第30話 新しい風


 フランカが仕事に出かけると、家の中が途端に静かになる。単純に一人になるから、というよりもあの嵐のような女がいなくなるからだ。

 そして怜人は食器を片付けると、あとは日の当たる窓辺で本を読むなどしてだらだらと過ごしていた。

 電化製品によく似た物があるとは言っても、流石にゲーム機などはこの国にもない。基本的に家から出ない怜人にとって、時間を潰す作業は大半が本に触れることだけとなった。

 だがそのおかげもあってこの世界の事、この国の事をかなり知ることは出来た。城の魔法図書館に籠っているエレイーナほどではないだろうが、魔法についてもかなり詳しくなったと言っていいだろう。だがそれ以上にこの世界の文化・習俗に詳しくなれたことは大きい。これから先、ずっとこの世界で生きて行くのならそう言った知識はちゃんとあるに越したことはない。

 とりあえず、手に入れたその知識を生かして畑を始めてみた。家主に確認すると二つ返事で許可を貰えたからだ。とはいえ植える作業も終わればあとは水を撒くのが日課になるくらいだ。植えたばかりの畑には邪魔な雑草もまだない。


「にーちゃん、掃除の邪魔だからどいてよ」

「あ、悪いな」


 子どもの不満げな声に怜人は腰を上げた。

 振り返ると5歳くらいの男の子が掃除機を持ってこちらを見ていた。灰色の髪からは小さな角が二つ覗いている。鬼人枝族の子どもだ。


「ダイニングの方よろしく」

「えー? フランカさん昨日また飲んでるよ!?」

「あの人お酒飲まない日なんてあんのか?」


 ダイニングキッチンのほうからはそんな声も聞こえてきている。


「こんにちは、レイトさん。今日はここで本を読んでたんですね」

「ユーノか。いつも悪いな」


 窓辺から本を持ったまま離れて、掃除をしてくれている子どもを見ているとユーノがやってくる。

 彼らはシュラウト孤児院の子どもたちだ。ユーノが暮らしている孤児院でもある。

 この国は魔獣の生息地域がかなり多い。そのためよく人の生活領域とぶつかり合い、結果として親を喪う子どもも多い。シュラウト孤児院はそう言った子どもたちを受け入れている場所の一つだった。

 ミリアもかつてはそこで生活していたのだという。今は普段自分がいない間、家の掃除など簡単なことを孤児たちに任せて小遣いをあげているのだ。


「いえいえ。フランカさんが飲み散らかした後、酒瓶をまとめてくれているだけで大助かりですよ。何度言ってもあの人そのままにして寝ちゃいますからね」


 苦笑交じりにそう言われれば、乾いた笑いしか出ない。


「……それにしても、ミリアもユーノも魔人族だったとはな」

「黙っていてすみません」

「いいさ。知ってても何も変わらなかったよ」

「……だと思ってました」


 怜人の言葉に笑みを見せるユーノ。その笑みは、セレスティアン王国で出会った頃から何も変わらない。


「まぁミリアが心臓を取り戻して姿が変わったのにはさすがに驚いたけどな。ユーノもそういうのあるのか?」

「ええ。今も隠している状態ですけどね。僕の枝族は魔人族の中でもちょっと特殊で……本来の姿のままだと目立っちゃうんです」

「それは面倒だな」


 魔人族たちの住む国の中にあっても目立つ、と言うのはかなり大変に思われた。何しろこの国リナレスのようにほとんど人間と変わらない見た目をしている者もいれば粘性の液体生物、つまりスライムのような者までいるのだ。そんな中でも目立ってしまうと言うのは相当だと言える。


「そう言えばフランカって何者なんだ? ミリアとは友人だって聞いてるが」


 逆に言えばそれ以上の事ははぐらかされて何も聞いていない。魔王の友人で、しかも家に居候させている相手が普通の人間ということはないはずだ。孤児院との付き合いも長いと聞いている。ユーノなら何か知っているのではないかと思った。

 だがユーノは首を横に振る。


「僕も詳しくは何も。ただ、お姉ちゃんが魔王になる前からの友人だそうなので付き合いは50年以上なのは間違いないですね」

「ご、50年……」


 ミリアの魔王戴冠は50年前だと聞いてはいたが、フランカは見た目だけなら10代後半か20代前半の女にしか見えない。尻尾のないミリアなど10代だ。だが二人とも怜人よりずっと長い時間を生きてきているのだ。とてもそうは見えないが。


「まさかお前もとか言わないよな?」

「あはは、僕はまだそんな歳じゃないですよ」


 声を上げて笑う姿にほっと胸をなでおろす。


「そもそもお姉ちゃんはシュラウト孤児院の出身なんです。それでウチの孤児院とつながりがあって」

「なるほどな」


 だからあれほどまでにユーノの救出にこだわったのだ。


「それが何でまた魔王に?」

「詳しくは分かりませんけど、この国で魔王位に就く方法はたった一つですよ」

「魔王選出ノ儀か……」


 色々な本を読んでいて見つけた情報だったのだが、この国で王位の継承は『魔王選出ノ儀』という物で行われる。血統による継承でも、人々の総意に寄る推挙でもない。10年に一度開催されるこの儀式で選ばれるのだ。


「でもあれ、要するに決闘によるトーナメントだろ?」


 その儀式に参加する資格はすべての国民にある。一人一人が一対一での決闘を行い、最後の一人が現魔王と対峙し、これを倒せば次の魔王に代替わりする。寿命や戦死などにより現魔王が不在の場合はトーナメントのトップが時代の魔王になるのだ。

 この国では強さこそがもっとも王に求められる資質なのだった。


「そうですね。この国もお姉ちゃんが魔王になってからずいぶん変わったと大人の人は言いますけど、それでもやはり強さを求められる風潮はありますし、憧れでもあります。何より、事実として武力が必要です」

「魔獣か……」


 今家の中を隅々まで掃除してくれている子どもたちの何人かはそう言った魔獣に親を殺された者達だ。


「そんな国ですから、喧嘩っ早い人も多いですし、そう言う意味でもまとめあげる王に力は必要なんですよ」

「……」


 確かに、ベゼルの外側にそんな世界が広がっているなど想像もできないくらいにこの都市は安全だ。それは魔王の治世が卓越しているのが理由なのだろう。

 もしそうでなければ怜人は今のようにニート生活を謳歌することなど出来はしなかった。


「なーなーにーちゃんってヒモなの?」


 そう無邪気に話しかけてきたのは自分の分担している掃除を終わらせた年少の子どもだ。


「うむ、そうだぞ。働いたら負けだと思っている」

「レイトさん。本気にしますからあんまり冗談を言わないでください」


 確かに訊ねて来た子どもは目を輝かせて聞いている。そんなにニートになりたいのだろうか。


「おれ、人族だからさ。みんなよりも力が弱いし、体力もないし……きっと強くなんてなれないからさ。でもっ、ヒモにだったらなれると思うんだ! にーちゃんみたいなふつーの顔の人でもなれるんでしょ?」

「おい遠回しにディスってんじゃねえぞ、ガキ」


 がしっと頭を掴んでやるもきゃっきゃと喜ぶばかりだ。大した力は入れていないし、遊んでもらっているとでも思っているのだろう。


「でも実際そうですよね。フランカさんはああして毎日冒険者ギルドに通って魔獣退治の仕事をしてるのにレイトさんは……」

「おいおい、ユーノまで……」


 フランカが行っている冒険者ギルドとは、魔獣討伐や魔獣の生息地に分け入って採取などをしてくる人達の総称だ。この国では魔獣の脅威から身を守るために武術の発展と教育に熱心で、そこら中に武術道場なんかもある。結果、そこでの実績を生かして魔王城に仕える兵士になったり、ならなかった者は冒険者ギルドに登録してそういった仕事に励む者達が多いのだった。


「俺はミリアからの報酬が出るまでの間ここで待ってるだけだ。報酬が出たらここを出ていくし、仕事だってするさ」


 家を使っていい、と言われただけではなくミリアからは生活費ももらっている。そのおかげで怜人は大した労働もせずにこうして生活できていたわけだが、確かに考えてみればただのヒモでしかない。


「そうですか。まぁお姉ちゃんはいつまでいてもらっても構わないでしょうけど」

「ん? どういう意味だ?」

「ユーノくーん、お掃除終わったよ!」


 訊ねた怜人の言葉を遮るように、掃除を終えた子どもたちが部屋に入ってくる。怜人がヒモ状態なのは、彼らの仕事を奪わないようにするためでもあるのだが、いや何を言っても言い訳になるなと首を振って出かかった言葉をかき消す。


「それじゃ、今日はこれで。また二日後に来ます」

「……なぁユーノ。アーニャは、どうしてる?」


 その言葉にユーノはピタリと足を止めた。掃除を終え、仕事から解放された子どもたちのはしゃぐ声が遠くに聞こえた。


「元気ですよ。外見的には」


 振り返らず告げられたその言葉に、怜人がピクリと反応する。


「彼女はレザックさんが帰って来ることを疑っていません」

「だが捜索は……」

「ええ、まだ何も見つかっていません。現在は陸軍に引き継がれたようですね」


 当初初期捜索を行っていた親衛隊は引き上げ、その後の捜査は陸軍へと移行された。だがその捜索でも何の手がかりも得られなかったのだと言う。


「アーニャちゃんは、きっと待ち続けるでしょうね。それともどこかで折り合いを付けられるようになるのか……今はまだ何もわかりません」

「……」

「ああ、そうだ一つだけ言っておくことがあったんです」

「?」

「レザックさんを助けられなかったのはあなたのせいではありませんよ。だからそんなに思いつめた顔をしないでください」

「っ!」


 そう言われて、怜人は思わず顔をそむけて隠そうとしてしまう。

 考えていたことをこんな子どもに言い当てられてしまったことが恥ずかしくもあったからだ。自分の考えが自意識過剰な事など、自分で一番理解していた。


「あの時はきっと、ああなるほかなかったんですよ」

「……お前本当に子どもなのか? ミリアみたいに実は100歳のじいさんだって言われたほうが納得するぞ」

「ははっ。僕は間違いなく見た目通りの年齢ですよ」


 からからと笑うその姿からは確かに年相応の気配を感じた。


「ま、そう言うわけですから。今度はレイトさんが孤児院の方に遊びに来てくださいよ。院の子どもたちの中には、あなたに懐いている子もいるんですから」

「どうだかな」


 さっきの様にじゃれついて来る子どもが最近増えた。

 ここに来るまで子どもなど鬱陶しいだけの存在だったが、最近は悪くないとも思えるようになった。彼らが皆、日々をそれぞれに精いっぱいやって生きていることを知ったからかもしれない。


「気が向いたらそうさせてもらうよ」

「はい、では」


 そう言ってユーノは帰って行った。

 子どもたちの笑い声が通りの方から聞こえてきて、それが微かになって遠ざかり再び静寂が家の中を満たした。

 ベゼルの内側第二層はほとんどが政府関連施設で、そうでなければそこで仕事をしている人用の宿舎がほとんどだ。金を持っている政府高官などは広い本邸を4層に持ち、2層内に仮宅を持つことが多いと言う。その仮宅は、役職を辞した時に大抵手放して新しい役人が使うのだとか。

 そんなわけで、魔王城に一番近い場所だと言うのにここはとても静かなのだった。

 ふわりと風が吹く。開け放たれた窓から家の中に風が吹き込み満たしていった。

 ここに着いたときは柔らかかった日差しが、最近では刺さるようなギラギラしたものに代わり始めていた。どうやらこの国には四季があり、もうすぐ夏になるらしかった。

 今まで生きて来たどの場所よりも居心地がいい。

 何故だか今そう思う。

 フランカはめんどくさいし、子どもたちは少々うるさい時があるが。

 もし、ミリアが家を用意できないならずっとここにいてもいいかもしれない。


「……そんなわけにはいかないか」


 そもそも現職の魔王の家に若い男がずっといるのは問題だろう。ここに来るときにリナレスにもすごい目で睨まれていたし。

 流石にそろそろ仕事でも探すべきか、そう考え始めた時だった。

 ぴんぽ~ん。

 という間の抜けたチャイムが鳴る。玄関口からだ。

 続いてどんどんとドアを叩く音。

 ここが魔王の自宅だと知ってやっているなら相当な胆力の持ち主だ。ミリアの自宅の場所に関してはほぼ全国民が知っているらしいからだ。

 だがその疑問はすぐに解消されることになる。


「レイトさん! レイトさんいますの!?」


 聞こえた女の声はエレイーナの物だった。

 ここに居候を始めてからは会っていないから、久しぶりだ。

 なんとなく、久しぶりに友達に会うような高揚感が胸に湧き上がる。

 足をいそいそと玄関へ向けると、乱暴なノックを無視して扉を開けてやる。


「うるさいな、近所迷惑を考えろ」


 口から出たのはそんな憎まれ口だったが。

 エレイーナは顔を赤くして、それどころではない様子だった。


「出て来るのが遅いですのよ! そんなことより早く一緒に魔王城へ来てくださいまし!」

「は、なんで?」

「ミリアさんが戦いに行くと言ってきかないんですのよ! 一緒に引き止めて下さいまし!」


 エレイーナの口から出たのはそんな言葉だった。

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