2-4


 東京タワーから近いと言っていただけあって、エモンの家には車で早々に着いた。


「家でかッ」


 車から降ろされ、ぐーっと九十度顔を反り返らせる。


「これ全部が家の訳ないじゃん。仁太は阿保なんだね」


「いやいや。さすがにマンションぐらい分かるって」


 マンションはマンションでも、超巨大なタワーマンションだ。


「あ。自転車は?」


 今更ながらリムジンのトランクに乗せたままだったことを思い出す。リムジンは僕らを下ろして、おそらく駐車場の方へ向かって行った。


「峰山がちゃんと整備するから大丈夫」


「いや。そこまでしてもらわなくていいんだけど」


 そう言っている間にエモンは、我が物顔でタワーマンションの入り口へと向かっていく。認証があるだろう自動ドアは顔パスで通過してした。続いて入ったエントランスは絨毯が敷かれ、ホテルの様な受付まである。首元にスカーフを巻いた綺麗な女の人がお帰りなさいませ、阿川様とエモンに頭を下げた。エモンは軽く手を上げるだけで通過する。


 その上、


「あれ、エモンくん。エレベーター……」


 受付の横にエレベーターがあるが素通りして、さらに奥に行く。


「こっちに専用エレベーターがあるから」


「せ、専用……」


 至れり尽くせりの豪華マンション。入り口の時点で杉本麦音の目は回っている。階数の表示のないエレベーターに乗ると、僕はエモンに後ろから声をかけた。


「なあ、エモン。阿川製薬ってそんなに儲かっているのか?」


 エモンは振り返りもせずに素っ気なく答える。


「元々、製薬会社として、普通の医薬品を作っていたし、世界初のタイムリープだってもてはやされてバカ売れしたし。今だって日本だけじゃなく世界各地の警察に輸出しているぐらいだからね」


 それもそうかと納得し、これで金のために杉本麦音に近づいたって線はないなと思った。密かにその線も疑っていたのだ。音もなく上がった高速エレベーターはものの数十秒で停止した。


「どうぞ。遠慮しなくていいからね」


 さすがにここでは顔パスではなく、指紋認証で玄関の錠を外してエモンはドアを開けた。入ってすぐにリビングが見えて、その奥も目に飛び込んでくる。


「う、わぁ」


 僕は思わず荷物を落した。そして、遠慮なく直線に駆ける。


「え、すごいね……」


 後ろで杉本麦音の感嘆する声がした。


 ガラス張りで目の前に広がるのは、どこまでも続くようなパノラマビュー。高いはずのビルがいくつも眼下に見え、東京の街が一望できた。ビル群の奥の方にある山並みの向こうに夕陽が沈もうとしている。


「おい! すげぇな! お前!」


「別に。こんなの何でもないよ」


 エモンの返事はそっけないが、僕の興奮は冷めない。つい子供のように指を指してしまう。


「さっきまでいた東京タワーだ。本当に近いんだな! 富士山まで見えるぞ!」


「あんなに大きかった富士山があんなに小さいね。こんなに遠くまで来たんだね。私たち」


 杉本麦音も横に来て景色に魅入っている。


「ふーん、富士の方から来たんだ」


 エモンも杉本麦音の横に並んだ。


「あ、えーと、そういう訳じゃないけど。ごめんね、遠慮、なくて。ご両親は?」


「いないよ。ここには僕一人が住んでいる。高校から東京に来たんだ。ああ、峰山がいるけどね」


 同い年なのに東京の高級タワーマンションの最上階で執事と二人暮らし。かたや、田舎の片隅にある小さなサイクリングショップの一人息子。世界どころか時空が違うとはこのことだ。





 バカでかくて大理石の床の風呂に入ってから、夕食までごちそうになる。


 シェフに扮した峰山さんが焼いてくれた分厚いステーキを大きなダイニングテーブルで食べた。口の中で溶けた肉。食べたことのない味過ぎて、胃がびっくりしていそうだ。杉本麦音はどうかとチラ見すると、フォークを持つ手が震えていた。


「いよいよ、明日は計画を決行する日なんだけど、麦音。準備は進んでいる?」


 エモンは斜め横にいる杉本麦音に尋ねる。僕らはデザートのバニラアイスをリビングの大きなソファに座って食べていた。


「準備? 準備がいるのか?」


 僕はスプーンを口に含んだまま聞く。杉本麦音がこくりと小さく頷いた。


「十年前に戻る前にタイム、追憶体験に慣れておく必要があるらしいの」


「だから必ず毎日一回は薬を使っておいてって言っていたんだけど。どうなの?」


「あ、え、えーと」


 エモンの詰問に杉本麦音は目線を横に反らす。


「昨日は、疲れていて、その」


「忘れたんだね」


 申し訳なさそうに頷く杉本麦音。そういえば前の日の夜は、僕が部屋に入って邪魔したんだっけ。だけど、僕は昼間のことを思い出す。


「ん。いやいや、タイムリープしたじゃんか。僕と」


「僕と?」


 エモンが訝し気に僕の顔を見る。


「そういえば」


 杉本麦音も思い出したようだ。


「自転車で坂を下ったあと、二人で戻ったんだ。こう、二人の顔の前で」


 僕は自分の手を使って顔の前で『戻るくん』を捻るポーズをする。友達と試しに使った時なんか節約するためにはそうしていた。大体『戻るくん』とのんきな名前なのに一回千円、十回セットで一万円。高すぎて、みんなで割り勘して買うしかなかった。


「そういう使い方は想定してなかったけど。つまり、薬がかかったのは二分の一か。問題はないと思うけれど」


 エモンは顎に手を当てて思案している様子だ。僕は杉本麦音の方を向いて首をひねった。


「それに忘れたわけじゃないだろ。昨日、使おうとしたのに僕が入ってきたから薬が使えなかったんだろ」


「気づいていたの?」


 杉本麦音が目を丸くして僕の顔を見つめた。一口も食べていない杉本麦音のバニラアイスは解けてきている。僕はバニラアイスを食べ終えて、空いた容器をローテブルに置いた。


「まぁ、手に持っているのが見えたからさ」


 さすがに会った初日に部屋を覗いて、使っているのを見たとは言えない。


「なんで夜中にわざわざ使おうとしていたんだ? どうせなら、花火をしていた時に戻った方が得な感じがするけど。トイレでもどこでもこっそり使えただろ」


「あ、そっか。花火を二回することも出来たんだ。これ、私のも食べて」


 バニラアイスを僕に渡してくる杉本麦音は考えもしなかったといった顔をした。それなら、それまで杉本麦音はタイムリープを何に消化していたのだろうか。


「今日の分はまだ使ってないんだろ。使ったら?」


 エモンがスプーンを振りながら言う。


「じゃあ」


 杉本麦音は自分の荷物の所にタイムリープが出来る薬、『戻るくん』を取りに行った。


「なあ、なんで薬の名前が『戻るくん』なんだ?」


 二個目のバニラアイスをすくいながら僕はエモンに聞いてみる。


「そりゃ、時を戻ったみたいに感じるからだろ。僕だって販売が決まった時は他の名前にしろって言ったさ。よく、二個も入るね」


「デザートは別腹。『戻るくん』にあのパッケージじゃおもちゃみたいだよな」


 販売当時、『戻るくん』はドラッグストアの薬品コーナーではなく、日用品コーナーに置かれていた。プラスチックの容器に入れられ、緑色の台紙に『時間を戻れる、戻るくん』と書かれている。


「会社の人間は、元々子供ぐらいしか使わないだろうって思っていたんだよ。直近の記憶の繰り返しなんて、使わなくてもある程度自分でも出来るだろ」


 確かに通常、感動はその場で反芻する。ただ、それはおぼろげなものだ。『戻るくん』で体験できる過去ははっきりとしていた。


 それに意外と、三十分という短い時間だったからヒットしたという可能性もある。長い時間をさかのぼって追いつくのを意識の中とはいえ待つのはごめんだ。


「追憶体験って言い方がタイムリープになった途端に爆売れだもんな。だけど値段高過ぎじゃないか。子供は買わないっていうか、買えないっていうか」


「あれでも利益がでるギリギリの値段なんだよ。原材料だけじゃなくて研究にもかなりの時間と金がかかっているんだからさ」


「時間をさかのぼる研究かぁ。どういう……。あ、持ってきた?」


 いつの間にかソファの横に『戻るくん』とスマホを持って立っている杉本麦音。


「あ、あのっ」


 杉本麦音は顔を真っ赤にして握り拳を作っている。僕とエモンは何を言いだすのか分からず、続きを待つ。


「今から、三十分、私に時間を貸してくれませんか?」


 また敬語になっている杉本麦音。なぜか、自分のスマホを突き出した。


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