2-1 過去への道のり


 僕らは黙ったまま自転車を走らせる。海岸沿いに走って江の島にたどり着いた。江の島には橋を渡っていけるが今回は渡らない。江の島が見える砂浜にチェック柄のレジャーシートを敷いて少し早めの昼ご飯だ。


 僕はあぐらをかいて弁当を広げた。優子さんの弁当にはおにぎりや卵焼き、たこさんウィンナーなど定番のおかずがぎっしり詰まっている。


「それで、なんの目的で東京に行くのさ」


 ミートボールを箸で刺しながら、僕は杉本麦音をねめつけた。杉本麦音は弁当箱を持ったまま、江の島を見つめている。髪の毛だけが風に揺れて、なぜだか彼女だけがこの海岸で時が止まったように感じた。


 ずっと黙ったままかと思ったけど、杉本麦音はゆっくりと口だけを動かす。


「……お姉ちゃんに会いに行くの」


「は?」


 今度は僕の時が止まる番だった。杉本麦音の姉は亡くなったはずだ。それとも嘘をついてこの場をやり過ごそうっていうつもりなのか。


 だけど、違った。


「私には十歳年上のお姉ちゃんがいたの。でも、十年前に死んじゃった」


「……知っている。母さんからこれ送られてきたから」


 僕はスマホを操作して写真を見せた。杉本麦音はわずかに顔を緩める。


「この写真、うちにもあるよ。その時の事、少しだけ覚えている。帰る時、仁太くんがまた来いよって言ってくれたの。それだけだけど嬉しくて。たぶんすごく楽しかったんだと思う」


 一歳しか違わない僕は全然覚えていないのに、よく覚えているな。杉本麦音だって五歳ぐらいだったはずだ。


「お姉ちゃんの名前はコパンっていうの」


「変わった名前だな」


 僕は素直な感想をもらした。


「お母さんが、好きだったアニメのキャラクターからつけたんだって。コパンちゃんって、パンダの子供のアニメ。お姉ちゃんって可愛くて綺麗でしょ?」


「まあ、うん」


 僕は素直な感想を漏らす。ただ単に綺麗というよりも、にこやかに笑った顔は健康美というのが一番近い気がする。


「このすぐ後に、オーディションに受かってアイドルになったんだ」


「アイドル?」


 僕はスマホに写る杉本麦音の姉をまじまじと見つめる。確かに可愛いけれど、それほどまでとはさすがに思えない。


「トライアルっていうアイドルグループで、毎週のように東京でライブをしていたの。アルファベットでARって書いてトライAR(ある)。昔は東京に電車で通えるところに住んでいたし。だけど」


 だけどの続きは何となく分かった。


「だけど、ライブ中、舞台に置かれていたライトが倒れてきて……。下敷きになって死んじゃったんだ」


「そう、だったのか」


 それ以上何とも言えず、僕は海の打ち付ける白い波を見つめる。


 会ったことがあるお姉さんが、そんなことになっていたなんて知らなかった。親に聞かされたかもしれないけど、小さすぎて覚えていないのかもしれない。


「だから、お姉ちゃんと同じ年になったこの夏に東京に行ってお姉ちゃんを供養する」


 言ってみればお墓参りのようなものだ。自然と納得する自分がいた。


 だけど、その後の言葉は予想外のものだった。


「そう、お母さんやお父さんは思っているはず。仁太くんのおばさんや、おじさん。優子さんも」


「ん? 思っている、はず?」


 僕は顔を上げて杉本麦音の顔を見つめる。どこか決意を込めた瞳は目の前の海に向けられていた。


「……私。お姉ちゃんが死んだとき、ライブ会場で見ていたの。すぐ近くで。お姉ちゃんは踊っている時に誰かに背中を押されて、その後ライトの下敷きになったの」


「それって……」


「うん。事故ってことになっているけれど、本当は事故なんかじゃない。倒れてくるライトの下に誰かに押されて、殺されたの」


 衝撃的なことを言う杉本麦音に僕は絶句した。ずっと前を向いていた杉本麦音が僕の顔を振り返る。その眼には何かの意思が燃えているように見えた。


「知っているよね。タイムリープは全部が全部禁止されている訳じゃないって」


 確かにタイムリープ出来る薬、『戻るくん』は販売を中止された。だけどその有用性が認められて、一般ではなくある特定の場所では使われている。


「……事故や事件が起きた時」


「うん。警察が捜査に使うために、全国の警察署や交番には配布されている。みんな知っていることだよね」


「いや、だけど証拠じゃなくて証言になるってだけだし」


 警察はその場にいた人間に同意してもらえれば、犯人の人相や特徴を得るためにタイムリープの薬を任意で使ってもらうことが出来る。


 強盗事件などが一番よく使用されるらしい。事件が起こった当初は動転して気を付けて見ていなくても、もう一度意識してみればかなり緻密な精度の犯人像が出来上がるのだ。これによって迅速な逮捕が可能になった。


「それでも私は確かめたいの。お姉ちゃんが誰に押されたのか。戻ってもう一度見てみれば分かるかもしれない」


「だけど!」


 僕は思わず立ち上がって叫んだ。海辺を散歩していた老夫婦が怪訝そうに振り返る。老夫婦がいなくなるまで待って、僕は少しトーンを落として話す。


「だけど、お姉さんが亡くなったのは十年も前の話なんだろ? タイムリープが出来るのはせいぜい三十分かそこらじゃないか」


 杉本麦音は僕の顔を真っ直ぐ見て、こくりと頷いた。


「そうだね。でも、それはあくまでも市販の薬の場合。今から会いに行くエモンくん」


「エモン?」


 なんで、ここでエモンの名前が出てくるのか。


「実は、エモンくんは私の親戚じゃないの。ネットで知り合ったんだけど、彼は阿川製薬の息子で、十年前にタイムリープが出来る薬を持っているの」


 阿川製薬。


 それはタイムリープという超常現象を再現させてみせた製薬会社の名前だった。


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