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 お客さんが来たからと、母さんは張り切って晩御飯を作り始めた。冷蔵庫にはたっぷり材料があるというのに、僕にメモを渡して買い物を頼んでくる。


「食材ならあるんだろ」


 もちろん僕は渋る。その上、台所と居間を所在なさげにさ迷う杉本麦音がそこまでしなくていいと言う。だけど、父さんと母さんは杉本麦音をもてなす気が満々。


「せっかくのお客さんなんだから、ごちそう作らないと」


「そうだぞ。スーパーなら自転車ですぐそこだろ」


 仕方なく僕は自転車で買い物に出た。近くのスーパーには十分で往復できるとはいえ、面倒だ。なんで僕がこんなことをと思いながら、メモを見ながら買い物かごに食材を投げ入れた。


 買い出しに出た結果、この日の晩御飯は結構なごちそうになる。ポテトサラダに鳥のから揚げ、魚の煮つけときんぴらごぼう。他にもたくさん。どれも皿に山盛りだ。誰かの誕生日だってこんなに作らない。買い出しに出たのに、冷蔵庫の中が空っぽになったんじゃないのかと思うほどだ。


「そうかー、親戚の所に遊びに行く途中だったのかぁ」


 父さんは飯が出来る前から、ビールをぐびぐびご機嫌に飲んでいる。グラスが空くと杉本麦音はせっせと注いでいた。泡があふれるばかりに膨れ上がる。


「おっとっと。娘がいたらこんな感じかなぁ」


 ご機嫌な訳だ。僕はもう諦めていた。どうせ一晩だけだしと、運ぶように言われたご飯茶わんを置いていく。米でさえ色つきの炊き込みご飯だ。


「お父さんはいいから、麦音ちゃん食べなさい」


 台所から出てきた母さんがエプロンで手を拭きながら言う。そして菜箸で杉本麦音の取り皿にから揚げを四個乗せた。


「あの……、私、そんなには」


「いいから、いいから。ほら、こっちも」


 母さんはポテトサラダをたっぷりすくって、スプーンを振ってぼとんと落とす。

さすがに強引じゃないかと思いつつ、僕はテレビのボリュームを上げた。テレビではマイクを挟んでお笑い芸人が漫才をしていた。けたけたと笑う声が食卓のBGMになる。


「すみません。いただきます」


 杉本麦音は箸を手に取り、手を合わせた。まずは目の前のから揚げに手を付ける。


「すごく美味しいです」


 ゆっくり咀嚼しながら、ありきたりな感想を言う杉本麦音。隣に座った母さんが微笑む。


「そう、よかった。たくさん食べてね」


「いただきまーす」


 僕はいつもより大きな声でいただきますを言った。





 その晩、ベッドに寝っ転がり、頭の上で腕を組みながら考える。


 なぜ杉本麦音は、目的の親戚の家に直接行かないで、うちに来たのだろう。


 親戚の家は東京にあるらしいが、わざわざ寄り道をする必要があるだろうか。どこだろうと、日本に住んでいたら数時間で行けるはずだ。この家に強引に泊めてもらってまで寄る意味が分からない。まあ、僕には関係ないことなんだけどさ。


「トイレ」


 思考が邪魔して、眠れる気がしなかった。目覚まし時計を見てみると、時刻は十二時ちょっと過ぎ。夜は虫の音が響くばかり。


 僕は自室から出てなるべく音を立てないように階段を降りる。トイレに行くためには、杉本麦音が寝泊まりしている居間の前を通らないといけなかった。居間の引き戸はすりガラスになっている。


 余所の家だからだろうか、杉本麦音も眠れないようだ。電気が点いている。トイレに行くだけだからなと心の中で意味もなく訴えながら、僕はすりガラスの前をそろそろと通った。


 その時、パキンという音が聞こえる。


 僕は音に反応して、居間の方を振り返った。すりガラスの戸は十センチほど開いている。別に僕は覗こうというつもりはなかったけど、結果的には覗いてしまった。

杉本麦音は服装はやって来た時のまま、枕元にピンクのパジャマが置かれている。たぶん母さんが貸したやつだ。


 杉本麦音は居間に敷かれた布団の上に立っていた。後ろ姿だ。肘を曲げて両手を顔の前にあげている。僕はそのポーズに見覚えがあった。頭上にあげて指で捻っている銀色のそれを見ても間違いない。


 杉本麦音は今現在タイムリープしている。


 僕は一瞬で理解した。


「違法じゃん」


 ついポツリとこぼす。すぐに見なかったことにして、トイレに行くのもやめた。物音を立てないようにそろそろと二階に上がる。あの集中した様子だと、僕の気配にも気付いていないだろう。どうせ、明日にはいなくなる。関わらないでおいたほうがいい。


 ――ところが、僕と杉本麦音は一晩どころか、この先何日も一緒に過ごすことになる。




 ◇ ◇ ◇




 電車を何本も乗り継ぎ、やっとたどり着いたワタベサイクル。


 その古びた看板を見た時は、本当にあったんだと驚いてしまった。まるでおとぎ話の中のお店のように思っていたから、実在しないのではないかと心の隅で疑っていた。


 来たのはいいけれど、私はお店の前で一時間以上も立ち尽くしていた。いきなり現れて親戚だと名乗っても信じてもらえないかもしれない。親戚と言っても、今も昔も関わりはない。そんな自分が泊めて欲しいなんて、図々しくて迷惑でしかない。


 マイナスなことしか考えられない中、自転車をこいだ少年がやってきた。


 仁太くんだ。スポーツ少年っぽいその横顔を見て、すぐに分かった。


 彼に引かれるように、私はゆっくりと店の中に入った。


 なんとか自己紹介して、泊めてもらうことになって、本当にほっとした。お父さんに帰れって言われなくてよかった。おばさんは優しくて、たくさん料理を用意してくれた。どれも美味しくて、でも私はそんなに食べることが出来なくて。なんだか申し訳なかった。


 寝る前に、懐かしい風鈴の音のする部屋でタイムリープする。


 そして、再確認する。私は行かないといけない、って。


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