夏の終わりのタイムリープ
白川ちさと
1-1 夏の終わりにやって来た女の子
――20××年、夏。
信じられない未来が来たとか、昔は考えられなかったとか。親は簡単に言うけれど、十五の僕には未来に来た感は全くない。
今日も相変わらず地べたに車輪を走らせている。
だけど、僕らの旅の始まりはもうすぐそこに来ていた。
富士山の稜線に沈みかけた真っ赤な夕陽。それを横目に、ブレーキ音を鳴らして店の前に自転車を止めた。自転車を降り汗で蒸れているヘルメットを脱ぐ。いつでも開けっ放しの両扉のドアから店内へ自転車を押して入った。
煌々とした灯りと、白く磨かれた床で実際より広く見える店内。黒々とした自転車の車輪がまるで全体朝礼のように並んでいる。
閉店前だからか人影はない。僕はそろそろと、なるべく物音をたてないように奥へと進んだ。しかし、その甲斐も虚しく死角の商品棚の影から出てきた人物に見つかってしまう。
「
「あー……」
潜入は失敗だ。僕はキュッという床に擦れる音を立ててブレーキをかけた。
「裏に回りなさいって、いつも言っているでしょ!」
振り返ると、僕の母さんが睨みつけている。年季の入った店のロゴが入った緑色のエプロンをつけていた。
「すぐにまたコンビニに出かけるからさ」
裏とは家の玄関だ。そこにいくには自転車を止めて、狭い車の横を通らないといけない。店から入った方が家の中に簡単に入れる。ちょっと荷物を置いたりするだけの時は店の方に来た方が楽だった。
「ダメよ。横着しちゃ。ほら裏に回って」
「ケチ」
僕は思わず、思ったことをそのまま口に出してしまう。
「なんですって?」
母さんはさらに目を怒らせた。他の事まで持ち出されたらたまらない。大人しく僕は退散することにする。ぐるりと回って自転車の向きを変えた。
そこで僕は動きを止める。店の入り口に女の子が立っていたからだ。
色素の薄い髪が肩にかかる女の子が、大きな瞳でこちらを見ている。白いポロシャツにひざ丈のデニムスカートといったあっさりした服装。半袖から伸びている腕は白く少し細すぎるように見えた。
「あら。お客さん? いらっしゃい」
彼女を見るなり営業スマイルを浮かべた母さんが僕の横から出てきた。
「ほら、あんた邪魔よ」
「分かっているって」
自転車を押して入り口から出て行こうとするが、女の子はそのままそこを動かない。仕方なく僕は声をかけた。
「通れないんだけど」
「あの、私、お客さんじゃなくて……」
女の子は声を詰まらせながら、たどたどしく言う。よく見たら背中に大きな荷物を背負っていた。バックパッカーとかいう人が背負っているような大荷物だ。
「お客さんじゃなければ、ああ。仁太に用?」
同じ年頃の友達か何かかと、母さんは思ったのかもしれない。だけど、僕にこんな女友達はいない。少しうつむき加減で、女の子は恐る恐るといった様子で口を開いた。
「あの、私、親戚です。親戚の、
「親戚?」
「杉本、麦音ちゃん?」
僕と母さんは頭に疑問符を浮かべる。ついこの前お盆に親戚の集まりがあったが、そこに彼女の姿はなかった。杉本麦音は少し前のめりになって訴える。
「お願いします。今夜一晩、泊めてもらえませんか?」
彼女の突然の申し出に、ますます意味が分からなくなる。僕ら親子と彼女はその場で何も言わずに数十秒佇むことになった。
僕の家はサイクリングショップを経営している。じいちゃんの代から続いているから結構な老舗だ。この辺りでは一番大きい。
じいちゃんが脱サラして始めたという店、ワタベサイクル。ママチャリから電動自転車、ロードバイクにマウンテンバイクと、日常使いからスポーツ用に使えるものまで何でも揃っていた。自転車を売るのはもちろん、修理だって整備だって自転車に関することならなんでも引き受ける。――そう、自転車に関することなら。
「うーん。泊めるって言ったってなぁ」
ワタベサイクルの店主である僕の父さん、綿部林太郎は居間の上座で首を捻った。夏の終わりに突然現れた少女、杉本麦音は父さんの横で正座している。
「お願いします。一晩だけでいいので」
「一晩だけっていってもなぁ」
一家の大黒柱であるはずの父さんは相変わらずの優柔不断。はっきり断ればいいのにと思いながら僕は柱に背をついて、立ったまま麦茶の入ったグラスを傾けた。襖を隔てた隣の部屋からは、ぼそぼそとした会話が聞こえてくる。
「ちょっと、
聞こえてきた会話が止んだ。しばらくすると背後の襖が開き、母さんがスマホを片手に隣の部屋から戻ってくる。杉本麦音の姿を認めて話し出した。
「耕くんにやっと連絡がついたわ。麦音ちゃんがうちに来たって言ったらすごく驚いていたけど、夏休みだし泊めてやってくれって。だから泊まっていいわよ」
「はぁ!? なんで!?」
思わず抗議の声を上げたのは僕だ。会話を聞いていた限りだけど、絶対に断って家に帰すと思っていた。
杉本麦音は詳しく話を聞くと本当に親戚だった。耕くんというのは杉本麦音の父親で、母さんのいとこらしい。つまり僕と杉本麦音は、はとこに当たる。僕から見たら遠縁だ。
「何、考えてんだよ。いくら親戚だからって」
「ごめんなさい」
母さんに言ったつもりが、杉本麦音は少し下を向いて単調に謝る。本当にごめんと思っているのかと僕は顔をしかめた。
「まぁ、いいじゃないか。夏休みなんだし。親御さんの許可が出たなら。ウチは全然かまわないよ。それとも仁太は歳の近い女の子がいると、やっぱり緊張して夜も眠れないか?」
父さんはにやりとした顔を僕に向ける。
「なっ! ちげーし!」
僕はそんなかっこ悪いことで反対している訳じゃない。突然連絡もなくやってきた不作法を怒っているんだ。親戚を迎えるなら、こっちにだって準備ってものがあるだろう。
ただ、三人家族の内、反対しているのは僕だけだ。母さんが杉本麦音の肩を軽く叩いて、いつもにはしない、ゆったりした口調で言う。
「麦音ちゃん、今日はゆっくりしていっていいからね」
「ありがとうございます」
杉本麦音は丁寧に頭を下げた。
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