#23 まだ続いている。

「お母さん。私ね――」


 人を殺したの。


 生きて帰ってきたくて、他の人を殺したの。


 そうして、今、ここにいるの。


―――


 十二月末。都内某所、ガールスバー、マジカルドリーム。事務室。


 アカネは、煙草を一口吸い、天井を見上げて紫煙を吐く。

 暖房も効かせていない部屋は寒く、手足の先まで凍えるようだ。


 現在、店は“一身上の都合により”休業し続けている。

 本当の理由は、数日前にあった事件の影響だ。


 他の従業員達はフロイントシャフト支部と連携を取り、行き先や仕事先で詰まらないように調整している。ここにいるのはアカネと、そして――。

「お姉様」

 いつものように、音も立てずにドアが開いた。

「入る時は、ノックをして頂けると良いのですけれど」

 アンナはアカネの背後に立っていた。


「わたしはずっと」

 アンナはどこか思い詰めた声色で呟く。

 きん、と軽い金音が響く。

「お姉様の“強さ”に憧れていました」


 テーブルの上には灰皿。茶葉の切れた紅茶缶。そして何日も使っていないカップ。


「この現実に戻ってきてからも、強さを失わないその生き方が好きだった。その傍にいられれば、わたしも自分自身を保つことができた。いつまでもそうして、わたし達の先頭にいて欲しかった。背中を見続けていたかった」

「私はずっと、あの人の意思を継いでいたにすぎません。何より私達は“おともだち”同士なのですから、本来は上も下もありませんの。いつも言っているのではなくて?」

「それでも、わたし達に……わたしにとっては、お姉様こそが絆の中心だったんです」

「そう言って頂けると、私も誇りに思いますわ」


 展開したフォールディングナイフを握りしめながら、アンナはアカネの横につく。


「いつまでも、どんなことがあっても、その強さを失わないでいてほしかった」


 アカネは細い指で灰皿に煙草を押しつける。火種を丁寧に揉み潰す。

「だからお姉様。今こそ、わたしに……また教えて下さい。その背中で、行き先を示して下さい」

アンナはナイフの切っ先をゆっくりと、音もなくアカネの首元まで滑らせる。

「そうでないのなら――」

 突きつけられてなお、彼女は口元に薄い笑みを浮かべる。


「昨日をもって、私はフロイントシャフト総代からは降りました。大阪の“デスプルーフ”に引き継ぎは終えていますし、東京の担当にも連絡済みですわ。本来はもう少し先のはずだったのですけど、うまくはいかないものですわね。……とにかく今の私は、ただのフロイントシャフトの一部に過ぎません」

「それでも、お姉様はお姉様です」


 今回の件の責任を取って辞めた、というのは建前だ。

 元より、近いうちにそうするつもりだった。

「心配なさらなくても、自分の道は自分で決めているつもりですわ」

 決して今の立場が堪えていたというわけではない。

 ただ単に――少しだけ、自由になりたかった。


「でしたら、私はどこまでもついて行きます。貴方の心が折れ、力尽き、倒れる……その日までは」

「あなたも律儀ですわね」

 アカネはテーブルの下からソードオフダブルバレルショットガンを取り出す。

 引き出しからは数発の12ゲージバックショット弾。それらをすべてケースにしまう。ステッカーが大量に貼られた、ピンクの大型キャリングケースだ。


「――そういえば、あの子達も一緒に行きたがっていましたけれど」

「はい。その件は既に“マスターマインド”が対応をはじめています。そう時間はかからないかと」


 アカネは席を立つ。アンナは彼女の目を見て、ナイフを袖下に納める。


「さ、あまり長くいると、あの方々が来るかもしれません。そろそろ頃合いかしら」

「はい」

「では、まいりましょうか」


 そうして、二人は部屋を後にした。


―――


 そして二年が過ぎた。


―――


 ――“では正午のニュースです”


 ――“本日午後、国会にて、特異的行方不明者保護法の改正案が審議にかけられます。先の報道でもお伝えしました通り、今回の改正案では特異的行方不明者疑いのある者に対する強制的な保護、および隔離等措置の見直しが論点となります。事前に提出された案について、野党は人権関係法令の観点から……――”


―――


 時報が鳴り、テレビはニュースから騒がしいワイドショー番組に変わる。

 マスターはリモコンを操作し、テレビを消す。


 某日。西東京某市。某所。喫茶店。昼。


 ドアにかかった看板は、いつものように『CLOSE』に裏返されている。


「腹減ったな。始まるまでもう少し時間があるだろう? 何か食おうよ」

「はい」

「何でもいいよ。この店、前も来たことあるんだろ。なんか美味い食い物ないの? 俺は甘いのがいいな」

「でしたら、ベルギーワッフルがいいかと」

「じゃあそれにしよう。で……モリワキ君は何食うの」

「では自分は照焼チキンのホットサンドで」


 スーツ姿の男が二人、店の端にあるテーブル席に座っている。


「お姉さん。追加の注文いいかな?」

 注文を取り終えたマスターはカウンターに戻っていき、調理台で支度をはじめる。


「しかし参るよな。今月はこれで三回目だよ。まさか公安の仕事に“喫茶店巡り”が入るなんて思わないだろ。コーヒー好きだからいいけどさ」


 一人は警視庁公安部、シズカワ。そしてもう一人は警視庁生活安全部、モリワキ。


「で、今回の子達はどうなの。モリワキ君から見て」

「自分も“新規者”達に対しての対応は初めてになりますが、今回は発見活動と保護が迅速にできたようで、以降に大きなトラブルは起きていません」

「俺達もあの時は大忙しだったよ」

「ご尽力に感謝します」

「それが俺達の仕事だからな」

 ソファに大きく背を預け、苦笑しながら煙草を吹かすシズカワとは対照的に、モリワキは背筋を伸ばしたままほとんど動かない。その表情もまた同様である。

「結局、何人を保護できたんですか」

「言えない。だが全員じゃない。……相変わらず、死体で見つかった子もいたしな」

「そうですか。――それから、フロイントシャフトの動きは?」

「それも詳しいことは言えない。最近は落ち着いてる。表面上はな。それでも内側では色々あるようで、近頃じゃ内部分裂もあるかもしれないって話だ。まったく面倒なもんだよ」

「……」

「おっと、喋りすぎたか。こいつは黙っておいてくれよ」

「はい」

「しかし、お前さんも難儀だな。給料も高くねえのに責任と面倒ばっか押しつけられて」

「いえ」

 モリワキはぬるくなったコーヒーを啜る。

「“首を突っ込んでしまった”のも自分なら、それに責任を取る義務があるのも自分です」


 あれから二年。

 ――モリワキは未だに“魔女”の呪いにかかり続けている。


「それが自分の仕事ですから」


―――


 テーブルに食事が運ばれ、二人の男は黙々と食べ始める。


 やがて喫茶店のドアが開き、スーツを着た一人の女が入ってくる。

 しっかり着こなしているとは言い難い、まだあどけなさの残る佇まい。


 女はカウンターにいるマスターに挨拶し、それから二人の男を一瞥し、彼らが座っている場所から一番遠いテーブルに着く。


 持っていたバッグから資料を取り出し、時計を確認する。

 一通りの準備を終えると、女はコーヒーを飲みながら、右手で何かを弄びはじめた。


 大粒のクルミが二つ。彼女はそれを掌で器用に転がし、時おり何かを確かめるように握り、そしてまた転がし始める。


―――


 あれから彼女らを取り巻く環境は変わった。


 女はスマートフォンをチェックする。専用のアプリケーションに表示されているのは近隣の地図と、二つのアイコン。

 アイコンの一つは地図の上を移動している。間もなく来るだろう。

 もう一つのアイコンは、この喫茶店の上。即ち、彼女のもの。

 “監察局”の管轄にある元魔法少女には、このアイコンの発信源である特殊な電子タグの携帯が義務付けられている。もちろん彼女自身も例外ではない。もうあの頃のようにはいかなくなった。自由ではいられなくなった。コントロール下におかれ、管理され、監視される(なお本来であればここにはもう一つアイコンが増えるべきなのだが、本人と局の間で何らかの取引があったのか、特例として彼女はタグを所持していない)。それを嫌って“再失踪”する者がまた増えたのも、皮肉としかいいようがない。


 資料に書かれたプロフィールを見る。

 第九回帰還者“ガンスリンガー”。

 生活に影響を及ぼすようなギフトではなさそうだ。けれど、これからどうなるか。


 定刻を少し過ぎる頃、喫茶店のドアがゆっくりと開いた。

 不安そうな顔をした少女は店内を見渡し、こちらを見る。

 手を振って、席に着くように促す。

 離れた席に座った二人の男も、食事と会話を止める。


 ――二年に一度、日本全国から十六、十七歳までの少女を対象とした集団消失。

 ――たった一日の間に全国規模で少女達が消える謎の現象。その数きっかり百人。

 ――そしてその一年後、四分の一が帰ってくる。

 ――昨年で九回目。今年も二十五人が帰ってきた。

 ――彼女達は生き残ってしまった。あるいは、生き残ろうとして生き残ったのか。


「あの」

 緊張しているのだろう、少女はうまく言葉が紡げずにいるようだった。

「監察局の人、ですか」


 パステルカラーの名刺入れから名刺を一枚取り出し、テーブルの上に滑らせる。


『元魔法少女 予後監察局 西東京担当局員 / 九重 曜子』


「これからあなたの担当になる、ココノエ ヨウコです。……よろしくね」


―――


 あっという間に二年が経った。

 ヨウコは結局、ブスジマの問いに答えを出せずにいた。

 何故生き残ろうと思ったのか。

 他の子達を蹴落としてまで、どうして自分は生きようと思ったのか。


 あれからヨウコは監察局を訪ね、消えたブスジマの代わりについた。“経験者”としての採用は監察局にとっても初のことで、多少の混乱はあったものの、意外にすんなりと就くことが出来た。

 ブスジマの意思を継ごうとか、三十八人分の罪滅ぼしだとか、そういうことではない。自分一人では答えが出せなかった。だから他の子達を見て、答えを探そうと思った。あるいは――苦しんでいるのは自分だけではないと“自分自身に”言い聞かせるために。ただ単に、そんな利己的な理由に過ぎない。


 どんな形にせよ、ヨウコは生き続けねばならない。いつか終わりが来れば、その時はまた彼女達と会うだろう。けれどそれは出来るだけ先延ばしにしたい。まだ自分は、向こうには行きたくない。

 終わりが来るまでに、この呪いから解放される日は来るのだろうか。生き残ることを選択した理由を、ハッキリさせることができるのだろうか。今は何もわからない。まだわからない。もしかしたら、一生、わからないかもしれない。




 それでも私は、まだ続いている。

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魔法少女AFTER 黒周ダイスケ @xrossing

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