではとても歩けないほどだ。それで迎えに・・・・。
「仕事を失って辛いのはわかるけどな。だからと言って手を出して良いものと悪いものがある」
これは親父の口癖だった。
ドラッグ・・・。
あんなもので俺は死んだのか。良い歳して結婚どころか、親を安心させるどころか最後の最後まで・・・・。後悔と諦めが同居する脳裏に親父の声はどこか他人事にも聞こえた。
「だけど、そんな奴に殺されたんじゃ気の毒を通り越すな」
親父の台詞にふと俺は白くなり掛かった瞳に黒い色を取り戻す。
そうだ。俺は人を轢き殺してしまっている。それも二人だ。大人か、それともまだ小さい子供か、男なのか女なのか。いや、まずは詫びたい。詫びる・・・・今更そんなことが出来るのか───。
様々な思いが交錯した瞬間、突如、耳にスキール音が響いたかと思うと、強い衝撃と共に俺の身体は宙を舞っていた。上も横もわからない時間がどのくらいあったのか。気が付いた時には俺は地面に倒れていた。
車に撥ねられた。俺は死ぬのか。いや・・・もう死んでいる。いずれにしろこれが俺への罰なんだろうと思った。視界の大半を被っていた地面が徐々に消えて行く。姿は愚か親父の声も聞こえなかった。視界にそれまでと違った景色が映ったのは、どのくらい経ってからだろうか。
「ゆ・・夢・・」
そう呟いた後で、俺は辺りに目を向ける。どうやら仕事を解雇されてから公園のベンチでうたた寝してしまったようだが、すぐには夢と現実の区別がつかなかった。
やがて俺は視線を落とした。
その右手に握られていたのは、数十分前に買ったドラッグだった。
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