2-9
杉本麦音はオムライスを半分ぐらい残していたけれど、僕たちは食事を終えた。店長に教えてもらった地図の場所を目指す。メイドカフェから歩いて二、三分。意外と近い場所にそこはあった。
「ここだ」
ビルの側面の青い看板の文字を見て確認する。入り口を入ってすぐの場所にあるエレベーターに乗って、四階のボタンを押した。音もなくエレベーターのドアが開くと、目の前にある店舗のドアの前に一人の男性が立っていた。僕たちを見ると手を上げる。
「君たちがスイートキャットの店長が言っていた子たちだね。よかった。迷わずに来られたんだね。あれ、君は」
黒縁眼鏡をかけた男性は、杉本麦音の顔をじっと見つめる。
「麦音ちゃん……?」
店長にもメイドのお姉さんにも名前を言っていないのに、顔を見ただけで言い当てられた。僕らは目を見開く。
「ああ、ごめんね。びっくりしたよね。僕はこの店のオーナーの萩野」
「わ、私は杉本麦音です」
「僕は綿部です」「阿川です」
簡単に自己紹介をする。
「中にどうぞ」
萩野さんはガラス製の両開きの扉の片側を開いてくれた。
勧められるまま中に入る。そこはとても広い空間だった。焦げ茶色のウッドフロアに、木製の丸テーブルに椅子。白い壁際には所々に観葉植物が置かれていて、心地いい空間だ。半分は客席でもう半分は青いタイルで囲われた調理場のスペースだった。
「さあ、入って。ピザやパスタは好き? よかったらご馳走するよ」
「いえ、さっき食べてきたばかりなので」
黒縁眼鏡の男性は奥へと僕たちを案内する。ピザを焼いている窯の横を横目で見ながら後に続く。お昼時を過ぎているから、お客さんは数組しかいない。
「ここが……」
杉本麦音が足を止めた。フロアの続きで普通にテーブルと椅子が置かれているだけに見えるけれど。
「ここが、舞台があった場所……」
探していたライブ会場はイタリア料理店になっていた。十年前に事故があった施設だ。無くなっていても、おかしくないことを失念していた。イタリア料理店は体育館の半分ぐらいのスペースで、映像で見た時よりも狭く感じる。
「お花、飾ってある」
杉本麦音が一点を見つめて言った。店員さんが調理場と出入りする扉の横には花瓶に小ぶりなひまわりが一本活けられている。
「この席に座って」
萩野さんが近くのテーブルの椅子を一つ引いた。僕とエモンはその横に座り、杉本麦音も遠慮するようにちょこんと椅子に座った。萩野さんも杉本麦音の向かい側の席に着く。水を持ってきた店員さんにオレンジジュース三つとコーヒーを一つ頼んだ。
「あ、あの。私、お聞きしたいことが」
杉本麦音は視線を僕やエモンの顔を伺いながら、うまく言葉を紡げないでいる。萩野さんは人好きのしそうな笑顔で頷いた。
「うん。聞きたいこと、いっぱいあるよね。何から話そうか」
「本当にここはライブ会場があった場所なんですか?」
まずは一番聞きたいことを僕は聞いた。
「そうだね。十年前まではイベント会場で、三年前までは会議場だった。三年前にまた売りに出されて、僕がレストランを開いたんだよ。実を言うとイベント会場だった時には、スタッフとして働いていたんだ。お金を貯めるためにね」
「そっか。だから」
僕はちらりと背後を振り返って、ひまわりを見た。店の中に花が生けられているのはあそこだけだ。杉本麦音は立ち上がって萩野さんに丁寧に頭を下げた。
「……お姉ちゃんのためにありがとうございます」
萩野さんは微笑む。
「ああ、やっぱり君はコパンちゃんの妹の麦音ちゃんなんだね。夏休みだからお友達とコパンちゃんのところに来てくれたんだ」
「失礼します」
店員さんが飲み物を運んできた。僕らの前にオレンジジュースが並べられていく。
「ごゆっくりどうぞ」
店員さんが去っていくと、萩野さんが手で勧めるので僕たちはストローを刺して一口いただく。萩野さんもブラックのままコーヒーを一口すすると語り始めた。
「麦音ちゃんはそこら辺にたくさんいた大人の顔なんて覚えていないだろうけど、僕らはよく覚えているよ。なにせ、毎回ライブのたびにお姉さんにくっ付いてくる子なんて、他にはいなかったからね」
萩野さんは懐かしむように語る。
「僕は他にもバイトを掛け持ちしていて、土日だけイベント会場で働いていたんだ。裏方だったけど、たまにライブものぞかせてもらってね。何組も入れ替わりに歌うタイプのライブだったけど、トライARのライブの時はよく聞き耳を立てていたな。アイドルカラーっていうか、元気な子が多かったからね。こっちも頑張ろうって気になったな。だから……」
杉本麦音の顔から目線を外す萩野さん。
「だから、事故が起こった時は本当に残念だった。ちょうどその時、僕はステージの袖で見ていたんだけどね。麦音ちゃんも前の方で見ていて……。あんなに小さかった子がここに来られるまで成長するなんてね。本当に十年も経ったんだね」
「本当に事故だったんですか?」
「仁太」
正面にいるエモンが僕をねめつけている。いま聞くことじゃないかもしれない。だけど、僕はどうしても聞いてみたくなったんだ。萩野さんも鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたけれど、すぐに表情を緩ませた。
「ああ。三奈ちゃんが賞を貰った時にあることないこと言われていたからね。だけどまさか、誰かが仕組んだとかはないよ。古いライトだったから、ネジが緩んでいたんだ。だから、スタッフがぶつかっただけで簡単に倒れてしまった」
確かにライトが倒れた理由はそうなのかもしれない。悪いのはそんな古い装置を使っていたライブ会場を運営していた会社だ。
「もしかして、それを確かめに?」
だけど、まだ疑問はある。
僕は杉本麦音がタイムリープするのを待てなかった。
「ライトが倒れた時、コパンさんは誰かに押されたんですよね」
萩野さんが怪訝そうな顔をする。
「何を言っているんだい? 押したのはコパンちゃんだよ」
「「え??」」
僕とエモンは間の抜けた顔で萩野さんの顔を見つめた。
「倒れてくるライトの下にいた春香ちゃんをかばって、コパンちゃんは亡くなってしまったんだ」
「本当に? 本当にコパンさんがかばって?」
「嘘を言ってどうするんだい。麦音ちゃん、見間違えた? いや、そんなわけないよね。すぐ目の前にいたから」
僕たちの間に気まずい奇妙な沈黙が流れた。杉本麦音はうつむいて動かない。
「スタッフが呼んでいるみたいだ。ちょっと失礼するよ」
気を使ったのか萩野さんは席を立って、テーブルから離れて行く。
「どういうこと、麦音」
「言っていたことと違うけど」
エモンと僕は杉本麦音に顔を寄せる。
「ごめんなさい」
杉本麦音はうつむいたまま、小さく謝った。エモンと僕は顔を見合わせた。そして、ふーっと息を吐く。真相は意外な形で決着がついた。
どうやら杉本麦音に嘘をつかれていたようだ。江の島で話を聞いた辺りからだろう。
けれど、嘘でよかったと安心した自分がいた。たぶんコパンさんが所属していたトライARが誰かを傷つけるほど憎み合っていなかったと知ったからだ。たった三十分の映像を見ただけで少しは好きになったみたいだ。
「どうして嘘なんてついたんだよ、麦音」
エモンも拍子抜けしたようで、きつい口調ではない。
「ごめんなさい、エモンくん。ごめんなさい。私……」
聞いても謝るだけの杉本麦音は、バッグの中からケースを取り出す。中からコロンと緑色の立方体が出てきた。
「あ」
「私……」
止めないといけないと思った。だけど止める間もなかった。
「私、もう一度お姉ちゃんに会いたかったの」
杉本麦音は手を合わせ、祈るように追憶体験薬の塊を潰した。
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