戻ってこない
桐谷はる
戻ってこない
進学を機に青森から上京したUさんは、東京では夜遅くでも平気で人が出歩いているのに驚いた、という。
「地元は、女子供が夜に出歩くなんてとんでもないという感じでした。開いているお店なんてないし、真っ暗で危ないですし」
だから住まいの周囲がいつまでも明るく、何時まででも人がいるのが不思議だった。中高生くらいの子供でも、夜遅くに家の外に出てコンビニや自販機でジュースを買うくらいは普通にしている。なんだか不用心すぎる気もしたが、次第に慣れていった。
入学から半年もすると、家に泊めたり泊めてもらったりする仲の良い友人たちもできた。男ばかりの気楽な集まりだった。
Aさんとは、特にうまがあった。暇になるとどちらかの家で、だらだらと酒を飲みながらゲームをして過ごした。Aさんも一人暮らしだったが、出身は埼玉の東京寄りだという。真夜中でも酒が足りなくなると「ちょっとコンビニ行ってくる」と気軽に外に出てゆく。都会出身はこういう感覚なんだな、とUさんは思っていた。Aさんはどうやら煙草を吸ってもいるようで、コンビニから帰ってくると少し匂いがした。
ある日、Uさんの家で2人はだらだらと酒を飲んでいた。Uさんはいつになく酔いが回り、うたた寝をしてしまった。夢うつつに、Aさんが部屋を出ていく気配を感じたが、起き上がることができなかった。
目が覚めると、時計の針は夜中の3時を指していた。
Aさんがいない。
帰ったのか、と最初は思った。しかし、Aさんが部屋を出ていったのがたぶん0時頃で、もう終電はなかったはずだ。コンビニは歩いて5分ほどのところにある。「どこにいるんだ」とLINEを送ると、テーブルの下で音がした。見覚えのあるAさんのスマホが置き去りになっていた。
「他のものならともかく、スマホを忘れて帰るのは変だなと思いました。もしかしたら、コンビニに行く途中に何かあったのかもしれない。警察に電話した方がいいのか、でもいい年をした男がちょっと帰ってこないからって相手にしてくれるわけないな、とか」
Uさんは眠れないまま朝を迎え、とりあえず大学へ向かった。友人や先輩に相談したかったからだ。
溜まり場にしているサークルの部室に寄ると、Aさんが昨日と変わらない姿で友人と談笑しているところだった。
なんだよ、急にいなくなって。心配したじゃないか――と苦情を並べようとしたところで、Uさんはぞっとして足を止めた。
「――こいつ、本当にAか?って、なぜだかわからないけれど、そう思ったんです」
姿かたちは紛れもなくAさんだ。どこにもおかしなところなどない。黙ったまま突っ立っていると、Aさんから「おう、昨日は悪かったな。ちょっと用事を思い出してさ」と声をかけてくる。Uさんはかろうじて「うちに忘れてったぞ」と持ってきていたスマホを渡した。周囲の誰も、違和感を抱いている様子はない。Uさんだって説明できるわけではない。
「でも、やっぱりAじゃないような気がして。どうしたらいいか考えたんですけど、昨日の会話を思い返して、どうにか確かめられないかと思って――」
今度映画を見に行こうって話、したよな。何の映画だったか覚えてるよな。
そうだっけ? 悪い、なんだっけ?
覚えてるだろ。だって、1時間くらいずっとその話ばかりしてたじゃんか。お前、1年前からずっと楽しみにしてたって言ってたぞ。酔ってたって思い出せるだろ。
Aさんはすっと無表情になって、ゆっくりと顔を上げ、Uさんを見た。
友人の一人が「おい、移動しようぜ、次の授業とってるだろ」と声をかけてきた。その場の全員がばらばらと立ち上がり、移動を始めた。
「あのときのAは、すごく――嫌な顔をしていました。なんていうのかな、穴があいたみたいな目をしていて。あのままいたら、叫びだしていたかもしれません」
それきりUさんはAさんを避けるようになり、部室にも寄り付かなくなった。Aさんや他の知り合いとは縁遠くなったまま日々は過ぎた。
数年後、友人同士の集まりで、Aさんが退学していたことを聞いた。
「――失踪したらしいんです。あの時から半年くらいして」
Uさんは1年ほどアメリカへ留学していた。その時期と重なっていたため、当時は噂も耳に入らなかった。
「それが今になって噂になったのは、僕も又聞きで、見たことがあるわけじゃないんですけど…、Aの持ち物が、たまに僕があの頃住んでいたあたりで見つかるらしいんです。アパートの廊下とか、コンビニの中とか」
ハンカチとか家の鍵とか、たぶん彼があの日持っていたものだという。
「Aは、まだあのあたりにいるんでしょうか。だったら、あの怖い目をしたAみたいなものは、一体どこにいったんでしょうか」
Uさんは、自分が住んでいた周辺に近寄らないよう気を付けている、という。
戻ってこない 桐谷はる @kiriyaharu
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