1-13


 この晩、まだ五歳のチビ達に合わせて早く床に就いた。


 颯のベビーベッドのある畳の部屋に布団を四つ並べて、僕は一番端っこ。アヤメとユリがいて、優子さんがいて、窓際には杉本麦音が転がっている。


 まさか全員で雑魚寝とは。敷かれた布団を見て僕だけは別の部屋がいいんじゃないかと聞いたら、優子さんにそんな部屋はないと言い返されてしまった。


 ジーという虫の鳴き声だけが聞こえる。まだ早い時間のこともあって目はさえている。健やかな寝息を立てお腹を出しているアヤメとユリ。優子さんも育児で疲れているようでよく寝ているようだ。颯も今の所夜泣きもしない。


 僕は彼女たちに背を向けてスマホの画面を見つめる。母さんから送られてきた小さい頃の写真がそこには映し出されていた。杉本麦音は家には来たことがあると言っていたから、その時のものだろう。この三人が並ぶ写真を見ていれば何か思い出すかと思ったけれど、全く思い出せない。


 ごそごそと何かが動く気配がした。振り返ってみると杉本麦音が立ち上がって、隣の部屋に行くところだった。たぶん僕と一緒で眠れないのだろう。スマホの画面の時刻はまだ十時だ。冷房は効いているが、ユリが背中にくっついてきて暑い。


 麦茶でも飲むか。冷蔵庫の中の麦茶はいつでも飲んでいいと優子さんに言われている。僕は立ち上がって隣の部屋、リビングと寝間とを区切る襖を開けた。


「え、あ、仁太くん」


 杉本麦音はリビングのソファに座って、スマホを横向きに見ていた。イヤフォンもつけているから何か動画を見ていたのだろう。ただ、僕を見るとさっとイヤフォンを外した。隠すような仕草でソファにスマホ画面を押し付ける。


「別に構わないけど。音漏れもしてないし」


「あ、あ。そっか」


 目をさ迷わしたり、腕をこすったり。杉本麦音はいつもより挙動不審だ。僕はキッチンのほうに行って、水切りラックからコップを二つ取り出した。


「僕は麦茶を飲みに来たんだけど、飲む?」


「私は、のど乾いてないし、いいや。おやすみなさい」


 ソファから立ち上がって、そそくさと寝床に戻っていく杉本麦音。


「おやすみ」


 そんなに警戒しなくてもいいのに。けど、僕は見てしまった。杉本麦音が寝間へと戻るその一瞬、スマホを持つ手に銀色に光るスティックがあったのを。


 こんな時間に、いや、こんな時にタイムリープ? 花火をしている時に戻ろうとしていた? そんなの、もうとっくに三十分以上経っている。三十分前は寝ていただけだ。


 僕の家でタイムリープしていたことといい、杉本麦音という人物がますます何を考えているか分からなくなる。とりあえず僕は冷蔵庫のドアを開けた。




  ◇ ◇ ◇




 小田原の仁太くんの親戚の家に、小さい子たちがいたことにはびっくりした。普通に考えたら、よくある家庭なんだけれど、私の家に親戚付き合いは全くない。この夏もお盆はお母さんと二人、自宅のアパートでむかえた。


 優子さんとカレーを作った。明るくて優しい人。きゅうりが繋がっていても、気にしない気にしないと言ってサラダに入れる。大雑把な人でもあった。


 仁太くんに夏休みは友達の家に行ったと言ったことは嘘だった。


 海も、プールも、お祭りも。夏らしいことなんて、一つもしていない。


 でも、アヤメちゃんとユリちゃんと花火をした。自転車をこぎながらだけど、海も見た。


 仁太くんはもうすぐ夏が終わるって言うけれど、私の夏は始まってもいなかったんだなって思った。




  ◇ ◇ ◇




 朝。僕はとても乱暴な方法で起こされた。


「おはよー!」「おはよー、仁太兄ちゃん!」


「ぐえっ!」


 アヤメとユリの二人が気持ちよく眠っている僕の腹の上に乗っかってきたのだ。


「こらっ、何すんだよ!」


「「きゃー」」


 僕が飛び起き叱っても、二人ははしゃいで転がりながら走っていくだけ。


「おはよう、仁太くん」


 隣の部屋から杉本麦音が顔を出した。


「うーん、おはよう」


 僕はまだハッキリとは目が覚めなくて目元をこする。


「もう、八時だよ。そろそろ起きて準備しよう」


 頭をかいて枕元に置いてあったスマホを見ると八時五分前だ。


「うし。行くか」


 僕はひょいっと立ち上がった。何はともあれ、今日は東京だ。


 子供たちに合わせて、テレビは子供向けの元気っキーズという子供番組を流している。朝食を食べ歯磨きをして、動きやすい服に着替えた。出発準備が整うと、優子さんたちとは一度お別れする。


「また来てね、麦音ちゃん」「約束だよ」


「うん。約束」


 玄関先で、杉本麦音にアヤメとユリが抱き着いている。散々遊んでやった俺は? と思うけれど、俺には次の正月には会えるが、杉本麦音には会えない。


「というか、帰りにはまた寄るんだし」


「これ、お弁当」


 弁当箱は前日に洗っていたのだが、渡された弁当箱はずっしり重い。僕は弁当箱と優子さんの顔を見比べる。


「え。優子さん、弁当作ってくれたの?」


「そうよー、優子お姉さんに感謝してね」


「あ、ありがとうございます」


 同じく弁当箱を受け取った杉本麦音は、しっかりと腰を折り曲げた。わずかに笑って優子さんは軽く手を振る。


「いいのよ、これぐらい。アヤメとユリの面倒見てもらったし。それじゃ、気を付けて行ってらっしゃい」


「「いってらっしゃーい」」


 チビ達は元気に大きく手を振った。


「行ってくるね」


 杉本麦音がまた屈んで手を振る。





 

 優子さんの家、小田原からさらに東へ。東海道を走る。


 海に沿った平坦な道のりだし、慣れてきたのか杉本麦音は随分余裕そうに見えた。出会った最初のころのようによろよろ蛇行したり、怯えたような表情はしたりはしていない。ガードレールの外側は車も走るけれど、向こうから少し避けて通ってくれる。


「集合場所は東京タワーだよな。エモン」


『そう。僕の家からも近いし、分かりやすくていいだろ』


 ハンドルの中央にあるスマホでは、レモンに乗ったサルがこちらを見ている。予定通り出発したことを報告するのに、走りながら通話しているのだ。向こうには僕のアバターの狸が喋っているはずだ。


「って、東京タワーから近い家って、どんだけ都会なんだよ」


『まあ、仁太の家よりも都会だろうね』


 間違いないので何も言えない。前の日に話した時も思ったけれど、エモンは初対面なのに遠慮がない奴だ。


「仁太くんの家、そんなに田舎じゃないと思うけど」


『どっちでもいいんだよ、麦音。それより途中、観光地にも寄るんだろ。楽しんできなよ。明日からは僕の用に付き合ってもらうんだからさ』


 僕の用? 杉本麦音はただエモンの家に遊びに行くだけじゃないのか?


「……分かっているよ、エモンくん」


『じゃあ、着く前には連絡しなよ』


 返事を聞く前にエモンのアバターは消えた。僕は車が来ていないことを確認して、杉本麦音の横に並ぶ。


「なぁ、用って何? 東京に行って何かするとか具体的に聞いてないけど。秋葉原に行くってだけで。本当に行くの?」


 尖っていると自覚のある声で聞く。


「あぁ、えっと、秋葉原には行くよ。実際には付き合ってもらうのは、私じゃなくてエモンくんで……。大した用事じゃないんだけど」


 ごにょごにょと弱弱しい杉本麦音が戻ってきた。たぶん何か隠し事をしている時、声が小さくなってしどろもどろになる。最初の時もそうだった。杉本麦音は、店に現れた時からずっと何かを隠しているようだ。


「杉本麦音が東京に行く本当の目的って何? 単に遊びに行くだけじゃないよね」


 僕は戻れないはずの境界線を思ったより軽々と越えた。あの写真を見て、亡くなったお姉さんの存在を知って、もう我慢が出来なかったのだ。


「……それは」


 杉本麦音は続きを言わない。でも言わないからこそ、肯定しているようなものだった。


 僕が予想していた通り、杉本麦音には東京に遊びに行くだけではない、隠している目的があった。


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