2-3


 その姿が見えると、二人ともペダルを回すことが速くなったのは気のせいではないだろう。


「おおー! デカいし、赤いな、東京タワー!」


 子供のような感想しかとっさに出てこないが、僕らはついに東京タワーの下にたどり着いた。辺りは薄暗く、赤く光り始めている東京タワーの横には一番星が光っている。僕らは自転車から降りて、ヘルメットを外した。


「それで、エモンはどこにいるんだ?」


 僕は雑踏を見渡した後、杉本麦音を振り返った。さすがに夏休みの東京タワーはごちゃごちゃと人が多い。いまさらながら待ち合わせには向かない場所だと思う。


「ちょっと待ってね。エモンくんに電話してみるから」


「その必要はないよ。ここにいるから」


 聞き覚えのある声に振り返る。そこにはスマホをあげて見せている少年がいた。

夏だっていうのに長袖の白いシャツをダボっと着ていて、髪が少し長い。おしゃれで伸ばしているというより、ずぼらで伸びたといった感じだ。たぶん夏休み中に伸びたのだろう。ひょろっとしたやせ型で、見た感じは中学生だ。


「久しぶりだね、麦音」


 同じぐらいの身長の杉本麦音の横に親し気に並ぶ。


「あ、エモンくん。その……」


「よく僕たちのことが分かったな」


 アバターで話していたから、初対面だけど初めて会ったとは思えないエモン。


「そりゃ、自転車に乗った二人組なんて他にいないからさ。麦音もいるし」


 何だか態度が不自然だなと思ったら、一つ理由に思い至った。たぶん親戚の振りをしているんだ。


「あの、エモンくん。実は……」


 杉本麦音がおずおずと切り出す。


「なんだって!? 親戚じゃないことバラした上に、これからの計画も話した!?」


 ひっくり返ったエモンの声に、周りにいた人たちが振り返った。僕は思わず人差し指を口に当てる。


「エモン。声でけぇよ」


「しゃ、しゃべって、ごめんね、エモンくん」


 身を縮めて下を向く杉本麦音。エモンはうるさそうに長い前髪をかき上げた。


「はー、何やってんだよ。適当に誤魔化すってこと知らない訳? でも確かにここでする話じゃないか。とにかく僕の家に行こう」


「それでは、皆さん。こちらへどうぞ」


「「わっ!」」


 いつの間にかすぐ近くに人がいた。白髪をオールバックにしたおじいさんだ。しゃんと背筋が伸びている。この人も暑いのに黒い長そでのスーツを着ていた。


「こいつは僕の執事の峰山」


 エモンが親指を立てておじいさんを指した。僕と杉本麦音は目を白黒させてその峰山さんを見つめる。


「し、しつじ?」


「しつじって、何?」


「使用人って言った方が分かりやすい?」


 いや執事だろうが、使用人だろうが困惑することには変わりない。


「初めまして、環左衛門様の使用人の峰山でございます。それではお二人とも自転車は私にお預けください」


 峰山さんは二つの自転車のハンドルを持って、器用に歩いていく。その先には黒光りしている大きな車が傍付けされていた。


「あれって」


「リムジンとかいうやつ……」


 あんぐりと僕たちは口を開けているとエモンに背中を押される。


「ほら、さっさと乗りなよ」


 グイグイと押されてリムジンの方へ。リムジンは自動的にドアが開き、車内に強引に入れられた。ふかふかの革張りの座席はこの汗まみれの服ではかえって居心地悪い。


「おい。エモンって本当に信用できるんだろうな」


 今更だが僕は杉本麦音に耳打ちした。いきなり黒光りするリムジンに追いやられると、どこかのマフィアかって思えてくる。


「た、たぶん。大丈夫。直接会ったのは今日が初めてだけど」


 それは随分と信用のおける人物だ。後ろのトランクがバタンと閉まる音がして、峰山さんがドアの前で一礼する。


「それでは、出発いたします」


「うん。よろしく」


 エモンが軽く手を上げると峰山さんはドアを閉じ、運転席に移動した。僕らがシートベルトをつけると、リムジンはほとんど音もなく静かに走り出す。


「なぁ、エモン。本当にタイムリープできる薬を作っている会社の息子なのか?」


 密室になったので、僕はさっそく切り出した。


 僕の横にいる杉本麦音は、膝に手を置いてカチコチに固まっていた。電話の時と違って、エモンと気軽に話せないらしい。何となく分かっていたが、やっぱりこいつ人見知りだ。僕の方は少し前のめりになって遠慮なく聞く。


「どうなんだよ、エモン」


「タイムリープじゃなくて、追憶体験。そう確かに僕は阿川製薬の社長の息子だよ。というかさ、仁太はこの計画のこと秘密に出来るの? 友達とかに言ったりしない?」


「こんなん友達に言えるかよ。でも、やっぱり秘密なのか?」


「じゃないと、親戚の振りなんて回りくどいことしないよ。僕たちが行おうとしているのは十年前への追憶体験の実験。いわば人体実験なんだからさ」


「人体実験……」


 やっぱりそうなるのか。


「でも、人体実験と言っても、出来たかどうかはタイムリープした本人にしか分からないじゃないか。大体、十年前にタイムリープなんて本当に出来るのか?」


 本人は過去に行けても、他人の過去は覗けないのだ。


「確かに、過去に戻れたかどうかは本人の自己申告に頼るしかない。今ある薬と同じで実験を重ねてデータを取るしかないのさ。麦音に試してもらう訳だけど、結論からいうと出来る予定だ。僕が盗み見たうちの研究室のデータによるとね」


 ニッと自慢げに笑ってから、エモンは窓の外を流れていくビルに目線をやった。僕も外を見てみるが、鏡のようなビルの壁ばかりで空が全く見えない。やはり目の前のエモンに向き直って、問いただした。


「予定ということは、確定じゃないんだな」


「まあ、まだ使えた試しがないからね」


「使えた試しがない? なんで」


 初対面の杉本麦音を実験台にするつもりだと思うと、自然と言い方も尖ってくる。


「使えないんだよ。僕らじゃね」


 窓の縁に頬杖をついて、目線だけ向けてくるエモン。


「僕らって」


「仁太もって意味」


 使いたいとは思わなかったけれど、そう言われると気になる。


「どうして使えないんだ」


 エモンは窓の外から僕の顔に目線を向ける。


「十年もの過去への追憶体験には条件があるんだ。その一つが戻る時間に何か衝撃的なことがあったこと。つまり、麦音のように目の前で事件が起きたことぐらい脳に衝撃がないと使えない。それこそ、十年経ったいまもその場面を何度も思い出すぐらいにね。一応自分で使ってみたんだけど、十年も前には戻れなかった。せいぜい数か月前。だから僕は探していたんだ。麦音のように何年も事件に執着しているような人間をね」


 杉本麦音の顔を見ると何とも言えない複雑そうな顔で頷いた。


「それを利用して、薬の実験をするのかよ」


 僕は飄々として言うエモンをねめつける。


「なんとでも。大体、十年前の追憶体験をする薬の目的こそ、それだしね」


「それ?」


「昔の事件や事故で苦しんでいる人たちに薬を使ってもらって、心のうちにあるわだかまりを晴らすのさ。事実なんて不確定なものだよ。だけど、そのときの真相をその眼で見ることで、救われるっていう人は必ずいる。麦音や麦音の家族のようにね。それこそ、未解決事件を解決する糸口が見つかるってこともあるかもしれない」


 エモンは口元をにっと吊り上げて、杉本麦音の顔を見つめた。


「ある意味、麦音は世界を救う救世主になるんだ。どうだい、仁太。もう異論はないだろ?」


 救世主? 杉本麦音が?


 横を向くと杉本麦音はキュッと口元を結んで、少しだけ俯き加減で一点を見つめていた。決意は固いらしい。


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