第31話 継承されて来たもの


 エレイーナに無理やりに手を引っ張られながら怜人は魔王城へと向かった。正面口から向かい、大階段は魔力で動く軌道車に乗る。他にも種々雑多な人々が乗っており、混雑していた。

 開け放たれた城門を通り抜け、そのまま正面にある一番大きな棟へと入って行く。おそらくここが本館だろう。

 手を引かれるままにいくつかの階段と回廊を抜けると、昇降機にたどり着く。上層へはこの昇降機を使わなければ上がれないらしい。エレイーナは昇降機の入り口の両脇を固めている兵士にひと声かけるとそのまま乗り込む。既に顔なじみになっているようで、怜人のことも特に問いただされることはなかった。

 がしゃん、と音を立てて昇降機の安全バーが下りて鳥かごのようなデザインの昇降機が昇り始める。


「で? 何で俺を呼んだんだ?」

「さっきも言った通りですのよ。ミリアさんを止めてほしいんですの」

「戦いって言ってたな。どこかで魔獣が暴れてるのか?」


 この国の魔王に求められる仕事――公務と言ってもいいものの一つに魔獣の討伐があげられる。本来どこの国でもトップが戦場の矢面に立つなど愚策中の愚策と言っていいだろうが、この国に限ってはそれが当たり前のことだ。

 魔王こそがドラグヘイム帝国が誇る最強の矛でなければならない。

 その絶対の不文律があるからこそ長い間国を維持してこられたのだ。だからミリアが戦場へ向かうことは特におかしなことだとは思えない。何よりあの日闘技場で見た彼女の本来の力は余人が口を出せるようなレベルではなかった。

 怜人自身も含めて、だ。

 だがエレイーナは首を振る。


「わたくしも別にミリアさんが魔獣に後れを取ると思って止めたいわけではありませんのよ。今はちょっと時期が悪すぎるということですの」

「時期?」


 その意味を確認するよりも先に、昇降機が止まる。二人が昇降機を出るとそのままいくつかの階段を昇って、本館からせり出した塔へとつながる空中回廊を渡る。

 窓からは眼下に魔都の町並みを一望できた。

 その姿はとても魔都などと呼ばれるおどろおどろしさとはかけ離れた美しさだ。


「ここは朝や夕に見るととてもきれいな景色を見れますのよ」

「……お前、そんな時間にここで仕事してるのか?」

「誰かさんと違って、魔王様は金払いはいいですのよ」


 見下すように鼻を鳴らすエレイーナに舌打ちを返す。図書館に入り浸って本を読みふけっているだけだと聞いていたが、どうやらいつの間にか国政に関わっていたらしい。


「お前セレスティアン王国の貴族だろうが。国を裏切って何してんだよ」

「別に裏切ってませんのよ。この国は今のところ我が国に対して戦争の意図はありませんし、わたくしとしても国の運営を学べるいい機会ですのよ。それに、あの方にああもなきつかれては流石に黙っていられませんのよ」

「あの方? ミリアか」

「違いますのよ、この国の宰相ですの」


 そう話している間に短い空中回廊は突き当りになる。扉の脇にはここまで見てきたの同じ兵士が護衛に立っている。だがその装備は他とは一線を画すもので、しかも怜人には見覚えがあった。ベゼルへ来る途中で共に行動した親衛隊の装備だ。そんな人物が守っている場所と言うことはこの先にミリアがいるのだろう。


「失礼しますのよ」


 そう言ってエレイーナがさっさと扉を開ける。ここに出入りするのもかなり慣れているようだ。

 中へ入ると一見してそこは戦場だと分かる状態だった。

 床には足首まで埋まりそうなカーペットが引かれ、壁にはおそらく資料なのだろう本が幾つも収められた書架が並んでいる。窓から差し込む光は柔らかで、本来であれば落ち着いた雰囲気が漂う場所なのだろう。

 だがそんな部屋の真ん中には長テーブルが幾つも並べられ、そこにかじりついた人たちが必死の形相で紙に何か書きつけている様子だった。時折「あの資料は」「あっちの計算は!?」「帰りたい」など怒号にも似た声が飛び交っている。


「えーと、これは?」

「彼らは王の執務の補佐官たちですの。ほぼこの国の頭脳と言っていいですのよ。さ、上に行きますのよ」

「上?」


 そう言われて見れば、部屋はロフトのような構造になっていて、部屋の両サイドに半螺旋状の階段がある。

 先に上がるエレイーナに続くと、下の階の半分ほどのスペースがあった。

 部屋の中は、下もそうだったが装飾の類がほとんど見られず、わずかな観葉植物と品の良い高級な調度品のみが部屋の主の地位を表していた。特に大きな執務机と、その前にソファを挟んでおかれたローテーブルからは高級感が漂っている。

 そんな部屋の中で、場違いだとしか感じられない少女が一人、執務机で仕事をしていた。


「ミリア」

「ん」


 そっけないやりとりは、部屋の奥の窓を背にする形で置かれた執務机を挟んで行われた。しかもその間ミリアは顔を上げていない。

 手は机の上に山のように置かれた書類を右から左へと流し、必要事項を書き込んでさらに左に置かれたいくつかの箱の中へと分類して投げ込んでいる。

 目は書類から一切離していないし、やりとりはそれっきり。

 だが、その姿を見てなんだか怜人はほっとした。

 元気そうだ。

 なんとなく心配していたのだ。ミリアはほとんど家に帰ってこない。休みの日はどうやら週に一日あるかないかの様だった。その日ですらも何かあれば仕事が優先となる。

 魔王という職は、きわめて多忙だった。


「あなたたち、それで会話しているつもりですの?」


 じっとっとした視線を向けられるが怜人としては肩を竦めるしかない。


「そもそもここに呼んだのはお前だろ」

「それはそうですけれども、もうちょっとこう……何かありませんの?」

「あなたが何を期待しているのかわからない」

「ミリアさんまで……」


 にべもないミリアの言葉にエレイーナが肩を落とす。

 だがそれも一瞬の事で、すぐにしゃっきりとした顔に戻す。


「わかりましたのよ、今日ここにレイトさんを呼んだのは例の遠征の件を思いとどまってもらうためですのよ」

「……その件についてはもう話は終わった」

「まだ終わってませんのよ! 今この時期に遠征になんて行ったらミリアさん、あなた自分がどうなるか本当にわかっていますの!?」


 ミリアの変わらない冷めたような声音に対して、エレイーナが感情を爆発させた可能様にまくし立てる。だがそれでもミリアの表情は変わらない。ただ、隣に立つ怜人は別だ。


「おい、本当にどういうことなんだ。さっぱり話が見えないぞ」

「そうですわね。順を追って説明しますのよ」


 そう言ってエレイーナはローテーブルへと歩み寄った。質の良い柔らかそうなソファだ。実際座るとまるで包み込まれるような感触がある。間違いなくこの国で最高級のソファに座っている。その事実に何故か感動してしまう怜人だった。

 だからつま先がローテーブルの下に滑り込んだ時に、何か柔らかい物を蹴ったことにも初め意識が向かなかった。


「ぎゃん!?」


 続いて上がった短い悲鳴によって、怜人はローテーブルの下に何かがいることをようやく理解したのだった。


「な、なんだ?」

「ああ、ムーナさん。見えないと思ったらそんなところにいましたのね」


 そう言いながらエレイーナがローテーブルの下にかがんで手を突っ込むと、一人の女を引っ張り出した。


「んぃやぁ~仕事したくないですぅ~」


 エレイーナの手にぶら下がっていたのは真っ白な髪を背中まで伸ばし、左目に片眼鏡をかけた幼女だった。10歳前後くらいだろうか。エレイーナはそれほど高身長という訳ではないが、隣に並んでいるとよりその幼女の低身長が際立つ。


「おい、そいつは何だ?」

「ああ、この方はこの国の宰相を務めていらっしゃるムーナ・アルアニアさんですのよ」

「はぁ? 宰相? このちんちくりんが?」

「ソウ、ワタシチンチクリン。サイショウジャナイヨ~。ジャ、ソユコトデ」

「こら、逃がしませんのよ」


 エレイーナの手の中でジタバタと喚くムーナだが、体が小さすぎで全く逃げられないでいる。


「あーもう、おとなしくしなさいですの。ミリアさん、例のアレを!」

「ん」


 エレイーナの言葉に頷いたミリアが執務机の向こうから何かを放って来る。

 パシッ、といい音を鳴らしながらエレイーナが受け取ったのは板状の物体で、どうやらチョコレートの包みの様だった。


「ほーら、ムーナさん。チョコですのよ」

「あ、あ~。チョコ! チョコ欲しい~」


 エレイーナの手からチョコを受け取ったムーナが包みを無造作に引きちぎりながら開けて、むさぼり始める。その様は欠食児童か何かの様だ。


「おい、こいつ頭大丈夫か?」

「まぁ基本的には大丈夫ですのよ。チョコレートさえ食べさせておけば」

「どういうことだ?」

「ミリアさん、10時のチョコ配給を怠りましたのね?」


 責めるような視線をミリアに向けると、少しだけ気まずそうな顔をしていた。


「面目ない」

「この方はチョコレートを定期的に摂取しませんとああなりますの。普段はもうちょっとだけまともですのよ。そうでなければこの国の宰相などやってられませんの」


 そう溜息をつくエレイーナの脇には未だむしゃむしゃとチョコレートをむさぼる幼女の姿がある。

 とてもまともには見えない。


「まぁ、ムーナさんの事はおいておきますの」

「いいのか」

「その内正気に戻りますのよ」


 ひどい言いようだった。だが今重要なのはこの幼女ではない。

 エレイーナも襟を正して本題に入る。


「さて、どこからお話ししましょうか。……レイトさんはこの国の運営システムについてはどのくらい知っていますの?」

「まぁ、一通りは」


 そう答えるとエレイーナは頷いた。

 嘘ではない、読んだ本に書いてあった。

 この国、ドラグヘイム帝国は魔王がトップに存在し、その下に宰相が取りまとめる各省庁が存在する。魔王という名前から、ワンマン運転国家を想像しがちだが各省庁のトップは選挙によって選出されており、意外に民主的だ。とは言えこの国には寿命の長い枝族どころかそもそも寿命の存在しない枝族まで存在するので、中には数百年以上その地位に居座っている者もいると言う。


「そこまで分かっているなら重畳ですのよ。そんな国ですから、各省庁にそっぽを向かれると魔王といえども国家運営に支障が出ますの」

「ま、当然だな」

「で、端的に言えば現状そっぽを向かれている状況ですの」

「本当に端的だな」

「具体的には魔王であるミリアさんに対して辞任要求を提出している状態ですの」

「おいおい、サボタージュとかかと思ったら過激だな!? それ、お前の国でやったら反逆罪になるよな?」

「当たり前ですのよ。ですがこの国では各省庁のトップが持つごく普通の権利を行使しているにすぎませんのよ」


 王制を敷く国家でもしそんなことを言いだせば国家反逆罪で即刻処刑台行きだ。なんだったら不敬罪で一族郎党断頭台の露に消えかねない。


「始まりは当然ですけどミリアさんの無謀な救出行にありますのよ」


 そもそもミリアはユーノの救出に際してこの国の各省庁のトップと折り合いをつけたうえで飛び出したわけではなかったらしい。

 救出の賛成派と否定派がずっと議論を続けている状態で、いつまでたっても終わらない。そんな時にあの勇者召喚と《隕石爆撃》である。ミリアの我慢は限界だった。


「だからリナレスさんに頼んで心臓をこの国の守護に残して、転移魔法をかけさせてこの国を飛び出したんですのよこの子は」

「なるほどな」


 それは確かに怒るだろう。いきなりトップが仕事を放り出して出奔したのだから。


「各省庁のトップたち――議会はミリアさんに辞任を要求していますの。そして魔王選出ノ儀の開催も求めていますの」

「ん? それって魔王を選出する儀式じゃなかったか?」


 確か前回は5年ほど前に開催されたと聞いている。次の開催はもう5年先のはずだ。


「そうですの。ですが魔王選出ノ儀は魔王が辞任した場合、あるいは議会のうち4人以上が賛同することで発動させることが出来ますの。今回は既に4人がその意見に賛同していて、魔王選出ノ儀の発動自体は避けられませんの」

「って言っても魔王選出ノ儀が始まったからって即魔王をやめさせられるってわけじゃないんだろ? 確か最後まで勝ち残った奴が魔王を倒して次代の魔王になるんじゃなかったか? ミリアが倒されるとはとても思えないんだが」


 ルシアンと戦っていた時のミリアの姿は圧倒的だった。とてもまともな生物が戦って勝てるとは思えない。今すぐ傍に居て自分の尻尾を撫でている少女とはかけ離れているが。


「そこでこの遠征ですのよ。本来この遠征はミリアさんが行くべきというほどの物ではありませんのよ」

「どういうことだ?」

「ドラグヘイム内には一般人の登録する冒険者ギルドがありますの。彼らは職業軍人ではありませんが、魔獣災害に対してならばそれに準ずる武力を持っていますの。基本的にはそちらで対処できますのよ」


 確かに、フランカのような人が何人もいるならば対処は可能だろう。


「その上精強な陸軍も存在しますの。大きな魔獣災害が発生した場合、初動は冒険者が対応し次に各地の街を治める領主が私兵で対応しますの。その間に陸軍か、あるいは海軍空軍が動いて本対応しますのよ」

「それならミリアの出番はなさそうだな。陸軍はどうしてるんだ?」


 その言葉にエレイーナは明確に不機嫌な顔をする。


「我が国はセレスティアン王国と緊張状態にあると言って、大半の兵を西側の国境線に集めていますの。今回の災害は東側で起こっていることもあって、魔王陛下の出動を陸軍としては要請する、と」

「なるほど、一応筋は通したわけか」


 造反かどうかという点ではほぼグレーに近い黒にしか見えないが、それでも守るべき一線は守っていると言える。


「魔獣災害の起こっている東側からも、魔王陛下の出動によって民に安心感を与えてほしいという要請も来ていますの。実際、東側では魔獣災害が特に多くつい半年前にも同様の事態になったばかりですの」

「……それ、仕組まれてるんじゃないだろうな?」

「まさか、流石にそれはありませんのよ。魔獣の突発的な暴走はこの国ではよくあることですが、流石に人為的に操作することなど不可能ですのよ。それに、造反を企てている者達も自国の民を犠牲にしてまでとは考えていないと思いますのよ」


 怜人の心配を、エレイーナが一笑に付す。議会と顔を会わせたことのない怜人には分からないことだったが、直接顔を会わせているエレイーナにとっては考える必要のないことだったようだ。


「ま、でもそう言うことならそうすればいいんじゃないか? 行ってすぐ戻ってくればいいだろう」

「そうもいきませんのよ」


 そう言いながらエレイーナはミリアの執務机の上に置いてあった紙を持ってくる。折りたたまれたそれを広げると、ベゼルを中心とした地形が描かれておりかなり詳細な地図だった。

 エレイーナの指先が示した場所にはベゼルが大きな点が描かれており、続いて指が右へと動く。指は三角形にとげとげした地域を通り過ぎて、カザレと書かれた点で止まった。


「ここから目的地のカザレまで直線距離こそ近いですけど、間にはセラム山脈がありますのよ。越えるのに一苦労ですし、一人という訳に行きませんからさらに時間も必要ですの。向こうで催事を行うならなおのことですのよ」


 どうやら途中で飛び越えたとげとげした地域がセラム山脈らしい。確かにここを越えるなら時間はかかる。


「……なんとなくわかって来たな。ミリアが向こうに行っている間にベゼルが造反者に乗っ取られるのを危惧してるわけか」

「むしろクーデターが起きるくらいなら起きてくれた方が簡単なんですのよ」

「あー、その方が力で簡単に制圧できるからか……」

「正規の手続きにのっとって、正攻法で国盗りをされる方がよほど厄介ですの」


 はぁ、というため息。


「ボクは別に構わない」


 これまで静かに聞いているだけだったミリアがようやく口を開いた。ただただ平坦な声だった。


「必要なら魔王選出ノ儀で打ち倒すまで」

「ですから、そんな可能性ない方がいいに決まっていますのよ!」


 再び立ち上がって大声を上げるエレイーナ。だがミリアはそれを聞く様子はない。

 この状態ではミリアがエレイーナの提案を聞くとは思えなかった。


「おいエレイーナ。別にいいだろ。ミリアが負けるとは思えないし、何だったら魔王職だって適切な相手なら譲ってやればいいじゃないか」


 この部屋でのミリアの様子を見ていると、魔王なんてあまり楽しそうには思えなかった。家に帰ってきている時のミリアの方が数倍生きていると言う感じがした。

 だがその言葉にエレイーナは急激に顔を赤くする。


「ふざけないでくださいまし! もし万が一負けたらどうするおつもりですの!? もし負けたらミリアさんは……!」

「エレイーナ、それ以上は、ダメ」


 だがエレイーナの言葉はミリアの静かな声に遮られた。

 はっとした様子で振り返って固まるエレイーナ。


「……なんだ? 負けた時、魔王位の譲渡以外に何かあるのか?」


 そこまでの様子を見れば怜人もさすがに察しが付く。エレイーナが回避しようとしているリスクが何かあるのだ。

 だが視線をミリアへ向けても彼女は口を開こうとしない。

 聞かれたくないのか。

 エレイーナへ再度視線を走らせると、彼女はうるんだ瞳で怜人とミリアの間を行き来させている。


「何が……」

「心臓ですぅ~」


 再度訊ねようとした怜人の耳に、場違いにのんきが声が差し込まれた。

 三人の視線が集まった先にいたのは手に付いたチョコを舐めとる銀髪幼女の姿だった。


「魔王は代々『魔王の心臓』を継承しているんですぅ~。ですから、魔王位の譲渡とは『魔王の心臓』の譲渡と同義になりますぅ~」

「おい、それって」

「はい」


 チョコを完全になめとったムーナの冷たいグレーの瞳が怜人を射抜く。


「魔王様の心臓を渡す、ということですねぇ~。代々の魔王様は自分の心臓を次代の魔王様に抉り取られて死ぬわけですぅ~。ご愁傷様ですねぇ~」

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