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 その後も海沿いの道に自転車を走らせた。勾配もないので、順調だ。銀色の車体に緑色の横線が描かれている電車と並走する。快晴の下、照らされた海は光を反射させ、涼しい風を僕らに送ってきていた。その風が汗を吹き飛ばすが、日差しが肌を刺し次々に汗を噴出させる。


 熱中症にならないように何度も休憩をいれて、日が落ちてくる前に小田原に着くことが出来た。


「結構街なんだね」


 杉本麦音は物珍しそうにきょろきょろ辺りを見回していた。僕の家があった町と比べて言っているのだろうか。それとも自分の住んでいる街と比べて言っているのだろうか。


「あ、お城。こんな所から見えるんだ」


 電車の線路沿いの県道を走っていると小田原城がその姿を見せた。壁が白くて僕らがイメージする日本の城そのものの小田原城。僕は自転車を止めて、後ろを振り返る。


「せっかくここまで来たんだし、寄っていく?」


 杉本麦音は僕と城を見比べた。


「行ってみたい気もするけれど。もう夕方だし、仁太くんの親戚の人を待たせるのは悪いよね」


「じゃあ、明日にでも行くか」


「あの、それも……。出来たら東京に早くいきたいから。それとも仁太くんは寄りたい?」


「まぁ、僕はどっちでもいいんだけど。行ったことあるし」


 自転車だと中々苦労しないと来られないけれど、僕の家から電車だとすぐにつく。僕はいつでも来られるのだ。


 そう言えば、杉本麦音がどこから来たのかも聞いていない。どこか遠い所からだとは思うけれど。どうでもいいことばかり聞いて、肝心なことは聞いていない。なんだか一度踏み込んだら、抜け出せないような何かを杉本麦音から感じているからだ。


「親戚のうちは住宅街だから、こっち」


 僕はスマホのナビに従って小田原の街を進んでいく。川幅の広い酒匂川の鉄橋を渡って少し行ったところに目的地はあった。家に行くのは僕も初めてだからスマホを見ながらナビゲートする。


「ここの三階だってさ」


 たどり着いたのは昔ながらの団地だ。壁がくすんだクリーム色で、建物の前には子供たちが遊ぶ簡単な遊具、ブランコや滑り台もある。


 二人とも自転車から降りてヘルメットを外す。横に並ぶ杉本麦音は緊張しているようで、しきりに髪を触っていた。


 駐輪場に鍵をつけて自転車を止め、エレベーターもないので外階段を上がっていく。杉本麦音は二階の時点で足がふらついていて、手すりを使って登っていた。当然だろう。慣れない自転車で何時間も走ったのだから、足もパンパンのはずだ。


 焦げ茶色の扉の前で二人並び、僕がチャイムを鳴らした。返事がないのでもう一度鳴らす。


「留守かな?」


「そんなはずはないけど」


 僕が言うのと、ガチャと勢いよく扉が開くのと同時だ。


「いてっ」


 僕は顔を打ちつけられた。


「「いらっしゃーい! 仁太兄ちゃん」」


 楽しくてしょうがないという様に笑う、同じ顔のチビ達が扉から顔をのぞかせていた。


 チビ達の後ろから快活な声がする。


「いやー、待っていたわよ。君たち! 昨日おばちゃんから連絡あったときはびっくりしたけれど、ちょうどいま旦那が出張中でさ! さぁ、中に入って、入って」


 案内してくれたのは、生まれて半年も経たない赤ちゃんを腕に抱えたママさん。本条優子さんだ。


 ちょっとふくよかで、頬にはいつもえくぼが出来ている。優子さんは僕の父さんの姉の娘、つまり僕のいとこだ。三人の子持ちで、五歳で双子のアヤメ、ユリ、生まれて半年も経たない赤ん坊の颯。お盆の親戚の集まりで、この前会ったばかりだった。


「ほらほら、お客さんよ。アヤメ、ユリ、片付けて!」


 通されたリビングには、ピンク色多めなおもちゃやぬいぐるみが散乱している。


「あ、あの、今日はお世話になります」


 後から来た杉本麦音は深々と頭を下げた。その頭に颯が小さな手を伸ばして、あうあう言いながら杉本麦音の頭を叩く。その手を優子さんが掴んで離した。


「ほら駄目よ。あなたが杉本麦音ちゃんね。よろしく。自転車こいで汗びっしょりでしょ。お風呂沸かしておいたから入っておいで。はい、これに着替えてね」


 優子さんはダイニングの椅子に置いていた着替えを差し出す。


「あ、でも」


 着替えと僕を見比べる杉本麦音。僕は背負っていた荷物を床にどさりと降ろした。


「入ってきなよ。僕は後でいいからさ」


 優子さんもうんうん頷いている。いつも自転車を走らせている僕よりも、杉本麦音の方が疲労もたまっているはずだ。それでも逡巡していたが、杉本麦音は優子さんから着替えを受け取る。


「それじゃ、お先にいただくね」


「お風呂場はこっちよ」


 優子さんに連れられ風呂に案内された。さて、僕も風呂の順番が来るまでゆっくりしようとしたけれど。


「仁太兄ちゃん、遊んでー!」「仁太兄ちゃん、遊ぼうー!」


 双子のアヤメとユリが両側から僕の手を強引に引く。


「あー、なんだよ。もう」


 僕は無理やりリカちゃん人形の家の前に座らされた。


「僕だって、疲れているんだけどー」


「じゃ、私、夕飯の準備をするからアヤメとユリの相手よろしく」


 優子さんは手を挙げて、さっさとキッチンの方へ引っ込んだ。どうやら僕は客人とは違うらしい。逃げ場はどこにもない。


「しょうがないなー」


 結局、僕はチビ達の相手をするはめになった。リカちゃん人形でやる遊びは、もちろんおままごとだ。


「仁太兄ちゃんはねー」


 アヤメがうーんと首を捻って、役柄を考える。


「なに、お父さん? お兄ちゃん?」


「ペットのベス!」


 アヤメの言うことにガクッと来る。別になんでもいいんだけどペットかよ。


「それは犬なの? 猫なの?」


「しー、ペットは話さないのよ」


 せめて何の動物か教えて欲しい。しゃべらなくていいなら楽だけれど。


「それじゃ、始まり始まりー。おかえりなさーい、あなた」


 寝そべったアヤメは、ハウスの中でリカちゃんの手を上げさせた。


「ただいま。今日も疲れたよ」


 ユリもリカちゃんを歩かせて、ちょっと低めの声を出した。どうやらリカちゃん同士で夫婦を演じているようだ。リカちゃんパパやママはないのだろう。


「あなた、ベスにご飯あげてね」


「ほら、ベス。ごはんですよ」


 僕にプラスチック製の目玉焼きを渡してくるユリ。仕方なく、犬のようにそれを食べたふりをする。満足そうににんまりしたユリに小さな手で頭を撫でられた。


「いい子ね。ベス」


 その後もしばらくおままごとに付き合っていると、杉本麦音が髪から雫を垂らしたまま、風呂から出てきた。


「待たせちゃって、ごめんね。お風呂空いたよ」


 優子さんに借りた服は杉本麦音には大きくて、ぶかぶかのTシャツに短パン。なんだか見てはいけないものを見た気がして僕は目を反らす。そんなに急いで出てこなくていいのに。


 だけど、これでやっと一人で休める。


「んじゃ、僕も汗を流してくるか」


「えーっ」「まだ終わってないよ」


 チビ達はブーブー文句を言うが、無視して風呂場の方に行く。


 脱衣所にはまだ湯気が残っていた。数分前まで杉本麦音が入っていたと思うと、一人気まずい思いをする。いやいや別にやましい気持ちがあるわけじゃないと、首を振ってTシャツを一気に脱いだ。それと同時にガチャリと背中のドアが開いた。


「え」


 杉本麦音が忘れ物を取りに来たのかと思って振り返る。


「仁太兄ちゃん、アヤメも入る!」「ユリもー」


「げっ」


「ごめん、仁太くん。チビ二人、お風呂に入れてやって」


 優子さんがドアの隙間から顔を出して、ちゃっかりチビたちを脱衣所に入れてきたのだ。


「いや、子供と風呂なんて入ったことないけど」


 僕は当然一人で入りたい。


「アヤメ、自分でできるもん」


「ユリ、パパと一緒の時はブクブクするの」


「はあっ!?」


「じゃ、よろしくー」


「いや、よろしくって! 優子さん!」


 間違いなくチビ達の面倒を押し付けられていた。チビ達は自分たちであっという間すっぽんぽんに。そのまま風呂場にかけこんでドボンと飛び込む。


「あっ! こら! 身体洗ってからだろ。っておい!」


 アヤメとユリは僕にお湯をバシャバシャとかけてきた。僕は暴れる二人を捕まえようとする。


「ほらっ! 洗うぞ!」


「「キャー」」


 結局、チビ達がバシャバシャと暴れて休まる暇はなかった。


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