2-8
「あの、ごめん、ね」
唐突に杉本麦音が謝った。
「何が?」
僕が応え、エモンもスマホから目線を上げる。
「その、全然、ライブ会場が見つからないから。私がもっとしっかり覚えておけば良かったんだけど」
「仕方ないんじゃない。十年も前だし、記憶なんていい加減な物なんだからさ」
そう言ったのはエモンだ。僕は疑問を覚えて、肩肘をテーブルに着きながらエモンに聞く。
「でも、その記憶を頼りにタイムリープするんだろ」
「確かに記憶を元に感覚を再現させるのが追憶体験だけど?」
やけに追憶体験という言い方にこだわるエモン。
「追憶体験って言いにくいんだよな。タイムリープの方が。それよりさ。匂いとか聞いたりしたことって意識が行っていなかったら覚えていないだろ。なのに二度目は意識していなかったことを感じるってどういうこと?」
エモンはスマホをズボンのポケットに入れる。
「仁太にしてはいい質問だね。記憶の他にも同じような刺激が追憶体験の誘因にもなる。いくらか欠けた記憶でも追憶体験するには十分なんだ。ここにケーキがあるとするだろ」
何もないテーブルの上をとんと指で叩くエモン。
「だけど完全に窓の外に意識が向いていると見えない。見えないけれど、ケーキはそこにある。それを仁太は知っている。意識していなくても、そこには何かが存在しているんだ」
「うん?」
いまいちよく分からない。
「他に例を言うと網膜には穴が開いていている。盲点ってやつだね。だけど僕らはそれに気づかない。それと同じように追憶体験の時にも脳内補完がされている。過去のパターン化した記憶が多分こうだろうってね」
エモンの言っていることが、さらに僕の脳をごちゃごちゃと混乱させる。
「つまり脳が勝手に過去を作っているってこと?」
「作っているっていうとちょっと語弊があるな」
「たぶんパズルのピースと一緒だと思うよ、仁太くん」
杉本麦音が口を開く。
「タイムリープで見られる過去は作りかけのパズルと一緒で、所々穴が開いているの。開いているけど、全体を見たらああ、こんな絵だったって分かるって感じかな」
「作りかけのパズルか。いい例えを言うね、麦音。三十分前ぐらいならその穴もごく少ない。だけど、十年も前になると」
「穴だらけ?」
鼻をツンと上げたままエモンは頷いた。
「だから、記憶の補完のためにライブ会場を探すんだ。せめて事件が起きた背景だけでも、完璧に補完しなおすために」
「なんか、タイムリープって意外と手間かかるな」
これまではお手軽が基本だと思っていた。
だけど、杉本麦音はわざわざ遠くからウチに来て、ウチから自転車で東京に来てまで、十年前に戻りたいと思っている。秋葉原でのライブ会場の確実な情報が無くてもだ。
「タイムリープ? なに、君たちタイムリープに興味あるにゃん?」
僕は思わずビクッと身体を震わせた。振り返るとメイドのお姉さんがオムライスとフレンチトーストを持って立っている。器用に三つ同時に運んできていた。
「いや、話で出てきただけだけど」
エモンがサラッと流す。まさか十年前に戻ろうとしているなんて言えない。
「そっか。よかったにゃん。君たちみたいな善良な少年少女が違法行為に手を染めていなくて」
気まずい空気が流れるが、これが世間一般の反応だ。僕だって最初、杉本麦音がタイムリープしている時は近づかないようにしようと思った。コパンさんの話を聞かなければ今だって協力していないはずだ。
お姉さんは僕たちの前に料理を置いていく。オムライスにはケチャップで猫の絵が描かれており、フレンチトーストにもチョコペンで猫の絵が描かれていた。
お姉さんは続ける。
「実際、困るにゃん。まだ、たまに堂々と店でタイムリープするお客さんがいるんだけど、依存性が高いから怒鳴られそうで注意するのも怖いし。それにタイムリープで満足されると売り上げにも響くはずだって、販売された時から店長ぶつぶつ言っていたにゃん」
僕はお姉さんの話を聞いて、ブスっとしているエモンを見る。もしかして、またタイムリープじゃなくて追憶体験だと言うつもりじゃないだろうかとハラハラした。
「それじゃ、ご主人様たち、ごゆっくりにゃん」
お姉さんはぺこりと頭を下げて去っていった。エモンはぼそりと低い声で言う。
「違法じゃねえし」
「ま、まぁ、とりあえず腹ごしらえしようぜ」
エモンは追憶体験薬を生み出した製薬会社の息子だ。違法と言われて気分がいいはずがない。
僕はオムライスの中に入っているグリーンピースが苦手だったが、避けずに食べる。
「ねぇ、お姉さん。この辺にアイドルのライブを見ることが出来る所って知っている?」
オムライスを食べ終えた僕は、緑色のクリームソーダを持ってきたお姉さんに聞いてみた。エモンには睨まれたが、直接聞いてみた方が早い。
「メイドカフェの次はアイドルにゃん? ご主人様たち、アキバを満喫するつもりね。アイドルなら店長が詳しいから、聞いてみるにゃん」
「ありがとう、よろしく」
テーブルに置かれたクリームソーダのアイスクリームは猫型になっていて、チョコペンで目や口が描かれていた。僕はスプーンでバニラアイスの猫耳から食べていく。
店長はすぐに僕たちの席にやってきた。口ひげを生やしたダンディな中年のおじさんで、黒いベストを着ている。メイドカフェと言うより喫茶店のマスターのようだ。
その店長がすこし早口で言う。
「君たち、アイドルのライブが見たいって? 今日? どういう系がいいの?」
「あ、あー、えっと。今日見たいとかじゃなくて、ライブ会場を探していて」
純粋にライブが見たいわけじゃないから、何と言っていいか分からない。
「ライブがしたいとか? 軽音部か何か?」
「そうじゃなくて」
「あ、あの、昔、私の、お姉ちゃんがライブしていた所に行って、みたいんです」
僕が説明に苦戦していると、杉本麦音がたどたどしく口を開く。
「その、十年前に、事故があった、ライブ会場って知っていますか?」
杉本麦音は必死に店長の顔を見上げて行った。確かにそう言うのが分かりやすいけど、言ってよかったのだろうか。まぁ、僕が気を使っていたのは杉本麦音で、その杉本麦音が話したのだからいいのだろうけど。
「十年前に……」
店長はひげを触りながら考えてくれる。
「それなら心当たりがあるよ」
やっぱり聞いてよかった。僕たちは頷き合った。
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