2-5

  ◇ ◇ ◇


 仁太くんにお姉ちゃんのことを話した。


 エモンくんに話した時と同じ、すごく勇気が必要だった。


 だけど、あの明るくて可愛いお姉ちゃんのことを考えたら、すらすらと言葉が出てきた。そして、二人にお姉ちゃんのことを見て欲しいと思った。


 あの、私の自慢だったお姉ちゃんを。


  ◇ ◇ ◇


 あ、始まった。


『こんにちは! トライARのラッキーナンバー7、一之宮コパンです! 今日は何と トライARの楽屋裏を紹介します!』


 銀色のシュシュで黒髪を頭の横に結んだ女の子。杉本麦音の姉、コパンさんだ。

生きていれば二十六歳。青いピッタリとした動きやすそうなショートパンツの衣装。肩や腰など所々にフリルがある。狭い廊下からこちらに向かって手を振っていた。


 僕らはエモンの家のリビングにある大画面のテレビで十年前の映像を見ていた。


『それではー、楽屋裏にトライ!』


 母さんから送られてきた写真では大人びたお嬢様みたいな雰囲気だったコパンさん。それとは対照的に元気いっぱいに喋っていた。


 カメラはコパンさんの背中を映しながら、楽屋に入っていく。中はそれほど広くない。ひしめくように何人もの女の子たちが楽しそうにおしゃべりしていた。


『さっそくメンバーの春香ちゃんがヘアセットしていますよ。セットしているのもメンバーの三奈ちゃんです。今日の春香ちゃんはどんな髪型にするんですか?』


 コパンさんは手にしていたおもちゃのマイクを二人に向けた。


『今回はコパンちゃんが司会進行なんだね。今日の春香ちゃんはポニーテールでーす。可愛い髪飾りで結びまーす』


 化粧台の大きな鏡の前にいる二人が、鏡越しにカメラに向かって手を振る。アイドルやっているだけあってどちらも可愛い。たれ目の三奈という子は、どこかで見たことがあるような気がした。


 コパンさんは楽屋で準備をしているメンバーを次々に紹介していく。みんなアイドルスマイルで手を振って応えていた。十人ほどの女の子たちを紹介してこれで終わりかという時だ。


『あれっ!? あそこにメンバーじゃない子もいますよ!』


 コパンさんはわざとらしい、演技とすぐ分かるような声を出した。カメラがぐぐっと壁際に寄っていく。そこにいたのは、子供時代の杉本麦音だった。写真とほぼ同じ姿だ。見るからに緊張していて、口を切り結んで気を付けしていた。


 コパンさんは杉本麦音と目線が同じになるように屈んで、こちらを見た。


『はいっ。紹介します。私のSNSをフォローしてくれている人は知っているかな? 私の大好きな妹の麦ちゃんでーす。十歳も年が離れているんだよ。麦ちゃんは私の事をすっごく応援してくれていて、こうやって毎回ライブにも来てくれるんだ! 麦ちゃん、はい。ご挨拶』


 コパンさんは小さな杉本麦音におもちゃのマイクを向けた。


『一之宮麦音ですっ。コパンお姉ちゃんをよろしくお願いしますっ』


『ははっ。私をよろしくだって。可愛いでしょ。将来はお姉ちゃんと同じアイドルになるのかな?』


 ブンブン首を横に振り、否定する杉本麦音。


『お姉ちゃんのマネージャーさんになるの』


『うーん。それって何年後? でも麦ちゃんが大人になるまでにトップアイドルになっているように頑張りまーす』


 杉本麦音はこくこくと首を立てに振る。最初から最後まで緊張していた。コパンさんのアップに切り替わる。


『それでは、皆さんお待ちかね! トライARのライブ、スタートです! 進行は一之宮コパンでした! バイバーイ』


 画面が一度暗くなる。白字でトライAR定期ライブと浮き上がってきた。


 メンバーの一人が先に舞台に出てきて元気に挨拶する。その後残りのメンバーが次々と出てきた。


 その中にコパンさんもいる。たぶん数台のドローンで撮影しているのだろう。メンバーの顔のアップが次々に映し出された。みんな耳に着けるタイプのマイクをしている。


『まず一曲目はトライAR最初のオリジナル曲「トライアルノミ」聞いてください!』


 十人ぐらいいる中、コパンさんが舞台の中央でスタンバイした。


 コパンさんの典型的なリズムカウントで曲が始まる。応援歌のようで、誰か励ますような歌詞にアップテンポな曲だった。どこかで聞いたことがあると思ったら、杉本麦音のスマホの着信音に違いなかった。


 アクロバットな演出もあり、間奏では左右の幕にはけて、そこから側転をするメンバーも。画面にはあまり映らないがファンも会場にいるようで、野太い声が反響する。


 オリジナル曲が終わった後は僕も知っているような有名な曲を歌い、MCはほとんどなく、二十分ほどでライブ映像は終わった。





 映像が終わるとピッと音がなって暗くなっていた部屋が明るくなった。


「お前の姉さん、頑張っていたんだな」


 僕はテレビを見つめたままの杉本麦音に話しかける。


「センターで歌っていたし、すごいじゃん」


「あ。違うんだ」


 違うとはどういうことだろうと思うと、杉本麦音はいつもより目を輝かせて語りだした。


「トライARはオーディションで合格した十一人で構成されているんだけど、ネット投票でナンバーが決められているんだ。もちろんナンバー1は一番得票数が高かった子。それから順番に他のメンバーがいて、ナンバー7がお姉ちゃん。中間よりちょっと下ぐらい。あんなに可愛いのにびっくりだよね。ナンバー1とはいかなくてもナンバー3ぐらいには入ってもおかしくないと思っていたんだけど。

で、トライARの初めてのオリジナル曲、トライアルノミはナンバーとかは関係なく、ライブごとにセンターを変えて歌うんだ。この映像の企画は順番に司会進行することになっていたから、お姉ちゃんがセンター。この時も私はライブ会場の最前列で見ていたんだけど、やっぱりライブ映像はいいよね。私、当然だけど背が低くて、前の方に陣取っても全体が見えなくなるから、お姉ちゃんが反対側で歌う曲とか全然見えなくて」


 僕とエモンは口も挟めず、いつもより早口の杉本麦音の高揚している顔を見ていることしかできなかった。


 これはまさしく、アイドルオタク&シスコンだ。


「……でも」


 何かを思い出したのか杉本麦音は勢いを止める。それまでの生き生きとした笑顔もみるみるうちに消えてしまった。


「この映像の十日ぐらい後に死んじゃうんだ」


「……そっか」


 確かに映像の中には大きなスタンドライトが写っていた。あれの下敷きになったかと思うといたたまれなくなる。


「それはいいんだけどさ」


 何がいいのかとエモンの顔を見る僕と杉本麦音。


「戻らなくていいの? 三十分前に」


「あ、うん。そうだね」


 思い出したように杉本麦音はテーブルに置いていた戻るくんを手に取り、中を露出させて容器を指で捻った。


「また、見ればいいじゃん」


 僕は杉本麦音ではなくエモンの顔を見てテレビを指さす。わざわざタイムリープしなくたって、もう一度映像を再生させればいい。時間はまだ早いし僕たちに遠慮をしているという訳でもなさそうだ。


「まぁ、僕もそう思うけどね。でも、麦音がもう一度体験したいと思うのはこの三十分間の映像だけだってことだよ」


 もう一度体験したい最高の瞬間。


 それが昔のライブ映像? 


 確かに杉本麦音の興奮度合いは自転車で坂を下った時の比じゃない。チビ達と一緒にした花火の時ですらない。昨夜もライブ映像をスマホで見て、タイムリープしようとしていたのだろう。


 そんなことを考えている内に、杉本麦音の一分間の時間移動は終わる。


「お待たせ」


 全く待っていないのに杉本麦音はそう言った。エモンが口を開く。


「それで明日の予定なんだけど」


「なぁ、十年前にタイムリープして人体には本当に影響ないわけ?」


 話の腰を折った僕に視線が集まった。エモンは了解しているといった風情で頷いた。


「追憶体験な。実際の所、全く影響がないとは言えない」


「え」


 てっきり無害で通されるだと思っていた僕は固まる。人差し指を立てるエモン。


「いいかい。『戻るくん』、正式には追憶体験薬は脳神経に三十分前の感覚をもう一度脳に再現するように信号を出す。視覚や聴覚、嗅覚、味覚、触覚。全部にね」


 エモンは分かりやすいようにか、目や耳を指さした。


「記憶の中から多少無理に引きずりだすんだ。三十分前ぐらいなら軽い信号でいいものの、十年前となるとそうはいかない。より強い刺激にはなる。僕も試しに使ったことはあるけれど、目まいがする程度だった。だったけど、それは僕の場合だ。他の人がその程度で済むかどうかは分からない」


 エモンはポケットから銀色の小さなケースを取り出す。人差し指と親指でつまんで緑の液体が入った立方体のガラスを僕たちに見せてきた。小さなサイコロサイズだ。


「これを顔の前で一気に壊すんだけど。どうする? やめる? 麦音」


「もちろんやめないよ」


 杉本麦音はすぐに断言する。そりゃ、前例が目まいがする程度では引かないだろう。エモンはニヤッと笑う。


「いいね。これは麦音に渡しておくよ」


 立方体の緑の液体、追憶体験薬はケースに入れられ杉本麦音の手の中に納まった。杉本麦音はそれを大事そうに手で包む。


「それで明日の予定だけど、十年前に戻るにはさっきの映像が撮られたライブ会場に行かないといけない。欠けている記憶の補完をするんだ。脳への刺激にもなる」


「じゃあ、明日はそのライブ会場に直行して、タイムリープして終わりか」


 僕はこんなこと早く終わらせたかった。事件か事故か。犯人が分からなくてつらいのなら知ればいい。しかし、杉本麦音は気まずそうに目を伏せる。


「それが……」


「麦音は会場の正確な場所を覚えていないんだよ。ネットで調べても十年も前の事じゃ調べきれなかったからね。だから明日はその施設を探すことからスタートだ」


 エモンの言うことに僕はわかったと一言だけ答えた。


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