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 僕らは本格的に走り出す前に、コンビニに寄って冷えたスポーツ飲料を買う。ウチの店から持ってきたボトルに移して杉本麦音に差し出した。


「ほら、三角形のフレームのとこにボトルケージがあるからそこに入れるんだよ。ここ」


 手本を示すように赤い車体にあるケージにボトルを取り付けた。こくりと頷いて杉本麦音も同じように自分の自転車に装着する。


「じゃ、確認」


 ハンドルに取り付けてあるスマホを外して、立体ホログラムの地図を展開させた。

一日目の目的地は小田原。


 スマホがこれからの道順も矢印で指示してくれるので、僕らはそれに従って自転車を走らせるだけだ。ここまでは住宅街の中を走ってきたが、これからは山道に入る。あまり急勾配だと杉本麦音がついてこられないだろうから、なるべく緩やかな山際の道を選んでいた。


「今のペースで一時間半後ぐらいにつく休憩所」


 スマホに音声を読み取らせると位置マークが出た。マークされた場所を指でタッチする。ここから三十二キロ地点、屋根、ベンチ有りと表示された。地図で見るとちょうど海沿いにある。杉本麦音もスマホを見ながら言う。


「一時間半後っていうと、ちょうど十二時ぐらいに着くね」


「じゃ、行くか」


 杉本麦音がこくりと頷き、僕たちはそれぞれの自転車で走り出した。


 僕が先頭で杉本麦音が後ろ。前後に走り出してしまえば会話も自然となくなる。たまに後ろを振り返って着いてきているか確認して、遅れていたら声をかける。その繰り返しだ。


 まだ大きな坂もなく、ゆっくりとしたペース。それでも杉本麦音にはきついだろうけど、僕にとっては爽やかなサイクリングだ。


 そうなると青々と萌える木々を横目に自然と考え事をしてしまう。


 昨夜、杉本麦音は間違いなくタイムリープをしていた。


 タイムリープ。言い換えると時間の移動。


 杉本麦音が行っていたそれは、正式には追憶体験というらしい。だけど誰が言いだしたか、タイムリープと世間では呼ばれていた。事の始めは今から二年前にさかのぼる。


 ある薬品会社が魔法のような薬の販売を始めた。その名も『戻るくん』。


 すごい薬の割にふざけた名前だが、意識を過去に戻す追憶体験のできるという何とも不思議な薬だった。緑の液体が人差し指大の銀色の筒に入っていて、顔の前で捻って薬を浴びることで過去に戻ることが出来る。


 現実の時間は一分間。その間にさかのぼれる時間は三十分。


 三十分前から意識の中で時間が進み、過去と違う行動もとれない。過去に戻っても自由にやりたい放題という訳ではなかった。実際には身体ごと戻るわけではなく、感覚が戻るだけだから、追憶体験という名称がついているわけだ。


 ただしその体験は実にリアルで、本当に過去に戻ったように感じる。いつしか追憶体験はタイムリープと呼ばれるようになっていた。


 タイムリープが出来るという薬がニュースになった時、もちろん学校でも話題になって友達と使ってみた。


 使ってすぐには、過去に戻ったという感覚は無かった。いま、そこに現実があるとしか思えなかった。ただ少し時間が経つと過去に戻ったという感覚がしてくる。勝手に身体が過去行った行動と同じように動くのだ。意識だけが独立していて、まるで感覚を共有している自分の背後霊になったかのかと思えた。


 僕は体感してみて本当にすごい発明だと思った。


 けれど、それ以上の興味は湧かなかった。戻れるといっても、たった三十分だし、その間に行った行動をそのまま繰り返して何になるのか。


 だけど、世間は違った。


 次々と限られたタイムリープの活用方法が見いだされたのだ。最高だったライブを三十分間、もう一度自分の目線で体感することが出来る。プレゼン前に確認事項を気のすむまで見ておく。スポーツ選手が掴んだ動作をもう一度体験するなど。


 精神統一はもちろん、最高な体験は薬を使えば二度、三度と満足いくまで繰り返すことができた。それが一回につき千円と多少割高だとしても、タイムリープが出来る薬は売れに売れたらしい。


 ――ところが一年後、販売中止となる事件が起きる。


「仁太くん、……仁太くん!」


「あ、なに?」


 後ろから声をかけられていることに気が付かなかった。振り向けば杉本麦音は、三十メートルは後ろにいる。


「でき、れば、スピード、落と、して」


 ぜえぜえ言いながらペダルをこいでいた。気づいたら上り坂だっていうのに、僕はマイペースにぐんぐん登ってきている。


「ごめん! ちょっと休憩しよう!」


 僕は自転車から降りて、杉本麦音が追いつくのを待った。


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