3-4
『麦音ちゃん、久しぶりね。もう高校生なんて早いわね。どうかしら? 高校生活は』
瞬きすると、白い机越しに白衣を着た女性が目を細めて話しかけてくる。私はがんばって笑顔を作っていた。
『お久しぶりです。北原先生。高校では楽しく過ごしています』
北原先生と話しているということは数か月前の過去だ。六月ぐらいかな。
北原先生は病院の精神科の先生で私のお母さんの主治医。お母さんと同じぐらいの年代で、ほんわかした話し方をする女性の先生。お母さんはもう何年もこの先生にかかっている。私も小学生の時はよくお話に連れてこられた。私は事故を目の前で見たことで、記憶の一部が抜け落ちたり、精神的に不安定になっていたりしていたのだ。
この日はお母さんがたまには麦音ちゃんも一緒に来てと言われて、学校を休んで病院に来たのだった。
『学校ではどんなことをしているの?』
『えーと。学校では友達と好きなアイドルのことでおしゃべりしたり、休みの日には駅前に買い物にいったり』
私の言うことに北原先生は黙って頷いているけれど、それは全部嘘だった。
『そう。先生、安心したわ。麦音ちゃんとはずいぶん長いこと会っていなかったから』
北原先生はカルテにペンを走らせる。優しい北原先生を安心させるための嘘だった。けれど、そう言われると過去の出来事なのに胸がズキンと痛んだ。
机の下の手がもじもじと遊ぶ。小学生のころからよく知っている北原先生には、何もかも見透かされているような気がしたんだっけ。
『お母さんとはそういうお話はしている?』
『……あんまり』
『できれば私にするようにお話してあげてね。お母さんもずいぶんよくなったし』
『はい』
私は頷くことしか出来ない。お母さんにも友達と遊びに行ってくるとたまに嘘をついていた。お母さんの反応はそうとだけ言って特に興味もなさそうだったけれど、北原先生には話していたのかな。
『ほかに困ったこととか、変わったこととかはないかしら?』
『あ、あと校外に新しい友達もできたんです』
『新しいお友達?』
北原先生は眼鏡を外して、私の顔をじっとみた。
『はい。遠くにいる子なんですけど、その子とはよく連絡を取り合っています。夏休みには会おうねって言っているんです』
これは本当だった。よく連絡を取り合っていて夏休みに会う約束をしている友達、って言っていいのか分からないけれど、エモンくんのことだ。北原先生は眼鏡をかけ直してふんわり笑んだ。
『そう。じゃあ、夏休みが楽しみね』
私と北原先生の話が終わると、待合室で待っていたお母さんが入れ替わりに個室に入っていく。私は病院の待合室の椅子に座り、スマホをポケットから取り出した。
『エモンくん、いま授業中?』
エモンくんにメッセージを送ると返事はすぐに来た。
『休み時間だけど? どうかしたの?』
『ううん。何でもないんだけど、やっぱりお母さんには言わないで行こうかなって』
この時には既に東京に行くことは決めていた。
『なんで? 言わないで何日か家を空けたら心配するんじゃないの? 往復の切符はこっちが用意するし、適当に嘘つけばいいじゃない。大体、リニアも使わないで移動はどうするつもり?』
『言った方が心配させると思って。移動はどうにかするよ。まだ時間もあるし』
『なんかあったら言いなよ』
『うん。ありがとう』
私とエモンくんがネット上で出会ったのは、四月の終わりだった。
友達もいない、部活もしていない私には時間がたっぷりあった。一日の勉強が終われば、時間が余る。そんな時は音楽を聴きながら、ネットを見ていた。
販売中止になったタイムリープの薬は、一年経っても何かと世間を賑わせるネタになっていた。私は使ったことはなかったけれど、販売再開を求める声だったり、高値で売りますという声だったり。
その中に埋もれるように、十年前に戻れる薬があれば何に使いたいですかと問う声があった。
それを見て私は――、嘘をついた。
◇ ◇ ◇
白いカーテンが冷房の風にわずかに揺れている。
「ピクリとも動かないな」
「うん」
ここは病院の一室だ。僕とエモンはベッドに眠る杉本麦音を挟むようにして椅子に座っている。眠り続ける杉本麦音を医者に見せたが、どこにも異常は見られないと言われた。ただ眠っているだけだと。治療らしい治療もされずベッドで点滴を一応受けている。
杉本麦音の寝顔は、相変わらず静かだ。腕から透明のチューブが伸びているが、一滴一滴落ちる水滴だけで目覚めるとは思えない。
だけど、僕らにはどうしようもなかった。
「ごめん、僕が無理に薬を使わせたせいだ」
感情が零れ落ちたようにエモンは謝った。なで肩の肩が落ち込んでいるように見える。
「なあ。こいつ、目が覚めなかったら俺たちどうする?」
「どうするもこうするも、僕は警察に出頭するよ。一人でね。ネットを使って彼女をそそのかして、危ない薬を使わせたってね」
「マジかよ」
僕は堪らず顔を手で覆う。
「そこまでして、苦しんでいる人を助けたかったのかよ、エモン」
杉本麦音の望みは姉に会うことだけど、東京で悠々自適の生活をするエモンにはリスクを負う必要はないと思った。
エモンは目を伏せがちになりながら答える。
「……本当は、そんな崇高な理由じゃない。僕は中学の時にいじめられていたんだ。違法薬物作った奴だからってさ。あいつらバカだから販売中止になっても警察に配られて役に立っているって言ったって理解しないんだ」
「そう、だったのか」
あっさりと手のひらを返したメディアと同じく、エモンの周りも潮を引くように人がいなくなったのだろう。悪いことを考える奴らには目をつけられて。
「高校から東京に来て、そんな奴らからは離れたけど、むしゃくしゃして。それならもっとすごい成果をだしてやるって躍起になって。それで作った薬でうまくいくわけないよな。だけど、こんなことになるなんて。ごめん、予想しているべきだった」
「エモンだけが謝っても、な」
そうだ。エモンだけに責任があるわけではない。僕だってリスクもあると分かっていて、杉本麦音の気持ちを優先させたわけだし、結局最後まで止めなかった。あれだけ懸命に自転車こいでいた奴を止めるわけには行かなかったんだ。
杉本麦音の横顔を見ながら、僕はずっと疑問に思っていることを口にする。
「どうして、こいつあんな嘘ついたのかな。その……、自分の姉さんが事故じゃなくて誰かに殺されたなんて」
「たぶん、僕から薬をもらうためだよ。僕は十年前に戻りたいっていう人から、より良い人材を選んでいたんだ。どれだけ戻りたいって思う力が強いか。それを麦音は気づいていたんだね。だから、より印象に残るような嘘をついた。実際、亡くなった姉さんに会いたいって言うだけじゃ、僕は連絡とっていなかったと思う」
「そっか。なあ、こいつ今頃姉ちゃんに会っているのかな」
嘘までついて強行したタイムリープだ。杉本麦音の望みは叶ったのだろうか。エモンは杉本麦音の顔を見つめながら首を振る。
「僕にも分からない。けど、これだけ時間が経っているんだ。どこか時をさ迷っているに違いないよ。僕らのように数か月前か、十年前か」
どれだけ気をもんでも、確かめる術は何もなかった。
◇ ◇ ◇
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