1-3


 翌朝。朝食の後片付けも済んでいない内に、僕はとんでもないことを聞かされた。


「はぁ!? これから自転車で東京に行け!? こいつと、二人で!?」


 聞かされたのは両親からである。僕以外の三人は居間のテーブルを囲んで座っていた。正座をしている杉本麦音は、オレンジ色の半そでパーカーにストレッチ素材のズボン、グレーの短いスカートをはいている。それっぽい服は着ているけれど、そんな目的のための服装だなんて思わなかった。


「それが、麦音ちゃん。元々そのつもりでうちに来たっていうんだよ」


 父さんがポリポリと頭をかきながら言った。眉を八の字にした麦音が僕と父さんを不安げに見る。


「あの、私、一人でも全然。自転車さえ売ってもらえれば」


「ダメだよ、麦音ちゃん。女の子一人で。しかもキャンプまでするなんて」


「キャンプぅ!?」


 僕は再び驚かされた。一晩しか接していないが、どう見ても弱弱しい気概しかない杉本麦音。そんな奴が一人で東京に行くといい、その道中一人でキャンプまでするなんて。無謀以外の何ものでもない。それでその大荷物かと、杉本麦音の背後にある荷物を見て思う。


 さすがに僕も座って、諭すように杉本麦音の目を見つめた。


「やめときなよ。今からでも家に帰った方がいいって。東京にはまた日を改めればいいだろ」


 何をしに行くか知らないけれど、そこまでして行くような所じゃない。しかし、杉本麦音は予想に反して言い返してくる。


「……ここで買えなければ、他の自転車屋さんを探します」


「僕は親切で言ってんだよ」


 あえて低い声で言うと杉本麦音は不安そうな顔のまま、ブンブンと首を横に振った。言い返せないくせに、どうしても行くらしい。


「麦音ちゃん」


 それまで黙って聞いていた母さんが口を開いた。


「若い女の子が一人でキャンプなんてダメよ」


「だけど、ホテルには泊まれないですし」


「大丈夫。小田原に親戚がいるの。東京に行くなら私が泊めてくれるように頼んでみるわ」


「あのさ。頼んでみるって、それって僕が行くこと前提で話しているよね」


 母さんは僕をスルーして続ける。


「小田原なら、ちょうど東京まで中間地点でしょ。これを見て」


 スマホを取り出して地図を見せた。スマホから開かれた立体ホログラムの地図は、伊豆半島の付け根にあるこの店から小田原を経由して東京までの経路が載っている。


「東京までは自転車をこいで二日で着くわ。ゆっくり無理のないペースでね。東京ではその麦音ちゃんのその親戚の方のお家にお世話になればいいけど、やっぱり一人では行かせられない」


 杉本麦音は地図から目を離してテーブルの皿を見る。


「仁太と行かないというなら、ここで耕くんに迎えに来てもらうけど」


「……分かりました。仁太くんと行きます」


 顔を上げて母さんにこくりと頷いた。


「いやいやいや、分かりましたじゃないって」


 僕は身を乗り出して説得を試みる。


「なんかもう決定事項のようになっているけどさ。僕の意見も聞いてよ。夏休みも残り少ないのに。貴重な時間をその訳の分からない旅行のために使えって?」


「なあに、あんた。夏休みだっていうのに暇していたじゃない」


 確かに僕は中学で野球を辞め、高校は帰宅部。高一の夏休みは新しくできた友達と中学の友達の家を楽しく渡り歩いていた。一緒にプールにいったり、海に行ったり。だから別に暇だったわけではない。充実していた。


 とはいえ、それを母さんに言っても通じない訳で。


「宿題まだ終わってない」


 仕方なく残念な事実を告げる。


「宿題なんてスマホで出来るでしょ。私たちは店を空けられないし、ちょっと三日や四日、東京に旅行に行ったって文句は言わないわ」


 ガンとして動かないつもりという意思表示のため、僕は胸の前で腕を組んだ。


「こっちが文句あるんだよ」


「じゃあ、はい」


 母さんはスマホを僕の方に向けてフリックした。チャリンと僕のズボンのポケットが鳴る。取り出したスマホの液晶画面を見て、思わず目を輝かせた。


「お母様!」


「せっかく東京に行くのにお小遣いもなしじゃね」


 母さんのスマホを父さんが覗き込む。


「いいなぁ、仁太」


 僕の虫の息だったお小遣い残高は一気に息を吹き返したのだ。しかし、受け取ってしまった以上、行かないとはもう言えなくなってしまった。


 とはいえ、スマホ画面を見つめると浮かれた声が出てしまう。


「まぁ、東京観光に行くと思えばいいか」


「「そうそう」」


 揃って夫婦で頷く父さんと母さん。二人してどうしてこんなに杉本麦音に肩入れするのか。このときは知らなかった。


「よろしくお願いします」


 杉本麦音は僕に丁寧に頭を下げた。


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