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 つまりはこういうことだった。


 阿川製薬の息子の阿川環左衛門、通称エモンは、十年前に戻る薬の実験が出来る人間を探していた。一方の杉本麦音もタイムリープという薬が販売されるようになり、十年前の真相を知りたいと思うようになっていた。


 エモンと杉本麦音の二人はネット上で出会い、利害が一致したのだ。そしてこの夏、十年前の事件の真相を探る計画は決行されようとしている。


「それで、なんで僕は巻き込まれているんだ?」


 自転車を走らせながら思わずつぶやく。どう考えても成り行きで、としか言いようがなかった。真の目的を知らされたからと言って一人家に帰る気にもならず、僕らはまた東京に向けて、スマホの矢印が示す通り住宅街を走っている。


「やっぱり仁太くんに話さない方が良かったかな?」


「いや、いいんだけどさ」


 しかし、杉本麦音は真相を知ってどうするつもりなのだろう。タイムリープをして姉を押したという犯人が分かった所で証言にしかならない。その証言を元に事件として再調査される可能性は低いだろう。本人はただ知りたいだけだと言うけれど。


 それに十年前にタイムリープするなんて、にわかには信じがたい。だけど、三十分前には戻れるのだ。それを実現させた阿川製薬なら可能なのかもしれない。


「ここまで来たんだし、行ってみないと分からないかもな」


 杉本麦音をそそのかしたエモンに文句の一つも言ってやりたかった。このまま放っておくのも心配でもある。市販もされていない十年前にタイムリープする薬を使って本当に平気なのだろうか。健康に被害があってもおかしくない。


「うん、そうだよね。行ってみないと分からないよね」


 杉本麦音も半信半疑なのだろう。隠し事をしていた時のようにその声は弱弱しかった。


「とにかく、今は腹ごしらえだ」


 僕らは横浜の中華街にまでたどり着いた。この辺りに来ると大分都会になってきている。僕の町ではあまり見かけないドローンタクシーが高層ビルの間を飛びまわっていた。


「お腹、あまり空いてないけど……」


「ここまで来たんだぞ」


 杉本麦音は早く東京タワーの方に行きたそうな素振りを見せたが、そうはいかない。


 杉本麦音の目的は十年前へのタイムリープだとしても、僕の一番の目的は東京観光だった。大体、スマホのルート設定には中華街を通過することになっている。本当にそのまま素通りするわけがない。


「何食べる?」


 自転車を降りて、僕は杉本麦音を振り返る。


「え、えーと、何があるのかな?」


「そりゃ、中華料理だろう。とりあえず肉まんは外せないかな」


 僕らは横浜中華街と書かれた青い看板に真っ赤な柱の門をくぐった。


 夏休みだから人通りは多い。ちょっと邪魔そうに自転車を避けられる。道幅はそれほど広くない道を歩いていくと、両側に食べ物を売る店が軒並みに並んでいた。中華料理店に雑貨店、飲み物を売るスタンド。奥に進んでも進んでも、人がにぎわう店がある。


「お店たくさんあるね」


「ああ。お、さっそく売っているぞ」


 湯気が出ている小さな店に僕は小走りに近づく。店の中ではおばちゃんが竹製のでっかい蒸し器に肉まんを並べていた。一つ三百円。スマホを取り出して注文する。


「おばちゃん、肉まん二つ」


「あ、私はあんまんで」


「はいよ、肉まんとあんまんひとつずつね」


 僕は内心、あんまんかよと思いつつ、薄い白い紙に包まれた肉まんを受け取った。


「でかっ。てか、あっつ」


 熱々で白い湯気が出ている。このくそ暑いのに肉まんは失敗だったかなとも思ったが、一口頬張ってそんな思いは吹っ飛んだ。皮がフカフカで甘い。中の具もジューシーで次の一口をすぐにかぶりつく。汗をかきながら、あっという間に半分無くなってしまった。


「はふ、やけどしそう」


 杉本麦音の方はチビチビ食べている。あんまんなんて肉まんより中のアンが熱そうだ。


 熱いものを食べた後は、冷たいものが食べたくなる。そうでなくてもこの照り付けるような残暑だ。僕らは冷たいものがないか歩いて探して、かき氷を食べることにした。ふわふわの雪のような氷にマンゴーソースがかかっている。果肉もそのまま乗っかっていて、数百円なのにすごく贅沢した気分になった。


 その後も僕は小籠包やゴマ団子や他にもちょこちょことつまんでいく。杉本麦音はタピオカジュースを買ってそれをずっと持っていた。友達への土産にパンダのキーホルダーを、アヤメとユリと颯には杉本麦音の勧めで小さなパンダのぬいぐるみを買った。


 お腹も満足してそろそろ東京タワーに向かおうかという時だった。


「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」


 自転車を押しながら横を歩く杉本麦音が足を止める。僕も止まって声の方を覗き込んだ。二本の線のように目を細めた白髪のおばあちゃんが椅子に座って手招きしている。


「お嬢ちゃん、占って行かない?」


 おばあちゃんがいるのは占いの店の前だった。そういえば中華街って占いも有名なんだよな。隣の店も占いの店で、ここら一帯は占いの通りのようだった。


「あ、えーと」


 話しかけられた杉本麦音は視線をさ迷わせた。


「お嬢ちゃんは占い興味ない?」


「あ、いえ」


 なぜか僕には言わない。おばあちゃんは杉本麦音に向けてだけ言う。しわくちゃな手の平をこちらに見せた。


「時間がないなら、ちょっと手相を見せてくれるだけ。三百円でいいからね」


「いいんじゃない。安くしてくれるって言っているんだから。時間もまだ急ぐような時間じゃないし」


 看板には手相十分千円と書かれていた。おばあちゃんの気まぐれで安くしてくれるなら、占ってみるのも面白そうだ。


「じゃあ」


 杉本麦音は机の横に自転車を立てかけて、おばあちゃんの向かい側の椅子に座った。


「手を貸してね。あら、小くて可愛い手ねぇ」


 占いのおばあちゃんは分厚い手で、差し出された杉本麦音の手を包むように支えた。可愛いかどうかは分からないけれど、確かに小さい手だ。


「何が聞きたいかしら?」


「え、えっと」


「まずはやっぱり金運だろ」


 斜め後ろから杉本麦音の手のひらを覗き込みながら僕は言う。


「そおねぇ。ああ、小指の下に一本線が縦にあるでしょ。財運線っていって将来財産が増えるかもっていう線なのよ」


 おばあちゃんは持っていた赤いペンで、杉本麦音の左手の小指の付け根に線を描いた。僕は自分の手の平を見て、それがないのでちぇっと思う。


「お嬢ちゃんの手相を見て気になるのは、生命線ね。親指の付け根にまるーく、線があるでしょう」


 それは有名な線なので僕でも知っている。僕の手にも親指と人差し指の間から手首の辺りにまで続いていた。


「お嬢ちゃんのは、ちょっと短いわね」


 杉本麦音の生命線は僕の半分ぐらいしかなかった。僕は思わず身を乗り出して聞く。


「それって寿命が短いってこと?」


「えっ、えっ」


 顔を青くさせた杉本麦音は僕の手と自分の手を見比べた。だけど、おばあちゃんはそのふっくらした頬を持ち上げるように笑う。


「そんなことないわ。ただ、ちょっと生活のリズムが乱れているみたい。活力が低くなっているって言った方がいいかしら」


「それは、……そうかも、私体力ないし」


 杉本麦音はしゅんと肩を落した。僕らが出会う前のことなんて知らないけれど、ただ自信がないんだと僕は思った。


「何言ってんだよ。伊豆半島から東京まで自転車こいできたくせに。体力なら十分あるだろ。お前が体力ないって言うなら皆ないぞ」


「あら、そうなの?」


 目を見開いたおばあちゃんは、問う様に杉本麦音の顔を見つめた。杉本麦音はただ無言で頷く。それを見たおばあちゃんはぱあっと笑顔になった。


「まあ、それなら大丈夫ね。頼りになるお友達もいるみたいだし」


 あまり頼られたくはないが、褒められて悪い気はしない。おばあちゃんは杉本麦音の手を合わせて、手で包み込んだ。


「それに、お嬢ちゃんには辛抱強い相も出ているし。ただ、それだけに無理はしない様にね」


「……はい」


 僕らはその占いを最後に、中華街を離れた。大きなビルの間を自転車で走りながら、珍しく杉本麦音から話しかけてくる。


「私って、もしかして幸薄そうに見えるのかな。生命線も短いし」


 占いのおばあちゃんに突然呼び止められたことを気にしているのだろう。


「それか無茶しそうなオーラが見えているかだな」


 杉本麦音がというより、おばあちゃんに特殊能力があるに違いない。きっと他にもいろいろ見えているんだ。


 後から考えると未来さえも見えていたように思えた。

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