第29話 目をそらし続ける


 崩落した天井から差し込む陽光を背に、ミリアがグラウンドに舞い降りる。音もなく着地する姿は、本人の持つ人形のような美しさも相まって人外の雰囲気を醸し出していた。


「ミリア……」

「ミリアさんッ!」


 声をかけようとした怜人を遮って、隣にいたエレイーナが駆け出した。すぐさまミリアに駆け寄ったエレイーナは、ミリアの小柄な体躯を頭のてっぺんからつま先まで眺めて触って確認している。


「何?」


 不満げなミリアの声。


「何って、無事を確認しているんですのよ! いきなりそんな体になってしまった上にあんな戦闘をして……! 本当に大丈夫なんですの?」

「心配いらない。この体は元に戻っただけ」


 そう言いながら、腰のあたりから生えた尻尾を揺らす。首筋から頬にかけてわずかに覗く黒い鱗にエレイーナはためらいなく指を這わせて感嘆の声を漏らしていた。


「すっごい滑らかすべすべですのよ……! これ、どんなお手入れしますの?」

「……必要ない」


 エレイーナが目をキラキラとさせて尋ねるのに対して、ミリアはそっけない返事をするが、わずかばかりの戸惑いを含んでいるようだった。

 止めてやった方がいいだろう、そう思って足を踏み出そうとした怜人だったが、ぺたぺたと触り続けるエレイーナに横合いからぶつかって来た影があった。


「魔王陛下! よくぞ、よくぞご無事でッッ!」


 エレイーナを跳ね飛ばし、リナレスはそのままミリアの小柄な体を抱きしめた。その上でミリアのきれいな黒髪に頬ずりしている。ミリアは若干辟易した様子だ。だがものすごく嫌がっている様子ではない。恐らくいつもの事なのだろう。

 だから怜人の手が止まる。

 話しかけに行けない。

 結局今回もミリアに頼るだけになった。見ていることしかできなかった。

 弱い。

 自分が強いなどと己惚れたことはなかったが、それでもここまで役に立たないとは思わなかった。


「本当にそうですよね。レイトさん、あなたは何をするためにここまで来たんですか?」

「!?」


 不意に聞こえた声に顔を上げると、ミリアの隣にユーノが立っている。顔に浮かべているのは温和な笑み。だと言うのに、怜人はその笑みにゾッと背筋が凍った。


「あなたは僕達の護衛のためにここまで一緒に来てくれましたね。ですがあなたがやったことは何ですか? 結局いつもお姉ちゃんを頼っていましたね」

「そ、それは」

「事実です。そうでしょう? エレイーナさん」


 気が付くと、さっきリナレスに弾き飛ばされたはずのエレイーナが冷たい目でこちらを見ている。


「ええ。この男は親衛隊長との戦いにおいても結局ミリアさんに助けられていましたの。つい先ほども、わたくしが間に割って入らなければ生きることすら諦めていたのではございませんの?」

「っ……! うるさい、黙れよ!」


 反射的にそう叫ぶも、エレイーナの首輪に反応はない。にやりと口唇を上げるエレイーナ。


「こんなもの、もう意味はありませんのよ」


 そう言ってまるでごく普通のチョーカーを外すようにして手に取る。


「な、お前」

「これでもうあなたの言いなりになんてなる必要ありませんですわね」


 投げられたチョーカーが軽い音を立ててグラウンドに転がった。


「まぁそもそも、よわっちぃあなたなんかにもう付いていく人なんているはずありませんの」

「お、俺は……」

「弱くない、とでも言いますの? でしたらその言葉は彼に直接言っておやりなさいな――ねぇ、レザックさん?」


 呼んだ名前に、今度こそ怜人は体が凍った。いつの間にか足が動かない、声も出なくなっていた。


「ねぇ、怜人兄ちゃん。どうしてオレを助けてくれなかったんだ?」


 服を、引っ張られる感触。つられて、見たくないのに視線も引っ張られる。

 鼻先数センチにいたのは赤毛の少年。

 だが今、頭は二つに割れ血が吹き出し、眼球が零れ落ちている。服を掴んでぶら下がっているが、ぷらぷら揺れる両足は共にあらぬ方向へと向いていた。

 ひたり、と頬に冷たい手が触れる。ねっとりとした感触に視線だけを向けると、血にまみれたレザックの手だ。


「う、うわあああああああああ!」


 今度は声が出た。

 それによってか体が動くようになる。

 体にしがみつくレザックを振り払って、後ろに駆け出そうとする。


「ねぇ、それで強くなったつもりなの?」


 目の前を塞ぐかのように、いつの間にか一人の少女が佇んでいる。

 長い黒髪を地面まで垂らした白い服の女だ。

 見たことのない風貌。だが、声だけははっきりと分かる。


「    」


 名前を呼ぼうと大きく息を吸った瞬間。

 鼻腔一杯をアルコールの匂いが満たして怜人は飛び起きた。


   ◇


 がばっ、と掛け布団を跳ねのけるようにして飛び起きると、ここしばらく使っている自分の部屋の光景が目に入って来た。

 物と言えるものはほとんどない。

 着替えはクローゼットに入っているし、机と椅子があるだけ。その机と脇に積み上がっているいくつかの本だけがこっちに来てから手に入れた私物だと言える。左手の壁に大きく設えられた窓からは朝の陽ざしが差し込んできていた。

 そして視線を落とすと、自分が寝ていたベッドの隣が大きく膨らんでいる。

 眉根を寄せてその光景を見下ろす。

 怜人は何も言わず、いきなり掛け布団をひっぺがした。


「ずごごごごご……」


 豪快ないびきをかいて寝ている女の姿がそこにあった。

 肌は日に焼けて浅黒く、膝裏まである長い黒髪を一本の三つ編みにしている。着ているのはよれよれのタンクトップとショートパンツのみ。長い素足と、タンクトップの隙間からこぼれそうになっている水蜜桃に目を惹かれそうになって視線を顔に戻す。顔立ちは整っているが、口を大きく開けていびきをかく姿からはとても品のある女性には見えない。

 そしてそれは事実だ。

 何故ならその女の手の中には透き通った大きな一升瓶が抱え込まれているからだ。中身はない。だがおそらくほんの少しは残っていたのだろう。

 その香りが、怜人を夢の中から引きずり出したのだ。


(っていうかあの女、絶対こいつだろ)


 いまだ起きる気配のない女を見下ろす。

 そして容赦なく手刀をその顔に振り下ろした。

 ゴッ、という音を立てて怜人の手刀が着地した。

 持ち上げられた一升瓶にだ。


「ッ~!?」


 こうなるだろうと踏んで加減はしたつもりだったが、目の前の女はどうやら手刀を振り下ろすのに合わせて勢いよく瓶を持ち上げたようだ。手から伝わって来る痛みがぶつかった速度を物語っている。


「うん? 何じゃ貴様。何をしておる」


 ぱちりと開いたグレーの瞳がこちらを胡乱気に見つめていた。


「あんたのせいだろうが!」

「ふむ、寝ている妾に手を出すなど100年早いのじゃ」

「出してねえわ。あと俺のベッドに勝手に入るなって言ってるだろうが。心臓に悪い」

「蚤の心臓じゃのう。この程度のことでぐちぐちと……それより朝食はまだかの?」

「あー、はいはい」


 傲慢な態度のこの女はフランカ。怜人と同じ、この家の居候だ。

 ベッドを出た怜人はそのまま部屋を出て一階のキッチンへと向かう。ベゼル第二層にあるこの家は本来ミリアの物だ。怜人の物でも、ましてやフランカの物でもない。

 キッチンは見た目的にはほぼ元の世界のIH付いたシステムキッチン同様の外観をしている。フライパンに火を入れ、冷蔵庫の中を確認する。この国、魔力を動力源として冷蔵庫やキッチンなど元の世界で電化製品と呼ばれていた物がかなりの数普及していた。セレスティアン王国では見なかったものだ。


「ま、テキトーでいいだろ」


 そう言いながら卵やベーコンなどを取り出す。

 順番に焼いていると、慣れた作業で手が勝手に動くものだから頭は別の事を考え始めてしまう。

 思い出すのは先ほどの夢だ。

 途中までの事は、あの日ルシアンと戦ったあとこのことそのままだ。

 ミリアは魔王として城に戻り。

 エレイーナは頼んでいた通り、城の魔法図書館に通っている。

 と言うよりも泊まり込んで本を読みふけっているらしい。時折家に帰って来るミリアがそう言っていた。エレイーナがミリアをベゼルまで護衛した報酬と言う形で望んだのだから何も問題ないのだそうだ。

 一方で怜人の報酬は現在調整中となっている。そしてそれまでのつなぎとしてここに間借りしている状態だ。ミリアに報酬として要求した『庭付き一戸建て』が出来るまでここを使って欲しいと直接言われたのだ。以前ユーノが言っていた通り、金は結構持っているようで、この家は上下どちらのフロアも複数の部屋がゆったりとした広さだ。一国の王なのだから当然と言えば当然だが。

 しかし華美な装飾はなく、居心地の良いシンプルなデザインの家だ。庭も含めてこぢんまりとした広さで、周辺の家と比べてもなお小さい。ミリアの性格そのものを表しているようにすら感じる。

 ちなみにこの家に居候すると言う話になった時、リナレスが猛反発したのは言うまでもない。

 怜人としてはベッドがあるなら宿でも魔王城の空いている客室でも何でも構わなかったのだが、何故かリナレスを黙らせたうえで強行したようなのだった。

 そして意気揚々とやってきて、いきなり鉢合わせたのがあのフランカだった。先客がいることは、ここに来るまで知らなかった。

「よし、できた、と」


 テーブルの上に作った目玉焼きとカリカリのベーコン。サラダとスープを添えて完成だ。ただし、テーブルに並んでいるのは一人分である。対面には白い大皿を一枚置いただけだ。


「さて、と」


 そう言って冷蔵庫から取り出したのは巨大な骨に突き刺さった一抱えほどもある大きな肉だった。いわゆるそれは――マンガ肉と言う奴だった。

 冷蔵庫の一段分を丸々占領していたこいつを火にかけたフライパンの上に無理やり押し込む。一気に油が溢れ出し、ジューシーな香りが辺りを満たしていく。フライパンで熱していた部分が焼けたことを確認して肉を回転させる。徐々に骨が突き立っている面以外の全部の面を焼いていく。

 IHの火力が高いこともあって肉はすぐに焼けた。


「うまく焼けました、と」


 お決まりの文句を口にして怜人は白い大皿へと肉を移した。


「フランカ、出来たぞ」

「うむ、今行くのじゃ」


 軽い足音が何故か風呂場の方から聞こえた気がした。そう言えば調理中シャワーの音が聞こえたかもしれない。

 はっとして怜人はキッチンを飛び出そうとしたが時すでに遅し。扉が開いてフランカが入って来る。


「うむ、今朝もいいお肉の匂いがするのじゃ!」

「うわああああ、バカバカバカ! 服を着ろっていつも言ってるだろ!?」


 目の前に現れたのは褐色の肌を惜しげもなく全開にしたフランカだった。たわわな胸も、細くしまった腹も、もちろんその下まで全て丸出しだった。

 普段から薄着が大好きなこの変態美女は何故か風呂に入った後服を着ることをよく忘れる。初回でそのことを知った怜人はいつも気を付けているのだが、今日のように考え事をしているとこういった遭遇になってしまうことがたまにあった。


「何じゃお主慌ておって」

「隠せって言ってんだよ!」

「妾の体に見られて恥ずかしいような場所はないのじゃ」

「俺が困るんだよ!」

「ああ、さてはお主ドーテーと言う奴じゃな!」

「うっせえ、さっさと服を着ろ。肉が冷めるぞ!」

「おっとそれは困るのじゃ」


 そう言ってフランカは脱衣所へと駆けて行った。戻って来るまでの間にばくばく跳ねている心臓をなだめるのが大変だった。


「いただくのじゃ!」


 そう言って食卓に着いたフランカは、大口を開けて肉にかぶりつく。口の端から肉汁が溢れるが全く気にした様子はない。野性味にあふれる食べっぷりだった。

 その様子を見ながら怜人も自分で作った朝食を食べ始める。目の前の女は、毎朝これを食べなければならないらしい。朝から食べるには重すぎると常人の胃袋を持つ怜人は思うのだが、フランカが胃もたれしている様子は見たことがない。というかフランカが肉と酒以外を食べているところを見たことがなかった。

 それゆえ怜人は目の前の女が見た目通りの存在ではないことを疑っていた。

 目が二つに長い黒髪、肌は浅黒く耳は普通の長さ。身長は160センチを超えていて、ほとんど怜人と同じくらいの目線だ。さっき見た姿を思い出しても羽や尻尾はなかった。いや、胸のサイズだけは異常に大きかった。


「なんじゃお主、さっきからじろじろと。もしや妾に懸想しておるのかや?」

「なっ、ばっバカ言ってんじゃねえよ!?」


 エロいことを想像していたのは本当である。口がから回る。その様子を見たフランカが大口を開けて笑う。本当に淑女と言う言葉からは正反対の女だった。


「うむ、今日の肉もうまかったぞレイトよ」

「そうかい、そりゃよかったよ」

「なんじゃ照れおって。どれどれ頭でも撫でてやろう」

「やめろっての!」


 わざわざテーブルを回り込んで、怜人の頭に手を乗せようとしてくる。怜人はその手を少し乱暴気味に振り払おうとした。


「甘いのう」

「うおっ!?」


 だが振り払おうとした手が、一瞬の早業で怜人の手の内側へと回り込みぐるんと下へ力のベクトルを変えてしまう。怜人の手は何か重い物に押されたかのように真下へすとんと落ちたのだった。


「よしよし。今日もおいしい朝ごはんをありがとうなのじゃ」

「……」


 がら空きになった頭にフランカの細く柔らかい手が乗せられる。手の動きだけで慈しみを感じられる。だから怜人もさらに無理やり振り払うこともできずに、顔を赤くして甘んじて受けるしかないのだった。


「さて、では行ってくるのじゃ」


 そう言ってハンガーにかけてあったごつい緑のジャケットを羽織る。フードにはファーが付いたそれを、さっきと同じタンクトップの上に着ていた。


「今日はいつ帰るんだ?」

「そうじゃな、夕餉には戻るのじゃ」

「わかった」


 頷く怜人に、フランカは玄関に立てかけてあった大きなハンマーを担ぎ上げながら手を振って出て行った。

 そうしてようやく家の中が静かになる。

 怜人は大きく伸びをしてキッチンを片付けようと戻る。


「はぁー、ニート最高」


 霜月怜人。

 現在絶賛ニート生活を謳歌中だった。

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