第28話 ボクは知っている


 立ち上る光の柱が消え去ると、そこに立っていたのは一人の少女だった。

 肩口で切りそろえられた黒髪に感情の薄い人形のような造形の表情は変わらない。だが、アメジストの瞳は瞳孔が縦長になり、首から白い頬にかけて黒い鱗がわずかばかり覗いている。そして腰のあたりから太い竜の尾が伸びていた。

 だが外見的な変化は問題ではない。


「何て言う魔力……」


 ルシアンが畏れを含んだ小声をもらす。

 それほどまでにミリアの纏う魔力の質は異常だった。これまでミリアは魔力をほとんど持っていなかった。だが魔王の心臓を取り戻したことで魔力も戻った今、彼女から感じる魔力の気配は外見の存在感とはかけ離れている。

 冷たく、重い。

 対面した相手をひれ伏せさせるそんな力を内包した威圧感。圧倒的強者、捕食者側の気配を漂わせている。そして何の魔法も発動させた様子もなしに小柄な体を浮遊させた。すぐに目線がルシアンと同じ高さになる。


「これが……魔王」


 余りの違いに、呆然と言葉がこぼれた。

 だがそんな怜人とは裏腹に、ルシアンは口角を吊り上げる。


「それほどの魔力、いったいどんな魔法を使うのか楽しみですねッ!」


 言いながら、魔法陣を展開。

 氷の鳥が、灼熱の球体が、雷の槍が飛翔してミリアへと襲い掛かる。

 まっすぐに迫ってくる攻撃に、けれどミリアは腕を振り払っただけだった。だがそれによって生まれた暴風が辺りを吹き荒れる。たったそれだけのことで、迫りくる魔法の群れはそれぞれ真っ二つに切り裂かれた。


「はっ?」


 ルシアンの目が点になる。

 それもしかたのないことだ。ミリアは今、一切魔法を使っていなかった。本当にただ、腕を振り下ろしただけだ。

 怜人も見ていた。

 だから間違いない。ミリアは魔法を使っていない。


「《火扇》《氷扇》」


 小さな呟き。それと共に伸ばした掌に、腰から勝手に飛び出した双短剣が収まる。


「窮屈な思いをさせて、ゴメン」


 手の中にある双短剣が一気に巨大化する。ただの剣にしか見えなかったそれらは、刃を一気に引き伸ばし、それぞれ刀身に炎と氷を纏っている。刃の長さは小柄なミリアの身長を越すサイズであり、柄部分を覆って反対側に抜けるほどに長かった。

 右手に握った炎の剣の切先をルシアンに向けてアメジストの瞳が射抜く。


「っ」


 その瞬間、ルシアンが息をのんだのが分かった。

 いや、自分が同じことをされてもそうなると怜人は思った。


「悪いけど、すぐにボクの国から出て行って」


 短いが有無を言わせない声。ルシアンは一度大きく息を吸ってから、言葉を絞り出したようだった。


「それは出来ない。僕はこの国に新しい魔法の知識を得るために来たのですから」

「じゃあ、死んで」


 間髪入れず、ミリアが死刑宣告を下す。

 同時にその姿が掻き消えた。


「!?」


 そう思った瞬間にはルシアンの目の前にその姿がある。


「くっ!?」


 咄嗟に青い石片の盾をくみ上げてシールドを形作る。

 だが、振り下ろされた剣はやすやすととのシールドを切り裂いてしまう。


「おおおおおお!?」


 出現させた青い石片のシールドを連続でミリアの前に前に飛ばすルシアンだったが、ミリアはその小ぶりな石片の盾を絶え間なくバターの如く切り裂いていく。

 しかしそんな僅かな間でもルシアンにとっては間合いを取るには必要な時間だった。

 バラバラと高速で左手の本がめくり上げられる。同時に周囲一帯に無数の魔法陣が展開された。氷の鳥、炎の槍、真空の刃、床から天井まで伸びる棘――ありとあらゆる魔法が放たれた。

 それを――


「はッ!」


 短い呼吸と共に振り払われた炎を纏う右の双短剣が一気に切り裂いた。あたり一面に小さな火の粉が乱舞しチカチカと瞬く。無数の魔法が一瞬で焼失し、無の空間に舞い散る火の粉にある種幻想的な雰囲気すら感じそうになった怜人だったが、すぐに剣を振り抜いたばかりのミリアへ杖を振り下ろすルシアンが目に入る。

 太く重い音が辺りに鳴り響く。間違いなくまた魔法で強化していた。


「あなた、それだけの魔力があって何故魔法を使わないのですかッ!」


 ルシアンの声が、撃ちあわされた武器以上の音を以てミリアを襲う。

 だがルシアンが言う通り、ミリアは剣の力こそ使ったものの自分自身では魔法を使っている様子はない。ミリアから感じる魔力の量は、ルシアンすらを遥かに凌ぐものだ。


「ボクは魔法を使えない」

「は?」

「使えるのはせいぜい身体を強化する物だけ。他の魔法は、複雑すぎてわからない。だから知らない」

「ッッッッッッ!?」


 ミリアが冷静にいつも通りの口調で返すのを見て、怜人は少し心が落ち着く。姿が変わってもミリアは怜人が知っているミリアのままだったからだ。

 だが反対に、その答えを聞いたルシアンの顔は歪んでいる。理解不能、と言わんばかりだ。


「ふざけるなふざけるなふざけるな! それだけの魔力があって『知らない』だとッ!? 知ろうとしなかったと言うのですか! これだけの力がありながら!?」


 何が琴線に引っかかったのか、ルシアンは狂ったように杖を振りたくる。一撃一撃が地面を砕くほどの物だが、ミリアはそれをすべて受け止める。


「それだけの力を無駄にしてッ! 許されるはずがないッ!」


 再び本をバラバラとめくり上げるルシアン。だがその瞬間にミリアの左手が翻る。


「っ!?」


 空中に朱線が走る。

 ルシアンの左手が、手の中にあった本ごと切り裂かれたのだ。真っ二つになった本が、いきなり燃え上がりながらひらひらとグラウンドに舞い落ちた。

 ここまでルシアンは魔法の発動に必ずあの本を使っていた。それが切り裂かれた以上、ルシアンはもう魔法を使うことは出来ないだろう。そう考えたのはミリアも同じだったようで、その口が降伏を促そうと動く。

 しかしルシアンがそれより先に口を開いた。


「それで勝ったつもりですか? 《無限書庫》」


 詠唱と共に周囲に魔法陣が再びいくつも展開される。その中から先ほど切り裂かれたものとよく似た大小さまざまな本が現れる。にやりと口角を上げるのと同時に一冊の本がパラパラとめくれ魔法陣を展開。ルシアンの左手が光に包まれ治療される。


「僕はため込んだ魔法の知識を本の形で保存している。だからこうして何十冊も本が出来上がるし、写本もしているのですよ」


 その言葉と同時にすべての本のページがめくれる。同時に視界一杯を塞ぐ魔法の嵐が吹き荒れた。先ほどの物とは比べ物にならない数だ。

 火球が氷の嵐が雷の剣が暴風の獣が真空の刃が熱線が氷の刃が――百鬼夜行の如き節操のない猥雑さでただただ全力の攻撃がミリアに向けられた。


「火扇――《灼華煉獄翼》」


 思わず「ミリア!」と叫んでしまう怜人だったが、ミリアは全く動揺した風もなく右手の火扇を持ち上げ命令を下す。

 それと同時に刀身を這っていた炎が一気に膨れ上がり闘技場の天井までを焦がし始める。炎の形は一瞬で翼のような形になり、ミリアが火扇を振り下ろすとそれに従って動いた。瞬きの間に3度炎の翼が翻る。たったそれだけでミリアへと向かっていた魔法の半分が焼けて消え去った。


「くっ、だが!」


 ルシアンが残りの半分を操作して、炎の翼を避けさせながらミリアへと向かわせた。

 すると今度は右手の剣を降ろす代わりに左手の剣をゆっくりと持ち上げ始めた。


「氷扇――《蒼華凍土翼》」


 剣がミリアの視線まで持ち上げられると、その先の空間が何の前触れもなく氷山と化した。ミリアの前からルシアンの前までの空間全てを埋め尽くしている。その空間を飛んでいた魔法の群れもすべてが凍っていた。中にはエネルギーの塊のような攻撃が幾つもあったはずなのだが、それらもすべて凍って動かなくなっている。もしかしたら概念的に停止させられているのかもしれない。

 ルシアンは目の前の状況を受け入れられないまま、口とは裏腹にそんな思考が巡っていた。


「な、何だそれは……。魔法じゃない?」


 そう、それは魔法ではなかった。


「ええ。これはこの子達の特性を解放しただけ。ボクの魔法じゃない、よ」


 その言葉と共に氷山が大きな音を立てて崩れ落ちる。中に閉じ込められた魔法も全て解けて消え去った。


「ッッ! 馬鹿にッするなッ!」


 大声を上げたルシアンがいきなりミリアへと肉薄する。

 手に持った杖に魔法を掛け再び躍りかかったのだ。だがやはりミリアの剣を抜けて体まで攻撃を届かせることは出来ない。感情を乗せた攻撃が続くだけだ。

 大ぶりな一撃が、ついにミリアを大きく後退させることに成功する。だが、ルシアンも肩で大きく息をしており、落ち着かせるために時間が必要だった。わずかな間、沈黙が二人の間を包む。

 一方でミリアは大きく後退させられたものの、目立つ怪我も疲れもない。ごく自然体だ。

 そして自然な風に話すのだ。


「あなたが何に怒っているのかわからない。けれど、ボクはこの力の使い方が最大限ボクの守りたいものを守ることにつながると信じてる」

「……」


 肩で息をしながら、ルシアンの目はしっかりとミリアを射抜いて離れない。まるで何かを探るような、真偽を確かめるような目だ。


「いいでしょう。だったらその力で守って見せて下さいよ。この魔法から」


 そう言い放つと同時に自分の手で本のページを捲る。

 ルシアンの足もとに魔法陣が展開され、翳した杖の先――ルシアンの真上に高速で魔力が集まり始めた。

 魔力は球体になり、黒い靄のような実体を伴いだす。


「わかった。なら、次で終わらせる」


 そう言ってミリアも空中で剣を構えたまま姿勢を低くし、体内で魔力を高め出した。全身を覆う強力な魔力は黒い光を放っている。見る者を威圧する、恐ろしい雰囲気。魔王の魔力そのものだ。

 対してルシアンが発動させようとしている魔法は黒いエネルギーの球体となり、飽和した魔力がバチバチと黒い雷となって周囲に帯電していた。


「すべてを飲み込め《歪天曲地》!」


 ルシアンの詠唱と共に、魔法が発動する。

 黒い球体が高速で一直線にミリアへと向かったのだ。その途上にあるすべての物を消し去りながら。あの魔法はどうやら触れた物を消滅させる魔法の様だった。

 だがそんな恐ろしい魔法が迫りつつあると言うのにも関わらず、ミリアの動きは自然体で何の恐れもなかった。

 ただ火扇を持つ右手の人差し指だけを持ち上げて、まっすぐに伸ばしたのだ。

 黒い球体へ向けて。その先にいるルシアンへ向けて。


「《エルドリンデ・ブレス》」


 短い呟きと共に、指先から黒いの炎の濁流が迸る。衝撃波はグラウンドを伝わり塔全体が揺れる。地面に倒れ伏したままの怜人ですら地面にしがみつかなければ吹き飛ばされそうだ。事実隣に立っていたエレイーナは転んで後ろ向きにひっくり返っている。

 真正面からぶつかり合った黒い炎と黒い球体は、一瞬にも満たないせめぎあいの後黒い球体が消し飛んで決着となった。


「な!?」


 ルシアンが驚きの声を上げ、自分の前方に無数の魔法陣を展開。防ぐ手立てを講じようとしたのだろうが、魔法が発動するよりも先に触れた魔法陣が一枚ずつ順番に全て崩壊していく。


「魔法ではなく、種族特性とはね……!」


 消し飛んでいく自分の魔法を見せつけられながら、ルシアンが初めて恐れを含んだ言葉を口にする。

 ルシアンの体が黒い炎の濁流に押し流されて消える。炎はそのまま一直線に進み、塔の壁を突き抜ける。夕日が沈みかけた空に向かって放射されたブレスは雲を突き抜けてようやく消滅。塔には二つ目の穴が開き、グラウンドに更に夕日が差し込むようになった。


「っはぁ、死ぬかと思いましたのよ!?」


 砂を被ったエレイーナがようやく起き上がる。どうやら怪我もしていないようだった。


「塔も無事の様ですし、これで魔法書も見放題ですの! 良かったですわね!」

「ああ、そうだな……」

「元気ないですのね~。もうちょっと嬉しそうにしたらどうですの? みんな無事ですのよ?」

「うるさいな。ちょっとの間黙ってろ」

「ひゅぐっ!?」


 隣で喚くエレイーナがうるさかったから命令すると、首輪が反応したようでエレイーナが口を閉じる。ようやく静かになった中、見上げたそこにはまだ浮遊するミリアの姿がある。

 ここにつく前までのミリアとはもう完全に別人の雰囲気だ。

 どことなく王者の風格が漂い、魔王の威圧感も感じる。

 そして、ルシアンとの戦いで見せた強さ。


「なんだ、俺いらねえじゃん」


 諦観を含んだ言葉が、怜人の口から零れ落ちた。

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