第27話 敗北


「《獄蔡鳥》《天鳴槍》《濤騰蛇》」


 詠唱と共に魔法陣がルシアンの背後に壁の如く無数に展開される。同時に地獄の業火を宿した真紅の鳥が飛び出し、金色の雷を纏った槍が空を裂き、激流が形作る蛇が怜人を飲み込まんと魔法陣から出現した。


「ちぃっ!?」


 咄嗟に周囲へ光線の発射点を出せるだけ設置する。両手それぞれに円月輪も展開しながらだ。

 襲い掛かって来る業火の鳥を一匹ずつ光線の集中砲火を浴びせながら、手に握った円月輪で山なりの軌道を描いて飛来する雷の槍を迎え撃つ。かろうじてはじき返してやることに成功するも、腕にビリビリとした痺れがまとわりつく。

 その瞬間を狙っていたのだろう。激流の水蛇が地面を揺らしながら怜人へと襲い掛かり、痺れからわずかに動くのが遅れた怜人を飲み込んだ。


「ごごごがぼぼがぼ!?」


 飲み込まれた怜人は上下も前後もわからない状態になってしまった。水蛇の中はまるで洗濯機の中のようで、激しい水の流れが絶えず向きを変えながら回転していた。このままでは窒息は免れないだろう。

 脳をシェイクされながら怜人は両手を寄せて魔力を集中させる。

 前後も上下もわからないまま、息もできない状況はかなりつらかったがどうにか充填した魔力を放出する。


「《がががごぐばどぶぼうべべんばばばばば(暗黒魔闘光線波)》!」


 水の中で気泡を漏らしながらの詠唱はかろうじて成った。

 両手の中から溢れ出したマナの光線が水蛇の体を切り裂く。体内の水の流れに身を任せながらだったため、水蛇の体を縦横無尽に切り裂いていく。

 水蛇の体から解放されたのは唐突だった。


「げぼっ、ゴホッゴホッ!?」


 グラウンドの上に投げ出されながら、肺が空気を求めるがままに大きく口を開ける。肺に入りかけた水を吐き出しながら代わりの酸素を求めて喘鳴を繰り返した。

 顔を上げるとそんな様子の怜人をルシアンが好奇心に満ちた目を輝かせながら見下ろしている。


「へぇ、まさか今ので死なないとは思いませんでしたよ」

「うっせえ。こんな程度で死ぬかよ」


 強がってみせるものの、怜人はもうすでに打てる手を失っていた。

 ルシアンの魔法は底が知れなかった。

 尽きることのない魔力も恐ろしいが、何よりも駆使される魔法の種類に際限がない。どの攻撃もまともに喰らえば必殺足りうる魔法ばかりだった。

 だと言うのに未だ怜人の命が無事なのは明らかに弄ばれているからに他ならなかった。


「てめえ、遊んでやがるな……」

「もちろん。あなたのように頑丈な手合いは大好きですよ。僕の魔法は出力が高すぎて大抵魔法を試すより先に相手が死んでしまいますからね。あなたのように生きて反応を示してくれる相手はとても貴重なんですよ。それに……」


 視線がつい、とミリアたちの方を向く。


「向こうの方の準備が整うまでの暇つぶしにはちょうどいいでしょう」

「っ! 気が付いてやがったか!?」

「それはそうでしょう。ここまで魔力の流れが大きくなって気が付かないのは三流以下だけですよ」


 周囲の魔力が大きく変質して黒竜の周りの魔法陣にまとわりついていた。発動まではあと少し、と言ったところだろう。だが、目の前の少年はそれを止めようとすらしない。


「けれど止める必要がありますか? 僕にとっては様々な魔法の知識を得られることが至上の命題ですから。あんな見たこともない魔法、止めるだなんてもったいない」

「へっ、だったらその瞬間見逃させられたら嫌がらせにちょうど良さそうだな」

「……なるほど。そう言うつもりだと言うのならあなたは敵ですね」


 一瞬。ほんの一瞬だけだがルシアンがムッとしたような表情を見せたのを怜人は見逃さなかった。

 勝てる。などとは言えない。

 それほどまでに目の前の相手は強い。

 だけどせめて後ろにいる彼女らは守りたかった。

 争うことも、相手に勝つことも嫌気がさした怜人にとって、ただ守ることだけが残された欲求だった。


「《千掌焔刃》」


 詠唱と共にルシアンの周囲に炎で形作られた長剣が無数に現出する。

 周囲を囲まれたルシアンの姿が蜃気楼によって揺らめいた。それと同時に焔の剣が一気に射出される。


「くっ《暗黒魔闘光線波》!」


 面で襲ってくる焔の剣を正面から打ち砕く。周囲に突き刺さった焔の剣が、硬く均された床を溶かしていくのが視界の端に映った。


「さぁ、どんどん行きますよ《落星光》」


 天井に、天の川の如き無数の小さな光点が生まれる。それが何なのか、自分の得意分野であったために怜人はすぐに理解して駆け出した。

 光の帯が無数に降り注ぎ、床を乱打し始めたのは直後だった。

 無数の光点はため込まれた魔力が尽きるまで無作為に光線を発し続けている。怜人はその隙間をかろうじて避けながらルシアンへ向けて駆けていた。

 少しでも近づかないと話にならない状況だった。

 本来怜人の間合いは遠距離の方が得意だ。

 光線は発射すればかなりの速度で目標へと届く上、射程はかなり長い。円月輪のような攻撃は、本来は怜人としては苦手な部類に入る。以前召喚された異世界でも怜人の役割は基本的に遠距離からの固定砲台だった。

 だが今目の前にいる相手は、怜人と同じ遠距離から無数の種類のしかも一撃一撃が必殺になるほどの攻撃を連続で放つ事のできる相手だ。怜人の攻撃は《マナジウム結晶体》から吸い上げたマナを使う攻撃が基本で、しかも高出力の攻撃には必ず詠唱を必要とする。

 現状ルシアンは怜人の完全上位互換といっていい相手だった。

 そんな相手にお互い得意な遠距離戦を仕掛けたところで負けるのは明らかだった。

 ならば相手の苦手な間合いへと入る方が活路が見えるというもの。


「うおおおおおお!」


 両手に円月輪を展開。一気に躍りかかる。だがルシアンは顔色一つ変えることはなかった。


「ほぅ、ならばこちらも《瞬豪》」

「!?」


 ルシアンの細腕で振り下ろされた杖が円月輪とぶつかり、まるで巨大な鐘でもついたかのような音が響き渡る。しかも後ろに押されたのは襲い掛かったこちらの方だった。

 そんなばかな、と目を剥く怜人に対してルシアンはさらに杖を振るう。明らかにルシアンの動きはそう言った教育を受けていない力任せな攻撃だった。旅の途中で戦ったマルファスの杖術などとは比べ物にならない。素人丸出しの動き。

 だと言うのに怜人は全く攻撃に転じることが出来なかった。

 《豪衝》と彼は詠唱していた。それが発動している魔法だと怜人は理解していた。

 効果は恐らく振るわれる杖の威力強化。

 打ち合わせた円月輪が砕かれかねないほどの威力を秘めていた。事実躱した杖の先が、硬い床を数センチもへこませクレーターを作っている。

 驚くことに、ルシアンは近接戦闘においても十分な戦闘力を保有しているようだった。


「くっ」


 だが怜人も今引くわけにはいかない。

 あと少しで儀式は終わるだろう。

 その時目の前の少年は用済みになった彼女らに攻撃を仕掛ける。

 そんなことをさせるわけにはいかない。

 怜人は決意を固めた。


「っらぁ!」


 円月輪を振り下ろされる直前の杖の前に滑り込ませる。体全身を使った攻め。自分の命をいとわない行為に対し、ほとんどゼロ距離に迫ったルシアンの目が大きく開かれた。


「あなたは自分の命が惜しくはないのですか?」

「死にたいわけじゃないがな。守れないくらいなら死んでもいいとは思ってるよ! 喰らいな《目からビィィィィム》!」

「っ!?」


 怜人の目に集中したマナが一気に開放される。収束する時間が少なかった分通常よりも威力は下がる。だがゼロ距離しかも不意を突いた一撃になった。

 だと言うのに。


「なっ!?」


 怜人の目からマナを放出し続ける中、鍔迫り合いを続ける円月輪に掛かる力は一切落ちなかった。

 ルシアンに向けられた光線が何かに弾かれて四方に散っている。よく目を凝らせばそこにあったのは青い石片のような小さなシールドだ。それはルシアンの左手に握られた本から浮かび上がって、彼の顔の前で結合しシールドとなっている。


「あはははははは! 何ですかその魔法は!? 何てひどいネーミングセンスだ!」

「うるっさい、黙れ!」


 そう叫ぶも既に目に集中したマナは切れかかっていた。放出されるエネルギーが減衰し続けていることはルシアンも感じていることだろう。


「ぐっ……ぬうぅぅ」

「ふむ、どうやらあなたの切り札も底をついたようだ。そろそろ終わりにするとしましょう」

「っ!?」


 ルシアンの声には深い失望が感じられた。同時にぞくりとした寒気も。


「《地陣掌》」


 ルシアンの詠唱と共に彼の足が地面に振り下ろされる。すると床下で急激に魔力が高まり始めた。

 まずい、と思った時には遅かった。床下の魔力が膨れ上がり、はじけた。

 まるで地面の下から津波が襲ってきたようだった。無数の槍状に変化した床が一斉に怜人へ向けて発射される。とっさに《マナシールド》を展開するものの、毬玉の如く弾き飛ばされるのが精いっぱいだ。


「《雹爆撃》《雷帝砲》《灼炎弾》」


 だがルシアンの攻撃は無慈悲に続く。

 一抱えほどもある雹が打ち出され、バチバチと帯電する球体と内に灼熱を内包した弾丸が幾つも怜人に向けて放たれたのだ。


「このっ!?」


 《マナシールド》を無理矢理に展開させる。最初の雹が当たった瞬間、シールドが砕け散るのを見て、もし一撃でも当たれば命は確実にないことを悟った。


「おおおおおおおお!」


 無理矢理に、自分の視界を覆う様に無数の《マナシールド》何層にも渡って張り巡らす。だがルシアンの放った魔法は地層を掘り進むように《マナシールド》を割り砕いていく。

 ガラスが割れるような儚い音を響かせて最後の一枚が割れくだけ、怜人へと魔法が殺到した。


「ぐがあああああああ!?」


 体が火だるまになる。かと思えば雹が当たった部分は氷づけだ。雷の玉が当たった左手は意志とは関係なく痙攣を繰り返す。

 急に背中が壁に押し当てられたように感じて、ようやく怜人は自分が地面に横たわっていることに気が付いた。幸いなことに体はまだどこもなくなっていないようだ。体内に循環するマナの量を一気に引き上げたことが功を奏したらしい。

 だが周囲に血だまりが広がっていくのを、徐々に下がっていく体温から察した。このままでは遠からず死ぬことになる。


「ほう、今のを受けて体がまだ残っているとは。なかなか頑丈ですね」


 感心したようなルシアンの声が真上から降って来る。仰向けに倒れた怜人の真正面、つまり空中に魔法で浮遊したルシアンがこちらを見下ろしていた。その目にはこちらを面白がるような色はもうない。先ほどの声同様濃い失望だけがある。


「ですが、もう終わりです《天罰令杭》」


 バチバチと空気を焼きながら現れたのは、雷の巨大な十字架だ。見た瞬間思い出されるのはベゼルの外で放たれた雷の光だった。恐らくこれがあの魔法だ。

 ルシアンが腕を振り下ろすのと同時に巨大な杭が真下にいる怜人めがけて打ち下ろされる。

 目の前に光の杭が迫る中、怜人は動けなかった。立ち上がらなければならないと、そう思っても体が動いてくれないのだ。

 ミリアたちを守るために。


(もういいだろ)


 誰かが耳元でそう囁いた気がした。その瞬間、指先が冷たくなっていく。きっと時間は十分に稼げただろう。もう後はミリアたちに任せよう。立つ必要はない。このまま死ぬ、そして無事心臓を取り戻した彼女らは生きる。それでいいじゃないか。

 辛うじて開けていた瞼が重さに従って落ちた。

 だが、その視界に黒い影が差し込む。


「え、エレイーナ!?」

「勝手に諦めないでくださいまし!」


 そう言いながら手に高い音を響かせ握った杖を怜人の血が広がる床に突き下ろす。同時に一瞬で召喚魔法を発動。エレイーナの纏う空気が一変する。だが怜人はその気配に何故か一瞬なにか懐かしい物を感じた。記憶の中の何かと姿が二重に重なって見える。

 しかし気にしていられたのも一瞬だけだった。エレイーナが杖で空中を一閃した。


「はああああああ!」


 するとその軌跡をなぞるようにして金色の光が溢れ出した。目前に迫る雷の杭と同じ色だと言うのに、何故かエレイーナの呼び出した光は柔らかい。

 光と杭がぶつかり合うと、そこに大きな反発はなかった。

 ただ、杭が消滅する。


「何だその魔法は、見たこともない……いや、召喚? 一体どこから何を召喚したんだ?」


 ルシアンが興奮したような声で叫ぶ。

 だがエレイーナはキリッとした顔でこう返した。


「知りませんのよそんなこと!」

「んなっ!?」

「そんなことよりよろしいんですの? あちらはもう終わってしまいますのよ」

「!?」


 そう言われて空中に浮かんだままのルシアンが首を巡らすと、地面に横たわっていたはずの黒竜の姿は既にない。

 ミリアのいる場所に、天井の星々を埋め尽くす巨大な光が立ち上っていた。


「しまったなぁ、本当に見逃してしまったよ」


 ルシアンの本気で苦々しそうな声を聞いて、怜人の溜飲がわずかに下がったのだった。

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