第26話 陰にはいつも存在していた


 稲光が走り、氷の礫が舞い、炎が床を舐める。闘技場は混沌を極めていたが、その分リナレスたちがグラウンドに横たわったエルドリンデに近づくのは容易になったと言える。

 怜人のように観客席から直接に飛び込むようなことはせず、下へ降りる階段を探した。あんな派手な降り方をすればあっという間に見つかってしまう。当然と言えた。

 幸い階段はすぐに見つかり、グラウンドの竜の傍まではさほどの問題もなくたどり着くことが出来た。怜人とルシアンは竜が横たわった場所からはかなり離れた場所で戦っている。エレイーナは怜人が意識して引き寄せてくれているのに気が付いていた。

 エルドリンデの傍までやって来たリナレスは、グラウンドにあおむけにミリアを横たえた。


「よし、今からエルドリンデを魔王陛下の中へ戻す儀式を行うぜ」

「どうやるんですの?」

「エルドリンデになってる魔王陛下の心臓は魔法によって変質しちまってる。それを解呪すんのさ」


 そう言いながらもエルドリンデの周囲に魔法陣を展開する。金の粒子のような線が幻想的に舞い、エレイーナ達ごと取り囲んだ。

 何でもない事のようにはじめられた儀式。だがそれがいかに高度な技術を要する物か、魔法陣を直接目にしたエレイーナはすぐに理解できた。


「あなた、こんな高度な魔法が使えますの?」

「あぁん? 馬鹿言ってんじゃねェよこう見えてアタシはオヤジから死ぬほど鍛えられてんだ、このぐらいどうってことねェよ。ちと時間はかかるが、そもそもこの魔法を掛けたのはアタシだからな」

「それではこの竜は、あなたが……?」

「ああそうさ。この竜はアタシが魔王陛下の心臓を触媒に作った魔竜さ。とても自慢できるようなもんじゃないがね」


 そう話すリナレスの顔は苦々しさに満ちている。


「でしたらなぜそんなことをしたんですの?」


 その言葉にリナレスはきゅっと唇を引き結ぶ。そして口を開くと滝のように一気に話し始めた。


「アタシだってこんな魔法使いたくなかったさ! だけどなァ、魔王陛下の本気の頼みじゃァ断れねェだろ!? この国の王は魔王陛下だが、国は魔法陛下一人の力で回ってるわけじゃねェ。魔王陛下が国を一時的にとはいえ出るためにはこうするしか――」

「国を出るため? そもそもこの方はどうして国を出ることになったんですの? わたくしが出会った時にはセヴィアスの街にユーノさんとレイトさんと一緒でしたが……」

「どうしてだと!? ふざけるなよ人間の小娘が!」

「っ!?」


 突然の怒声に、エレイーナは思わずびくりと身を竦ませた。

 だがそのように、リナレスも少し冷静になったのだろう。短く静かに「すまない」と言って顔を背けた。


「お前に言っても仕方のないことだが、1カ月以上前の事だ。この都市で誘拐事件が起きた。誘拐されたのは孤児院の孤児たち10数名。ほとんどは国境付近で奪い返すことに成功したが一人だけ救出できなかった奴がいた」

「……それがユーノさんですのね」


 そこまで言われればエレイーナでも想像がついた。ミリアはその一人――ユーノを追ってセレスティアン王国へとやってきたのだ。


「そう言うことだ。本当ならすぐにでもセレスティアン王国に乗り込んで奪い返すところだったんだが、向こうとは国交がほぼ断絶しちまってる。だからどう対応するか、意見が割れた」


 魔法陣の数が一気に増える。リナレスは話しながらも魔法を展開させ解呪の儀式を進めていた。恐ろしく繊細で高度な技術だった。


「知ってるか? アタシら亜人種は寿命が極端に長い奴や極端に短い奴に天才が多いんだ。だから要職についてる連中は大半がそんな種族から出てきてる奴ばっかりになる。そうすると命の考え方も違ってくるのさ」

「命の?」

「長い奴にとって命はたった一つの贈り物で、その上滅多に生まれてこない授かりものとして考えられてる。逆に短い連中にとっては、命は連綿と受け継がれていく物であってまたいずれ生まれ出るものの一つと考えられる。だから開戦も辞さない救出派と、見捨てようという断念派に分かれて議論が続いた」

「そんな……長くても短くても同じ命でしょうに……」


 価値観の違いにぽつりとつぶやくと、リナレスは口元に小さく笑みを浮かべる。自嘲の笑みだ。


「そうだな。アタシらはもっと早く、そう言うことを話し合うべきだった。そしてあの日がやって来た」

「あの日?」

「星が降った日、さ」


 その言葉にエレイーナが息をのむ。


「突然降ってきやがった隕石は、魔王陛下が防いでくれた。色々被害は出たがな。魔王陛下はそれがセレスティアン王国からの攻撃だと断言された。それには理由があったんだ」

「理由?」

「魔力がそっちから放出されてたこともそうだったが、誘拐されたガキの魔力がな。直前に同じ場所から大量に発せられてたんだと」

「それは!?」

「あいつだよ。魔王陛下がお前らの国から連れ帰って来たガキ。魔王陛下はあのガキ一人取り戻すために一人で敵国の王都に乗り込んだんだ」

「……」


 エレイーナの頭の中で新しく得た事実がパズルのピースの如く組み合わさっていく。

 《隕石爆撃》が行われる直前に放出されたユーノの魔力。

 こんな遠くにいても感知できるほどの大量消費。

 そんな魔法が王都で使われていた。

 その時使われていた魔法。


「そんな、はずは……」


 否定しようとして否定できない。

 あの研究塔には《召喚魔法》を補助するための触媒が無数にあった。魔法陣や魔力を高める道具、魔法使い同士を交感状態にしてより精度を上げる道具。

 だが、魔力量を上げるあるいはストックしておくような道具は見当たらなかった。緊張していたエレイーナはそのことを確認はしなかった。だが今になって妙に引っかかる。

 この符号がそういうことなのか、と。

 自分は魔法のために人の命を使ったのか、と。

 手が震える。喉が渇いて口から言葉が出ない。


「だから魔王陛下はあのガキ一人を助けるために自ら国を出たのさ。国防の観点から断固として拒否した政治家連中を黙らせるために魔王の心臓を残していってな。お前は知らないだろうが、魔王の心臓はそれ単体がアーティファクトなんだよ。歴代の魔王に継承される魔王の魔力の源。失えば命どころか魔王としての魔力すらも無くしちまう。それでもあの方は行くと言ってきかなかった」

「……どうして、そこまで」

「さぁな」


 エレイーナの問いに、リナレスの返答は短かった。


「そろそろ魔法が完成するぜ。さすがにあいつも気が付くかもしれねェ。用心しな」

「……分かりましたのよ」


 不承不承頷いて、視線を未だ戦い続けている2人へと向けた。

 意識だけを、隣の竜と横たわったままのミリアに注ぎながら。


   ◇


「や、やめよ! それ以上近づくでない!」


 そう言いながら、窓際に追い詰められたリートレイン魔法大臣が裏返った声で叫ぶ。

 眼前にいるのは自然体のルシアンだ。いつものローブ姿で、手には大きな杖。今は魔法を展開している様子もない。

 だが背後には人型の黒い靄のようなものが無数に蠢いている。人間だったら口に相当するであろう場所からは言語ともうめき声とも判別できない音が漏れていた。


「そんなに慌てないでください。すぐには殺しませんよ」

「ひっ、ひぃぃ!?」

「うーん、困りましたね。ではこれで《漂濁白心》」


 スッ、自然な動作で持ち上げられた左手にはいつの間にか本が掲げられている。開いたページから浮かび上がった魔法陣が魔法の展開を知らせた。

 リートレインは仮にも魔法省の大臣。禁書庫への立ち入りも限定的にだが許可されており、魔法にはかなりの知識を持つ自負があった。

 だが目の前に展開された魔法式は全く見たことがない。

 ルシアンの作った新種の魔法だろうか。

 だがルシアンは知識に触れる代価として作成した魔法のすべてを報告することを契約の魔法で強制されているはずだった。その報告は一定の期間で設けられており、前回の報告はおとといのはずだ。その時の報告にはこういった魔法の記載はなかった。

 そこまで考えてリートレインはようやく自分の異変に気が付く。

 何故自分はこうも冷静に目の前の魔法を見ているのだ?

 つい先ほど、あれほどの目の前の子どもを怖がっていたと言うのに。


「ふむ、うまく感情を消せたようですね。これで話がしやすくなりました」


 どうやら自分は感情を消されたらしい。そう理解してもなお、リートレインは怒りも恐怖も感じなかった。目の前の子どもから逃げなければという危機感ですら存在しない。


「それにしてもやはり面白い。これまで僕は知識を得て魔法を作り出すことだけを考えてきましたが、使った時にはこういうことが起こるのですね。いえ、もちろん効果は理解していましたが」


 そう言いながらルシアンは背後の亡者の群れを振り返る。


「ァァァァァァァァァ」


 黒い靄のようなものになっている亡者。その中の一人が頭に冠を乗せているのを見て思わずくすりと笑みをこぼす。

 玉座の間で彼にあの魔法を掛けた時は本当に楽しかったのだ。顔を青ざめさせ地面に平伏し涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら泣きわめく一国の王。だがもはや自分が周囲の人間たちのように魔法を掛けられてしまうのが避けられないと知った時、初めて国王は顔を怒りで真っ赤に染めて宝剣を手に斬りかかって来た。

 彼のあんな姿を見たのは初めての事であったし、自分の魔法で他人をこんなにも操り揺さぶることが出来るのだと言うことをルシアンは初めて知った。


「父さんの言う通りだった。やはり知識は力だった。さて、もはやこの国に未練はありませんがあなたには二つ聞いておきたいことがあります。なぜ僕を殺そうとしたのですか?」


 大樹となったメイドが吐いた黒幕はリートレインだった。

 自分が死ぬこともできず、樹にされてしまったことを知ったメイドの口は軽かった。樹に下まま放置して来たから、運が良ければ虫に食われながらあと1000年は大樹として生きるだろう。


「それは、お前が私の地位を脅かしたからだ」


 恐ろしく棒読みな声でリートレインが告白する。抑揚が薄くかなり聞き取りづらい。落ち着かせる意味では有用だったかもしれないが、話を聞くには難があったようだ。


「お前が魔法を無限に生み出すせいで私は、私はガガガガガガガ」

「おや? 魔法の効き目が薄れている? 感情が強すぎるとこういうこともあるんですね」


 そう言いながら再び本から魔法陣を呼び出してかけ直そうとする。だがそれより先にリートレインが壊れたラジオのように音声を吐き出し続けた。


「ガガガガガ――せっかくお前の父親も殺して邪魔な奴を排除できたと思ったんだがな」

「……ほう?」


 失いかけた興味が首をもたげる。


「お前の父はやり過ぎた。魔法もろくに使えないくせに魔法の理論だけは天才的ゲゲッ。ゴゴゴ子どもに至っては戦争に有用な魔法まで生み出す。私にとって貴様ら親子は悪夢のような存在だった」


 リートレインの滔々樽とした独白は続く。ルシアンはそれをただ黙って聞いていた。


「魔法も使えないようなクズにににに、本来私がががが手に入れるはずだだだだったえええ栄誉を奪われた恨み、奴を排除してようやく解放されたかと思えば今度は息子だダダダ」


 無表情のまま喋っているリートレインだったが、言葉にはその恨みつらみがよく理解できるものが現れていた。

 だんだん聞き取りづらくなるが、ルシアンは最後まで聞いていた。


「ッダダダダカラメイドを忍び込ませたタタタ。お前がいずれ大きくなってわわたたたしししのじゃまをスルようになった時に処分しやすいよよようにににに」

「そうですか《吸知魂》」

「ゲギョッ」


 魔法陣から飛び出した光の槍がリートレインの耳に突き刺さる。だが光の槍が刺さった場所からは血が一滴も出ていない。物理的には透過して中へ突き刺さっているのだ。


「あがががががががが」


 リートレインが白目をむいて立ったまま痙攣している。光の槍の発光が強くなり、ルシアンの手元の魔法書がぱらり、ぱらりと二度ほど捲れる。


「ふむ、大した知識がありませんね。あなた本当に魔法省のトップだったのですか?」


 魔法によって吸い上げられたリートレインの知識を見てルシアンはため息をつく。しかしリートレインはもう返事をすることすらできなさそうだった。


「はぁ、仕方ありませんね《瞬豪》」

「がががごぎょ!?」


 魔法によって力を付与された杖が横に振るわれ、まるで水風船を割ったようにリートレインの頭を粉砕する。

 力の抜けた膝から死体が崩れ落ち、床一面に内容物が広がった。


「ひどい臭いだ。こんなことなら《滅焦》でも使うべきでしたね。実際に使ってみ


 なければわからないことも多いものですが――」

 生きた人間のいなくなった王国でルシアンの独白が零れ落ちる。

 窓の外は未だ夜のとばりが下りている。異常な静けさに街は包まれていた。


「知らなくてもいい知識も、この世にはあったのかもしれませんね」


 杖を再び一閃し窓を壁ごと破壊する。一気に部屋の中へと侵入してきた外気が、中に籠っていたリートレインの死体の匂いを押し流す。


「使うことで新たな知識が得られるとは考えてもみませんでした。これからは造るだけではなく、積極的に使ってみることにしましょうか。とりあえず――この国で」


 本を掲げてページを捲る。

 未だ星がちりばめられた空に巨大な魔法陣が広がった。


「《歪天曲地》」


 詠唱と共に、魔法陣の真下に黒い小さな光が生まれた。だが小さかったのは一瞬で、すぐに黒い光は極大化していく。人が、建物が、街が飲み込まれていった。中に入った物は例外なくすべてが捻じ曲げられ圧縮された。


「さて、新しい知識を探すとしましょう。隣の国からにしようかなぁ」


 都市が一つ丸ごと消えていくのを空から見下ろして、ルシアンはそんなことを呟いた。

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