1-6

 僕たちは道路の脇の木陰に避難する。自転車をコンクリートブロックの壁に立てかけ、背負っていた荷物を足元に置いて休憩に入った。


「え! 飲み方が分からない!? 聞けよ!」


 中々、水分補給をしようとしない杉本麦音に聞くと、そんな答えが返ってきて思わず怒鳴ってしまった。


「わ、分からなかったし、それに付いていくのに必死で」


 汗をかきまくっているくせに、なんと杉本麦音はまだ一度も水分補給をしていなかったのだ。ジリジリと日差しが照り付ける中、よく我慢できたものだ。熱中症で倒れたらどうするんだよ。


「ほら、ここを捻って軽くボトルを押せば出るから」


 自分のボトルで実践してみせる。飲み口の近くにある栓をOPENの矢印の方向に回すだけだった。まさかそんなことも分からないなんて。


「そ、そっか。こう」


 杉本麦音はさっそく自分のボトルを掴み、言われた通りに捻って飲み口に口をつけ、勢いよく喉を鳴らした。仰いだ首筋に汗で濡れた髪が張り付いている。天を仰ぎ、目を閉じて、ふーっと息を吐いた。


 一息ついたところで僕は何か話題を探す。


「あのさ。なんでウチに来たの?」


 僕はタイムリープのことを聞くのを避けた。違法と言われるタイムリープには関わりたくない。販売中止になったとはいえ、薬はネットで出回っている。こっそり手に入れている人もいるらしい。かなり高騰しているけど。


「東京に行くつもりなら親戚の家に直接行けばよかったじゃないか。わざわざ遠回りして自転車で行かなくてもリニアとかですぐ着くだろ」


 金も持っているみたいだし、という言葉は飲み込んだ。


「……リニアや飛行機に乗るには、未成年だと親の許可がいるから」


「……なるほど」


 昔は許可が要らなかったらしいが、未成年が遠くに行くことができる交通機関に乗るには、親の許可証をスマホに登録しなければならない。そう法律で決まっているのだ。


 それなのに遠出を強行する杉本麦音には親の許可がない。つまりは家出同然で旅に出たのだ。母さんと麦音の親父さんのやりとりの様子から言っても間違いないだろう。きっと困った娘を持った父親に母さんは言われたんだ。うちの娘に夏休み最後の思い出を作ってやってくれって。


「あ!」


 僕は思わず声を出した。


「ど、どうしたの?」


「よく考えたら、自転車じゃなくて普通に電車に乗っていけばよかったじゃん」


 それならわざわざ自転車で小田原に寄らなくていい。リニアよりは時間はかかるけれど、東京まで安全かつ快適に東京に行くことが出来る。


「そ、そっか。私、仁太くんの家に行くことばっかり考えて、なぜか自転車で行くとしか考えてなかった。でも、おばさんたちが電車で行くこと許してくれたかな?」


「……ダメだな。やっぱり親を呼ばれてゲームオーバー」


 自転車だから、僕が一緒だから行くのを許可してくれたんだ。僕はただのお目付け役。杉本麦音がまた無茶をしないか見張らせているんだ。そして、きっと店のブログには、息子が東京へ自転車旅に出たとか書いているに違いない。そういう親だ。

肩を落した俺に杉本麦音はくすりと笑って青い空を仰ぐ。そういえば、ささやかな笑みだけど笑顔を見たのは初めてだ。


「東京に行く前に寄ったのは、仁太くんの家には昔行ったことがあって。もう一度行ってみたいって思っていたんだ」


「え、いつ?」


「すごく小さい時。忘れちゃっているよね」


 なんだ。昨日会ったのが初対面じゃなかったんだ。ただ、記憶をたどってみても杉本麦音は出てこない。きっと本当に小さな時だったのだろう。


 ~♪ ~~♪


 しばらく黙っていると、杉本麦音のリュックからリズミカルな音楽が鳴り始めた。


「電話だ。ちょっとごめんね」


 杉本麦音はしゃがみ込んで、側面のポケットからスマホを取り出す。もしかしたら父親か母親がやっぱり心配してかけてきたのかもしれない。帰れって言われたら、ここまで来たけど帰るしかないな。杉本麦音は画面を確認してから耳元にスマホを当てる。


「はい」


 電話に出た声は少し硬かった。手持ち無沙汰な僕もスマホを自転車から外して、グループの友達にこれから東京に行ってくるとメッセージを送る。


「うん。うん。大丈夫、順調。うん、そっちは?」


 どうやら杉本麦音の電話の相手は両親ではないらしい。あまり聞き耳を立てるのも悪いので、自分のスマホに集中する。暇していた友人たちから次々に返信があり、それに今の困った状況を伝えた。すると、Tシャツの端をツイツイと引っ張られる。


「あの、仁太くん。これから行く東京の、その、親戚の子が話したいって言うんだけど」


「これから会う子か。いいよ」


 どんな子だろうか。少し緊張して居住まいを正す。


「アバター出すね」


 杉本麦音はスマホを上に水平にして、画面をタッチした。スマホの上に立体ホログラムのアバターが現れる。レモンの上に黄色いサルが乗っているアバターだ。そのサルが笑みを浮かべたまま話し出した。


『やあ、始めまして。僕は麦音の親戚のアガワカンザエモン。長いからエモンでいいよ』


 エモンはまだ声変わりもしていないような声だ。エモンだからレモンのアバターなのだろう。


 というか、男だ。杉本麦音が遊びに行く親戚というから、てっきり女の子の親戚だと思い込んでいた。少しだけ期待していた僕は心の隅でがっかりする。


「始めまして。僕は綿部仁太。高校一年生」


 話すと言っても、とりあえず自己紹介することぐらいしか思いつかない。アバターのサルが愉快そうに跳ねる。


『よろしく。それはそうと、麦音が無理を言ってごめん。来るとは聞いていたけれど、自転車で来るなんて僕もびっくりしたよ。仁太は麦音に付き合わされているんだよね。でも、こっちに来たら仁太は自由に行動していいから』


 確かに杉本麦音に付き合わされているのだが、なぜエモンが謝るのだろう。呼び捨てにされて馴れ馴れしいと思うより、年下だろうに偉そうだと思った。


「そりゃどうも」


『それじゃ、二人ともがんばってこっちに来てね』


 そう言うなり、サルのアバターはフッと消えた。あっという間の通話だった。


「エモンってさ。いまいくつ?」


 僕は消えてしまった本人ではなく、リュックにスマホをしまう麦音に聞く。


「えーと、確か十五歳?」


「ふーん」


 同じ年か。どうにも含んだようなエモンの言い方は、僕の心にわずかに波を作った。


「ていうか、スマホ、ハンドルにつけなよ。父さんに言われていただろ」


 僕たちは壁に立てかけていた自転車にまたがり、またペダルを踏む。 


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