コンバットレディ

大澤めぐみ

-We're Combat Ready-

 

 おおむね、完璧な夕方だと言ってよかった。


 百目のアルゴスだってうっかりうたた寝をしそうなくらいの、とってもメロウなムードだった。

 教室がわりのホテルの会議室はばっちりエアコンが効いていて、窓の外の頭が溶けそうな狂信的な熱気も、透明なガラスに遮断され、射しこむ西日はその暴力性を十分にスポイルされて、やわらかく優しかった。


 先生はホワイトボードになにかを書きつけながら大声で唾を飛ばして喋っていたけど、誰も話なんか聞いちゃいなかった。

 だって、この特進クラスの誰ひとりとして、本当のところは、勉強なんか必要としていないんだから。


 僕たちは頭がいいから、どんな難問だろうと解くことはたやすい。けれど、それを認められた中学三年生てき思考力で解答することが難しい。本質的に僕たちよりもはるかに劣る頭脳しか持たない採点者は、僕たちが解答に辿り着いた、その最速の、最短の飛翔を、その軌跡を理解しない。採点者がプロセスを理解できない解答は不正解として扱われる。まぬけどもめ。ニッポンってほんとクレイジーだ。


 塾の先生は学校の教師に比べれば、まだいくらか利口だった。僕たちほどではないにせよ(僕たちのレベルに到達していたのだとすれば、塾の先生なんかやっているはずがない)かつて同じような目に遭ったことがあったのだろう。僕たちが置かれた境遇について、ある程度の理解を示し、共感し、実践的なアドバイスをした。


「インスピレーションはすべて捨てろ。馬鹿に尊厳を踏みつけにされたくなければ、まずは馬鹿のまねをするんだ。真の天才をやめて、連中にも理解可能な範囲の天才になれ」


 僕たちは自分の思考回路に制限をかけ、中学三年生てき水準にまで思考レベルを鈍化させて、問題に取り組まなければならない。

 そのための、この夏期特別講習合宿だった。


 いわゆる縛りプレイだ。ゲームのプレイ動画でよくある、低レベルクリアとか、魔法の使用禁止とか、そういうの。それも覚えてしまえば単純な(とても単純な)テクニックに過ぎないけれど、そのおかげでゲーム性はいくらか上昇したとも考えられる。漫然と問題に取り組むよりは、多少はおかしみがないこともない。


 でもそれにしたって、午後ともなれば、さすがにみんな眠くなる。


 そもそも、その程度の制限を導入するのに、僕たちに二泊三日のホテルへの缶詰めなんて、まったく必要じゃないのだ。初日の午前中のはじめの五分があれば事足りる。あとの二泊三日マイナス五分は、ただの他人を納得させるためのエクスキューズに過ぎない。

 僕たちは、こんなにも頑張って勉強をしていますっていう。


 たとえばそれは、愚鈍でヒステリックな両親とかに対しての。


 だから僕も、この完璧な夏の終わりのメロウな午後を、いたってメロウに過ごしていた。完全にチルアウトしていた。言い換えれば、油断していた。

 そんなわけで、僕が飛来するRPG-28の擲弾を視認したのは、それが窓を突き破って会議室に飛び込み炸裂する、その、ほんの一瞬前になってしまった。


 今となっては、ただの言い訳だけど。

 当然、油断なんて、ただの一瞬たりともするべきではないのだ。本来は。


 まず、音。かすかな、ロケット弾の推進音。

 視界の端に映る、小さな影。飛来する。

 その時はまだ、僕はそれの正体を正確には理解していない。

 けど事態を把握する前に、なんらかの直感で自ら椅子を転げ落ち、可能なかぎりの防御姿勢をとった。


 砕け散る窓。

 そして、光。

 圧力。急激な。

 音。炸裂音。聴こえたのは一瞬。次の瞬間にはなにも聴こえなくなった。

 鼓膜がやられたのだ。


 熱。炎――。

 僕は引きちぎれて吹き飛ばされる、自分自身の左腕を見た。

 身体が浮き上がる。


 たぶん元は前の席とか横の席に座っていた女の子の身体だった、たくさんの細かい人体のパーツと共に、爆風で壁に叩きつけられる。

 赤熱黒炎赤血臓物脂圧腕手指脚死死屍屍屍――かつて人だったものの欠片欠片。

 

 シャットダウン。


 目を覚ますと地獄だった。


 雨が降っていた。いや、スプリンクラーが作動しているんだと、すぐに認識に修正をかける。

 窓辺ではまだカーテンが燃えている。

 鳴り響く、防災ベルの音。

 室内で火が、炎が発生して、結果、スプリンクラーが作動して、僕たちは今、どしゃぶりの雨のような降水にうたれている。


 僕たち?

 僕と、それから無数の死体。


 認識しろ認識しろ認識しろ。

 現実を直視して把握しろと、脳裏でなにかが特大の赤いアラートを鳴らしている。


 死体。

 ほとんどが引きちぎれていて、原型を留めていない。

 たくさんの女の子の、中学三年生の、元は十五歳の少女たちだった、今はばらばらの、腕、足、頭、胸、腿、掌、死体、死体死体死体死体――。


 それから、麗しの黒髪の姫。さくらもり。泣いている。

 教室の、この急あつらえの地獄の真ん中。

 座り込んで「ごめんなさい、ごめんなさい」と、泣きながら謝っている。


 あとは、長身の騎士。いぬつかれい。美姫の

 美姫を気遣うように、その横に控えている。いつも通り。


 右の端にとうわき

 左の端に


 四人だけが五体揃った状態で、生きている。

 四人とも、スプリンクラーからの放水に濡れて、それぞれの学校の制服がべったりと肌に貼りついている。

 それ以外はみんな、教室にいたはずの四十人ほどの女子中学生とひとりの先生は、全員バラバラだ。すべてが部品パーツに分解されてしまっている。


 呻き声すら聴こえない。

 全員が全員、死んでいる。既に、絶命している。


 五体――?

 僕は自身の身体を確認する。僕の身体もまた、五体満足に揃っている。

 火傷のひとつすらない。


 僕は――僕は思い出す。僕は、引きちぎれ飛んでいく、僕自身の左腕を見たはずだ。それが強制的なシャットダウン前の、最後の記憶。


「目を覚ましたか、」と、令が言った。

 いつの間にか、ベルの音は止んでいる。

 静寂に、令の声がよく響いた。

 机も椅子もホワイトボードも根こそぎ吹き飛んで、空間に音が反響しやすくなっている。


「ああ」と、僕は返事をする。

 令は麻実と亜衣梨のほうへ視線を巡らせる。麻実と亜衣梨も、頷き返す。


 スプリンクラーの勢いがだんだんと弱くなり、やがて止まる。

 カーテンはまだ燻っていて、ぶすぶすと灰色の煙を吐き出している。


「なにが起こった?」と、今度は僕が令に質問する。

 令が頷く。

「わたしも完全に事態を把握しているわけじゃないけれど、君たちよりは情報面において、いくらか有利な状態にはある。もちろん説明する。でも時間がないから、前置きはすべて省いてかなり無茶な説明をすることになる。できればそれで、納得してくれると助かる」

「どっちみち、納得できるかどうかは聞いてみないと分からない。時間がないというのならなおのこと、さっさと説明してくれ」

 僕は答える。


 情報。情報がなによりも肝要だ。まずは事態を把握しなければならない。

 可及的速やかに。

 だって情報がなければ、どんなモデルも構築しえないだろう?


「麻実と亜衣梨も?」令が訊く。

 麻実は息を吐く。「仕方ないだろ。他に説明してくれそうな人がいない」

「先生もバラバラになっちゃったみたいだしね」亜衣梨が肩をすくめる。


「分かった」と令は頷く。「それでは、ルール説明だ」

 令はまるで、新しいアイフォンの機能をプレゼンテーションするみたいな調子で話しはじめる。


「この教室に外から対戦車擲弾が撃ち込まれた。それが窓を突き破ってこの教室に進入し、ちょうど真ん中で炸裂して、中にいたほぼすべての人間が一瞬にしてバラバラになり絶命した。でも、美姫とわたしは不死身のヴァンパイアなので死ななかった」


 令はそこで言葉を切った。オーケイ? と問いかけるように、僕と麻実と亜衣梨、それぞれに目線を送る。


 不死身のヴァンパイア。この話にはまず、そういう特殊ルールが導入されますが、オーケイですか? と。


 オーケイじゃない。全然オーケイでは。

 不死身のヴァンパイア? なんだそりゃ。これは現実で、RロールPプレイングGゲームじゃないんだぞ。

 でも、それを言い出したら窓の外からいきなりRP戦車G擲弾を撃ち込まれるのだって、全然ちっともオーケイじゃない。人生は理不尽で不条理で、ちっともオーケイじゃないことばっかりだ。

 そのことに対しては、僕たちはとっくに


「オーケイ」と、僕は答える。

「うん」「どうぞ、話を続けて」と、麻実と亜衣梨が言う。


「それぞれ教室の隅の席だった麻実と亜衣梨、それに瞬時に防御姿勢をとった由佳は、即死は免れて、まだ息があった。でも全員、身体のどこかを吹き飛ばされて、瀕死の状態だった。放っておけば、間もなく死んでいただろう。だから、美姫が君たちを噛んで、その肉体を復活させた。ヴァンパイアの異能で」


 ――異能。

 馬鹿げた話だとは思った。

 でも、僕は見た。たしかに。

 自分自身の左腕がちぎれて吹き飛んでいくのを。

 それが今は、なんの痕跡も残さず、綺麗に繋がっている。傷跡のひとつもない。


 僕の認識を真だと仮定する限り(それも現実ではかなりアテにならない前提ではあるのだが)まともな現象では説明がつかない。

 それこそ、不死身のヴァンパイアなどの異常な前提を導入しない限りは。


「美姫はヴァンパイアの中でも真祖と呼ばれる特別なヴァンパイアで、噛んで血を吸うことで人間をヴァンパイアの眷属に変えることができる」

 令の説明に、亜衣梨が「つまり――」と、応じる。「わたしたちも、不死身のヴァンパイアになったということ?」


「その通りだ」と、令が返事をして、また美姫が「ごめんなさい……」と呟いた。

「まあ、なんてこと」と、亜衣梨が嘆く。まるでカンペを読み上げるみたいに、無感動な調子で。


「質問がある」麻実が言った。「なぜいきなり、中学三年生の夏期特別講習の会場に、RPGが撃ち込まれるんだ?」


「美姫を殺すために」と、令が端的に答える。「もう何百年も昔から、人間たちは必死になって真祖のヴァンパイアを滅ぼそうと躍起になっている。やつらはヴァンパイアが美姫のように、平穏にひっそりと生き延びることを望むことすら許さない」


「つまり、わたしたちはたんに、美姫を殺そうとする誰かさんの雑な攻撃の、その巻き添えになった、ということか」

 麻実の言葉に、また美姫が「ごめんなさい……」と言って、涙をぬぐった。


「表現にすこし気にくわないところがあるにはあるが、おおむねその通りだ」と、令は認める。


「やつらっていうのは?」亜衣梨が訊く。

「おそらく、ヴェネツィアの連中だ。GGCか、アビス騎士団か。まあ、ヴァンパイアハンターという認識でいい。ゲームとかでも、よく出てくるだろう? ヴァンパイアを、夜の王の血族を、殺して殺して、皆殺しにして、根絶し、絶滅させようとしている勢力だ」


「連中の狙いが美姫ひとりなら、美姫ひとりを差し出せばいいんじゃないのか? 降伏だ。ひとりが死んで、四人が助かる。非常にスマートだ。わたしたちは本質的に、ただ巻き込まれただけの無関係な一般人なんだろう?」

 美姫が言う。ありきたりな数学の問題を解きましたみたいな、冷徹な声で。


「本来ならば、そうだ」と、令は頷く。「だが、もう手遅れだ。君たちは巻き込まれて瀕死の重傷を負い、そして美姫に噛まれて生きながらえた。美姫と血の盟約を交わし、美姫の眷属となった。君たちは美姫が生きている限りは不死身だが、美姫が死ねば同時に死ぬ。我々は全員、美姫の眷属に過ぎないのだから」


「Wi-Fiに接続された端末みたいに?」

「そう。Wi-Fiに接続された端末みたいに」

「つまり、死にたくなければ全力で美姫を守るしかない、と?」

「その通りだ」


「頼んだわけじゃないわ」と、亜衣梨が言う。「わたしたちが意識を失っている間に、勝手に一方的に契約しておいて、それで血の盟約だなんて。ちょっと横暴じゃないかしら? クーリングオフは適用される?」

「適用されない。そうしなければ君たちは全員、間もなく死んでいたし、契約の解除とは、すなわち君たちの死を意味する。もちろん、君が異形の不死身の生より、人としての安息の死を望むというのであれば、美姫はその意志を尊重するだろう」


「やめなよ亜衣梨」と僕は言う。「亜衣梨だって本当は分かっているんだろ? 理屈じゃなく、直感で。僕は自分の左腕が引きちぎれて吹き飛んでいくのを見た。美姫の力がなければ、あのままただ苦しんで死んだだけだろう。きっと、君も。令は嘘をついていない。真実を話している。僕はそう感じる。そう信じる。美姫は敵じゃない。僕たちを助けてくれたんだ」

 そして、床に座り込んだまま泣き続けている美姫のほうに目を向けて「ありがとう、美姫。僕たちを助けてくれて」と言った。


 美姫は顔をあげて。

 僕を見た。泣きはらした赤い目で。

 顔はぐしゃぐしゃで、濡れた頬にたくさん髪が貼りついていたけれど、それでも美姫は美しかった。

 頷いた。口角をすこしだけあげて、泣きながら笑顔を作って。

 やっぱり、綺麗な女の子だなと思う。

 麗しの、黒髪の赤目姫。


「敵を見誤るな。インスピレーションを信じろ。最速の筋道以外はすべて利敵行為だ」

 僕の言葉に、亜衣梨は溜め息をついて「ひとつだけ確認させて」と、令ではなく美姫に言った。

「たぶん、ひょっとしてなんだけど。もしかして、真祖である美姫はこんな風にわざわざわたしたちを説得しなくても、強制的に言うことを聞かせることだってできるんじゃないの? もっと、なんていうのかしら。わたしたちの自我や思考すらも奪って、自分の思い通りに動かすことが」


「それは」と、美姫は言いよどむ。

「可能だ」と、令が答える。「真祖の眷属に過ぎないわたしたちは、根源的に真祖の支配下にある。真祖の命令に背くことはできない」

「だけど、美姫にはそのつもりがないのね」と、亜衣梨は先回りして納得する。「わたしたちの疑念すら無視して、わたしたちをコントロールすることだってできるのに、美姫はそうはしていない。わたしたちを、個人の意志を、尊重してくれてるんだ」


「それも、もちろんあるわ」と、美姫が答える。「でも、それだけじゃない。そうじゃなくて、わたしはあなたたちの、その知性こそを信頼しているから。あなたたちから知性や判断力を奪ってしまったら、自らの最大の戦力を削ぐことになってしまう」


「なるほどね」と、亜衣梨は頷く。「わたしは、わたしが美姫への不信を完全には払拭できていないという事実によって、逆説的に美姫を信頼することができる。美姫。わたしもあなたの知性を信頼するわ。あなたがわたしに対してしてくれたのと、同じように」


 亜衣梨も亜衣梨で、自分が納得できる最速の筋道を飛翔している。無駄に回り道したり、二の足を踏んだりはしていない。

 思考が機敏で、鋭利だ。

 その速度に、僕も亜衣梨を信頼する。その知性が信頼に値すると確信する。


「話を続けよう。時間がないと言ったな?」

 僕は令に目を向ける。


「ああ」と言って、令は頷く。「真祖のヴァンパイアたる美姫は基本的に不死身だ。RPGを撃ち込んだくらいで殺せるとは、向こうだって考えちゃいないはず。間もなく、直接ここに踏み込んでくるだろう。確実に美姫を葬り去るために」


「そいつを、あるいはそいつらを返り討ちにしない限り、僕たちに生き延びる道はない」

「その通りだ」


 僕たちは故なく巻き込まれた。

 ただ、美姫と同じ教室に存在していたという、それだけの理由で。

 オーケイだ。

 この世界ではそういうことがたびたび起こるということを、僕たちはとっくに了解している。

 その理不尽さに対して、僕たウィーちはアー


「それで、美姫やお前、それに僕たちは、?」僕は令に確認する。「これだけの数の一般人を、なんの戦力も有しない非武装の民間人を、非力なただの十五歳の女の子を、四の五の言わずに巻き添えにしてでもぶち殺さないといけない相手なんだろ? ヴァンパイアハンターからすれば、美姫は。真祖のヴァンパイアは。つまり、危険な存在なわけだ。相応の戦力を有していると、少なくともは考えている。なにかあるのか? 美姫には。あるいは、その眷属である僕たちには。そういう、規格外の戦力のようなものが」


「ある」と、令は頷く。ただし、その表情にはあまり自信が感じられない。「あるには、ある。規格外の最終兵器が」


しんとう うききり

 鈴の音のような涼やかな声が、凛と響いた。美姫だ。

「この世に存在する、いいえ、この世に存在しないものも含めた、あらゆるものを。可知も不可知もあまねく切り裂く、真祖の刃。一本の刀」


 美姫がなにもない空間に手を伸ばし、握りこぶしを合わせた。

 ちょうど、刀の柄と鞘を握るように。

 そして引き抜く。

 なにもない虚空から、ダイヤモンドのように白く煌めく、薄刀の刃を。


「刀か」と、僕は呟く。

「そう、刀だ」と、令は首を振る。横に振る。「本気で本気の、地上最強の究極の一閃。振るえばなんでも切り裂くが、しかし射程は短い。直接に刃が相手に届かなければどうしようもない」

「一方、相手のほうは遠距離からなりふり構わずRPGをぶっ放してくるし、当然、拳銃やらライフルやらの火器でも武装して乗り込んでくると」

「おそらくは」

「なかなか、かなり、状況は僕たちに対して不利に思える」

「その通り。難問だ」


 難問?

 難問ね。だったら簡単だ。

 


、美姫は不死身だと言ったな?」

「ああ」

「じゃあ、どうすれば美姫は死ぬんだ? 例外的に。連中は、相手は、僕たちの敵は、美姫を殺し切る、完全に滅ぼす手段を、当然、なにか持っているんだろう?」


「銀の杭による、頭部の完全なる破壊」令の返答はやはり、端的だ。「古来よりヴァンパイアを滅ぼすのには、銀の杭が用いられてきた。それを脳髄に撃ち込まれれば、真祖のヴァンパイアといえど灰になって滅びる」


「逆にいえば」と、僕は問う。「頭さえ無事なら、いくらでも身体の再生は可能だということか?」

 吹き飛ばされたはずの僕の左腕は、すでに完全に修復されている。

 気を失っていた時間はそう長くはなかったはずだ。せいぜい数分程度。それで、傷跡ひとつなく、なんの違和感もなく、完全に稼働可能な状態で再生している。

「そうだ。たとえ首だけになったとしても、美姫は完全に五体を再生することができる。削られ続ければだんだん所要時間も長くなるが、おそらく、今の状態であれば、一度目は数秒のうちに」


「頭部を破壊するための銀の杭というのは、文字通り、金属の銀でできた杭、という認識でいいのか? なんらかの比喩表現とかではなく」

「そうだ。そのまま言葉のとおり、銀の杭だ。しかし現代の連中は、銀の杭を射出するボウガンのような機械を使う」

「だが杭を打ち込むとなれば、当然その射程は短いはずだな」

「その通り。機械は飽くまで杭を打ち込む手助けに過ぎない。速度もなければ精度もないから、離れた場所から撃たれたとしても、それはわたしが阻める。だから、遠距離からの狙撃は怖くない。連中は、ほぼゼロ距離、密着状態で射出する必要がある」

「こちらも相手を刀の射程に収める必要はあるが、相手もまた、美姫を滅ぼすためには杭の射程に入らなければならない、と」


 それはひとつ、希望を見出せる有利な条件だ。

 なにもできず、敵の姿を視認することすらできないまま、遠距離からの大火力で一方的に撃ち殺されるという展開はないわけだ。

 美姫を滅ぼすためには、敵も僕たちに姿を見せる必要がある。


「だが」と、令はまた首を振る。「見れば分かると思うが、美姫は大人しい。ずっと争いを避け、ひっそりと隠れ潜んでいた。真刀 浮世切の力は本物だが、美姫はこれまでそれを振ったことがない。戦った経験がないんだ。正面きってやりあっても、美姫がヴァンパイアハンターに勝つのは難しいだろう。相手はおそらく、充分に訓練と経験を積んだ戦士だ」

「相手が戦士なら、僕たちも戦士となるしかない」僕は言う。「今日、今、この場所で。今から、僕たちが。他ならぬ、僕たち自身が」

 僕は美姫に目を向ける。

 半ば睨みつけるように、直視する。

「もちろん、美姫も」


 麗しの黒髪の赤目姫。

 美姫がビクッと肩を震わせて、けれど、唇を横に引き結び、顎を引く。頷く。

「うん」


「僕は君を守る騎士になるつもりはない。僕は、君と共に戦う戦士だ。だから、君にも負ってもらう。美姫。痛みと恐怖を。勝つために犯すリスクを。危険を」僕は言う。宣言する。重ねて。「美姫。君も、勇気を持て。泣くな。震えるな。覚悟を決めるんだ」


 僕は麻実と亜衣梨にも目を向ける。「ふたりも、いいな?」

「全然まったくよくはないけど」亜衣梨はふぅと息を吐く。「さっきまでただの女子中学生だったのに、今この瞬間から覚悟を決めた戦士となれなんて、とんでもない理不尽もいいところだわ。でも、仕方ないんでしょう?」

「なにか考えがあるんだな」と麻美が言う。「それならわたしは君に賭けるよ、由佳。わたしも君を信頼する」


 まったく。

 どうして僕たちはこうも簡単に通じ合えるのだろう。


 僕たちはこの即席の地獄のような教室で、たまたま生き残った五人に過ぎないけれど。でも明らかに、運命の五人だった。

 この速度が、話の早さが、四の五の言わないすみやかな覚悟が、僕たち全員を同質のものとして結び付けている。


 僕は美姫と令のことも、ほとんど知らない。麻実と亜衣梨なんて、ほとんど話したこともない。通っている中学も、美姫と令のふたりを除けば、全員が違う。それぞれが身に着けているバラバラの制服が、そのことを客観的に示している。

 各地の、同じ名前の塾に所属していて、お互いに顔と名前は知っている程度。友達だったことなんてない。なんなら、まったくの他人と言ってもいい。


 それぞれがそれぞれの中学校で異形のトップだったり、あるいは地区の、市町村の、都道府県のトップだったり、あるいはどうしようもない問題児だったりする。

 僕たちの共通項は頭がいいということだけで、そして、そのことで疎外されている。疎まれている。それぞれのコミュニティで、気味悪がられ、畏怖され、あるいはたんに、見下されている。


 でも、いま僕たちは誰にも疎外されていない。

 団結し、スピーディでスムーズなコミュニケーションが可能になっている。

 知性は完全に解放されていて、理性は限りなく自由だ。

 こんなのは、僕たちの人生においてはほとんど奇跡みたいな邂逅。


 僕たちはなにも濁っていない。すべてはクリアで、澄みきっている。

 それぞれの知性を相互に信頼し、五人がひとつの難問に向き合っている。


 


「よし、はじめよう。そろそろ僕たちは、殺される側じゃないほうに回ろう。僕たちで、このゲームを支配しよう」

 速やかに、僕たちは動き始める。そして五分後、ヴァンパイアハンターが鼻歌とともに教室に現れる。


 異様な大男だった。

 鍛え上げた筋肉で身体が肥大化していて、片方の腕だけで僕の全身くらいの質量がありそうだった。

 マーベルのスーパーヒーローみたいだ。

 おまけにの広い黒い帽子を被って、肩には金糸の刺繍で縁どられた黒いマントまで羽織っていて、首には銀のロザリオ。腰には十字架を巨大にしたみたいなデザインの剣を提げていて、きわめつけに、口ずさんでいるのはバッハの無伴奏チェロ組曲第一番のメロディーだった。


 どこから見ても、まさにヴァンパイアハンター。その醜悪なカリカチュア。

 そのへんの二流のコミックから抜け出してきたような。


「おや?」と、教室に足を踏み入れるなり、大男はそう呟いた。「意外だな。一般の女子中学生しかいないと聞いていたが、なかなかどうしてコンディって感じじゃないか」

 絶対に日本人じゃない顔をした大男が、流暢な日本語で言った。そっちのほうが、僕からすればずっと意外だった。


「ヴァンパイアハンターは、お前ひとりか?」と、僕は大男に訊く。そうだったらいいなという期待を込めて。

「ひとりだ」大男はもったいもつけず、簡単に返事をする。「真祖のガキ一匹程度、俺ひとりで十分だからな」

「その真祖のガキ一匹相手に、こんなにもたくさんの、まだ十五歳の、ただの女の子たちを巻き添えにしておいて。安全なところから対戦車擲弾をブチ込んでおいて。腰抜けが。ずいぶんとデカい口を叩くじゃないか」


 僕の安い挑発に、大男はすこし口の端を歪める。

「真祖の眷属となったのか、お前たち。忌まわしきヴァンパイアに」


「ああ」と、僕は大男に返事をする。「だから、美姫の頭部を破壊されない限り、僕たちは不死身だ。無限に復活する」


 僕たちは入り口から一番遠い壁際に陣取っている。

 美姫の身体を左右から、麻実と亜衣梨ががっしりと抱きかかえ、頭部を死守するポーズ。大男からは美姫の上半身は見えないはずだ。眷属の僕たちは、たとえ銀の杭で貫かれても死ぬことはない。美姫の頭部が破壊されない限りは。


 そして僕と令は前衛。守りは後ろのふたりに任せて、僕たちふたりの無限リスポーンでヴァンパイアハンターに対処する。


「アホかお前は。ビデオゲームじゃないんだぞ」

 ビデオゲーム、だけをネイティヴの発音で言って、大男はそこらじゅうに飛び散った死体を、元十五歳の少女たちの身体を、その破片を、躊躇なく踏み荒らして、一気に間合いを詰めてきた。

 腰にさした剣を、右腕の一本で抜く。左下から右上に振り上げたその一閃で、反射的に前に出した僕の左手の指は吹き飛んでいる。

「痛っ――!」


 痛い。痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛!! めちゃくちゃ痛い!!


「当たり前だろ。お前たち眷属は不死身と言っても、ただ不死身なだけだ。痛みや恐怖からも逃れられるわけじゃない」

 大男は振り上げた剣を今度は振り下ろし、僕を真っ二つに切り裂こうとする。

「無限に痛みにのたうち回って死ね!」


「フッ!」

 令が両手を組んで、回転を加えて大男を攻撃する。

 黒髪の姫の従者。長身の騎士。

 やっぱり、それなりに戦闘の心得はあるらしい。攻撃にキレがある。

 だけど絶対的な体格差はどうしようもない。


 大男は左手でそれを易々と弾く。マントの下から現れた左手には拳銃が握られている。ろくすっぽ狙いもつけず、大雑把に令のほうに向けて撃つ。

「んぐっ!」と、令が声を漏らす。

 右手の剣。左手の拳銃。拳銃を補助的に使う剣士のスタイル。まるで中世みたいだけど、オーソドックスなだけに隙がない。


 僕の指はもう再生している。

 再生した指で、僕は大男の目を狙う。


「アホが!」

 再び、剣の一閃。今度は僕の両腕の肘から先が飛ぶ。

 痛い! 血が噴き出して! 僕は、腕を。肘までしかない腕を。

 さらに振る。

 血が舞う。血煙が。


 一瞬。

 大男が目を細めて。


「侮ったな」

 僕は大男に向かって、言う。

 油断したな? 僕たちを、ただの女子中学生の群れと侮って。


 でも、殺し合いをしているのだ。

 相手が女子中学生であろうと、油断なんて、ただの一瞬たりともするべきではない。当然。


 拳銃で撃たれた令も、もう回復している。

 どれだけ傷を負ったところで、僕たちは美姫の頭部が破壊されない限りは絶対に不死身で。

 美姫の頭部は麻実と亜衣梨のふたりが抱き合うようにして、がっちりと両側から守っている。


 なんていうのは、もちろん嘘で。


 一筋の光が瞬く。


「は?」

 声を漏らした大男の身体は、腰のすこし上あたりで、ちょっとズレている。

「マジかよ」

 そう呟いたのを最後に、大男の上半身がスルスルと斜めにスライドして。


 崩れ落ちる。絶命する。

 背後からの美姫の一撃で。

 この世のものも、この世ならざるものも、あらゆるものを切り裂く真祖の真刀 浮世切の一閃で。


「やった!」

「勝ったの!?」

 麻実と亜衣梨がお互いの身体に回していた腕を解く。その内側に守られていた美姫の身体には、首から上が存在していない。

 ふたりが守っていたのは、ただの首無しの美姫の死体。彼女の抜け殻だ。


 支えを失った美姫の死体が、ゴロンと後ろに倒れる。


 そして美姫は、崩れ落ちた大男の死体の背後で、真刀 浮世切を手に、美しい残心。


 全裸で。


 まあこれは、なんていうか、僕がとった作戦の副作用で、致し方ない。


 真祖のヴァンパイアたる美姫は、頭部だけ無事であれば無限に復活できる。

 ならば、美姫には頭だけになってもらう。

 真刀 浮世切の一撃で、自分で自分の首を落としてもらう。


 そうして、美姫の首を隠す。

 美姫の抜け殻を囮にして、隠せるくらいに十分にコンパクトになった、美姫の本体を。

 木を隠すなら森の中。生首を隠すなら、バラバラ死体の山の中だ。


 僕たちの役目は、敵に気付かれないように、美姫が敵の背後を取れるように、敵をなるべく引きつける。ただそれだけ。


 美姫は生首の状態からでも、ほんの数秒のうちに全身を再生できる。

 大男の背後で、美姫は首から逆向きに生えるみたいに一気に再生して。

 再生した身体は、虚空から真刀 浮世切を抜く。

 

 正面きってやりあっても勝ち目がないのなら、背後をとればいい。


「やったな、美姫」

 僕は言う。


「……やったの? わたし」

 美姫は自分でも信じられないのか、すこし困ったような変な表情で、物言わぬむくろと化した大男を見下ろしている。


「やったんだよ、美姫が。自分で。僕たち全員を守ったんだ」痛みを負って、リスクを背負って、戦ったんだ。勇敢な戦士として。「誇っていいよ。君はすごい」


「それで、これからどうするんだ?」と、麻実が言った。

「どうだろう? さすがにこれだけの騒ぎだ。警察とか消防とか、救急隊とか、そういうのが駆けつけてくるだろうとは思うけど」僕は令に顔を向ける。「そういうのって、いったい?」


「基本的には敵と考えたほうがいい」と、令は答える。「政府とか、警察とか、そういう国家とか公的な組織みたいなのには、ヴァンパイアはだいたい嫌われている」


「え~、じゃあ逃げるしかないの? ひょっとしてわたしたち、ここからこのまま流浪の身?」

「そういうことになる」亜衣梨の嘆きにも、令は冷たく端的に返事をする。「ここからなら、ひとまずは山形県にある櫻森の分家に助けを求めるのが、一番近い」


「ああ、もう家には帰れないのね」

「未練があるか?」

「なくもないけど。でも、よく考えたらそうでもないかも。こっちの新しい家族ファミリーのほうが気が合いそうな気もするわ。なにしろ、話が通じるし」 


「まあ、なんとかなるだろう。三人寄れば文殊の知恵。異様に頭がいいのが五人も揃ってるんだから」

 僕は大男の死体を漁りながら言う。拳銃と、替えの弾倉マガジン。剣はさすがに大げさ過ぎていらない。あとはナイフと、それから、車のキー。これだけあれば、世界とだって戦えそうだ。僕たちなら。

「誰か、車の運転ができる人は?」


「ゲーセンの頭文字イニシャルDならめちゃくちゃ速い」麻実が答える。

「それほど速くなくてもいい。安全に、目立たないことのほうが重要だ。年齢のせいで免許はないけど、運転の経験ならわたしがある」令が言う。


「よし、じゃあ令。頼んだ」僕は令にキーを投げる。「なんで?」と、麻実が少し不満げな声をあげる。

「さすがに運転者ドライバーが制服じゃ目立ち過ぎるが……この悪趣味なマントを奪っていくしかないか」

「いいんじゃないか? きっと君に似合うよ、令」

 麻実が令に言って、笑う。


「準備はいいか?」

 僕は美姫に声を掛ける。美姫は自分の首無し死体からひっぺがしたセーラー服をかぶり、脇のチャックを閉めているところだった。

「ええ、なんとか」


「じゃあ行こう」

 僕は腕を伸ばし、美姫の手を引いて足を踏み出す。

 さあ、始まるぞと思う。

 今から。ここから。僕たちの最速の物語ストーリーが。


 僕の気分の高揚に水を差すように、美姫がぽつりと言った。

「普通の、五人乗れるやつだといいわね。二人乗りのフェラーリとかじゃなくて」


 ああ……どうかな。なにしろ、黒い帽子に黒いマントのヴァンパイアハンターの車だから。

 白のトヨタカローラではなさそうだよね。

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コンバットレディ 大澤めぐみ @kinky12x08

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