第25話 オモチャ

「ふむ、こんなところにいましたか」


 観客席を駆け降りていると、崩れかけた天井から一人の人間がグラウンドに舞い降りた。

 薄緑の髪に純白のローブ、そして長い杖。セレンの王宮で見た時と全く同じ姿のルシアンがそこにいた。


「あいつ、いったい何を……!」

「伏せろ!」


 その様子を覗きこもうとした怜人の頭をリナレスが無理矢理に抑えて観客席の床に伏せさせた。声は鋭いが抑えられた音量だった。


「おい何をする」

「バカ言ってんじゃねェよ! エルドリンデとサシで戦って無事な奴だぞ!? まともに戦って勝てると思うか?」

「お前それでも騎士か?」


 そもそも言動が騎士っぽくないリナレスだが、正面切っての戦いを避けようと考えられるタイプだとは思わなった。短気で脳みそまで筋肉で出来ていそうなこの女なら忠誠心と合わせて真っ先に飛び出していきそうだと思っていた。


「それで喧嘩に勝てるならそうするけどな! アタシは勝てない喧嘩まで売るほど馬鹿じゃねェよ」

「……少し意外だな」

「それも魔王陛下が教えて下さったのさ」


 どういう意味だ? と首を傾げそうになった怜人だったが、すぐ後ろにいて同じように腰をかがめていたエレイーナが服の袖を引っ張った。


「見て下さいまし、ルシアンが近づいてきますのよ」


 言われて視線を戻せば、ゆっくりとした足取りでルシアンがグラウンドに倒れ伏す竜へと歩み寄っていく。


「まずいな、どうにかして時間を稼がないといけねェ……!」

「分かった、そっちは俺がなんとかしよう」

「いいのか!?」

「どのみち俺じゃミリアに心臓を戻す方法が分かんねえからな」


 リナレスの言葉に頷きを返すと意外そうな顔をされるが言葉のままだった。怜人に今できることはない。視線をリナレスの背中のミリアへ向けると、荒い息を繰り返すばかりで目を開けることすらできていない。その様子に胸を痛めながら視線を戻す。


「どのぐらい時間が必要だ?」

「術式の展開から終了まで10分……いや、何とか5分でやってやる!」

「分かった。それまでの間、あいつを近づけさせなければいいんだな」


 そう言うなり怜人は立ち上がって観客席を走り出した。ひな壇になっている観客席の間の階段を一気に駆け下りる。それと同時に手の中にマナの収束を開始。一気に臨界まで引き上げる。最初から出し惜しみはなしだ。


「《暗黒魔闘光線波》!」


 観客席の一番下。手すりからグラウンドへと飛びながら怜人は叫んだ。詠唱が完了して両の掌の間にため込んだマナを一気に開放して光線を吐き出す。硬く整えられたグラウンドを溶かしながら、光線がルシアンへと迫った。


「おや、あなたは。久しぶりですね」


 だがそんな状況にあってルシアンの反応はコンビニで久々に出会った友人との会話のようだった。

 光線が、届く瞬間。


「《守護聖盾》」


 手の中に生まれた魔法陣から本を取り出す。詠唱と同時にページが勝手にめくれる。一つのページで止まった瞬間、ページの上に小さな魔法陣が展開される。その中から小さな青色の欠片が飛び出した。無数の欠片はルシアンを中心に、まるで防壁を建築するかのように展開され、半球の盾となって怜人の攻撃をいともたやすく弾いたのだ。


「なっ!?」

「うーん、この程度の魔法で防げるとは。少し拍子抜けですかね。しかし見たことのない魔法だ――ではこちらの番です《遠雷鳥》」


 再びページがバラバラとめくれる。

 今度はルシアンの背後に3つの魔法陣が展開された。魔法陣のデザインはさっき盾の魔法を使った時と同じ。しかし中から現れたのは金色の稲光で構成された大型犬くらいの大きさの鳥だった。


「くぉの!?」


 襲い掛かって来る巨鳥をとっさに円月輪を作り出して払いのける。だが、触れた瞬間、金色の鳥は拡散。しかも触れた部分から電気が流れ込むおまけ付きだった。


「がぁっ!?」

「ほぉ、それも見たことのない魔法ですね。いいですよ、もっと見せて下さい」


 残った二匹の巨鳥は、突然の感電に動けないでいる怜人の頭の上をお互いに円を描くように飛んでいたが、頭上まで到達するといきなり鳥の形を無くして真下へと落ちる一筋の落雷へと変貌した。

 頭上に《マナシールド》を展開できたのは奇跡と言っていい。

 巨鳥が変貌した落雷は、本物の雷同様の速度と威力を持っていたのだから。


「なるほど、魔力を収束と形状変化……いえ形質を変化させている? 興味深い魔法ですね」

「そうかよ……」


 ブツブツとこちらの魔法を観察しているルシアンの目には怜人は人間として映っていない。明らかに実験動物を見るような目だ。

 だが、それは好都合だ。その分ミリアたちへ向く注意をそらすことが出来るのだから。


「いいですね。こちらの国はこの世界では指折りの魔法国家だと聞いたので期待していたのですが、まさかこんな拾い物があるとは思いませんでした」

「俺は落ちてねえし、そもそもこの国お前が《隕石爆撃》食らわせた国なんだが?」

「ああ、それを知ったときは本当に後悔しましたよ。まさか自分で滅ぼした国にまだ自分の知らない知識があるとは思ってもみませんでしたからね。ですが、こうして残っていたと言うことは、ここには僕の知らない知識が確実にあると言うこと。この奇跡には感謝していますよ」


 怜人の技を見るたびにらんらんと輝きを増していく目。あれは間違いなく好奇心だろう。

 興奮したような声からもそう察せられたが、手の中の本は再びページを捲っている。


「さぁ、もっと見せて下さい。あなたの魔法を!」


   ◇


 きらびやかな光に目を刺されて、ルシアンは早く禁書庫に戻りたいと目をそらした。着慣れない堅苦しい正装もそれに拍車をかけている。ネクタイはきついわけではないが息苦しいし、革靴は足裏が疲れる。ため息も出るという物だ。


「おやおや、ルシアン殿。主賓がそんな顔をされては困りますぞ」

「リートレイン魔法大臣」


 顔を上げるとそこにいたのは肥え太った豚――のような姿の魔法大臣だった。

 声こそ丁寧さを装っているが、その目にはありありと嫉妬の光が湛えられている。この男はこの国の魔法界隈のトップに当たるが、近年の魔法における成果はほぼすべてルシアンがかっさらっている状況だ。故にルシアンは魔法省からはかなり煙がられる存在になっている。ちなみにこの前隣国スオーム連合国を滅ぼすために国王へ渡した魔法を見て、あまりの高火力に泡を吹いて倒れたのはこの男である。

 とはいえルシアンは乞われたから魔法を作っただけ。報酬として差し出されるこの国の知識と引き換えにだ。知識を得ることが目的で、ルシアンは魔法そのものにも結果得られる称賛にも興味はなかった。


「そのようなつまらない顔をしていてはせっかくの勲章も曇ってしまいますぞ」


 リートレイン魔法大臣が視線で指示したルシアンの胸には勲章が光っている。ついさっき国王から授与されたばかりの勲章だ。今ルシアン達がいるのは、その勲章授与式後のパーティー会場である。遠巻きに、本日の主賓であるルシアンとお近づきになりたがっている者達の悔し気な視線が突き刺さっていた。彼らは皆、ルシアンの不機嫌な表情に二の足を踏んでいた者達だ。そんな中空気を読まずに上から目線で話しかけてきたこのリートレイン魔法大臣は、そう言う意味ではかなりの大物だと言ってもいいのかもしれない。


「全く、あなたの魔法のおかげでスオーム連合国は白旗を上げたのです。あなたの魔法によってスオーム連合国民は理解させられたのですよ? わが国には逆らうべきではないと。だと言うのになぜそんなに不機嫌なのです」


 言葉ではルシアンが作り出した魔法をほめたたえるふりをしながら、目にはありありと『本来それは自分の役目だった!』と書いてあった。そんな連中が面倒でこんな顔をしている訳なのだが、この男は本気で理解していないのかもしれない。


「別に、僕は知識が得られればどうでもいいんですよ。結果がどうであろうとね」

「嘆かわしい。あなたはもっと自分の功績を誇るべきだ! あなたの魔法によってスオーム王国がどうなったかご存じないのかね!?」

「新聞では見ましたよ。今回の戦争、こちらは一人の死傷者も出さなかったそうですね」


 流石にルシアンも新聞くらいは目を通す。だがその言葉にリートレインは目を丸くした。


「なんと! やはりあなたは知らないようだ! あなたの魔法はスオーム連合国の首都を半分消失させたのです! そこに住んでいた30万の連合国民の半分は一瞬で蒸発し、その光景に絶望したスオーム連合国は降伏した! しかもそれを知った6つの国が同じように恭順を示したのです! それゆえに国王陛下はこうしてあなたのために新しい勲章をおつくりになられたのですぞ」

「もちろん、それは知っていますよ」


 だが返礼なら新しい知識が欲しかった。

 この国には既にルシアンに差し出せる新しい魔法知識がすでになかった。王国の魔法知識すべてを収容した図書館は既にルシアンの手の中にあるのだから当然だ。勲章はその代わりだった。

 今回の併呑によって新たに勢力下に入った地域ならばまだ知らない知識もあるだろうが、どこも混乱した情勢下だ。国王は子飼いの部下に各地から魔法に関する書物を集めさせて、ルシアンを引き留める努力をしようとしているようだが一体いつになることか。

 だからルシアンはため息を止められない。


「この国にはもう新しい知識はないのか」

「……」


 リートレイン魔法大臣の淀んだ目が見つめていることに、暗い窓の外を眺めていたルシアンは気が付かなかった。

 それからのパーティーは予定通りに消化された。リートレインの妙な動きが少し頭の片隅にこびりついていたが、彼がルシアンの元を離れて以降は他のパーティー客が寄ってきたため思い出すことはなかった。ルシアンとて最低限の社交をこなす分別は持ち合わせていたからだ。

 そうしてパーティーが終了し、帰路へ着いたのは深夜と言っていい時間だった。


「お帰りなさいませ、ルシアン様。お飲み物の用意が出来ています」

「ありがとう」


 出迎えてくれた10代中ごろのメイドは、ルシアンが最初に勲章を授与された5年前から仕えてくれている。年齢が近いこともそうだが、こうして帰って来たルシアンの行動を呼んで図書館にわざわざお茶を用意するなど気配りが出来るところが何よりも重宝していた。

 図書館の定位置、無数の本が積み上げられたテーブルの隙間に飲み物が置かれている。ルシアンはようやく肩の力を抜いてお茶を口にする。視線は図書館内に所狭しと床まで積み上げられた本の上を滑った。

 どの本も既に何度も読んでいる物だ。

 ここだけではない、王宮にある禁書庫の端から端まで全てだ。

 もはやこの国には今ルシアンの知らない知識は存在しないと言っていい。


「やはり、行くしかないのか」


 知識を得ることで新しい知識は生まれる。ルシアンは父の言葉通り知識を手に入れ、そして新しい知識を生み出してきた。だが元となる知識がなければそれも停滞してしまう。新たな知識が生まれるまでは時間がかかるだろう。

 ならば知らない知識がある場所へ行けばいい。

 ここ最近、ずっとルシアンを不機嫌にさせていたのはそんな環境のせいだった。

 頭の中で地図を広げる。

 東の隣国、スオーム連合国は滅びたばかりだ。今行ってもろくなものは手に入らないだろう。北は氷の大地が延々と続くばかりで文明社会はほとんどない。東は大海が陸地とを隔てている。故に結論は決まっていた。


「南……か……」


 ルシアンの言葉が口から洩れる。だがかすれたものだった。目が急激な眠気に閉じようとしている。慣れない式典に出たせいだろうか。そんなことを考えている間にルシアンの意識は眠りへと落ちた。

 かちゃん、と軽い音がしてふかふかの絨毯に残っていた中身をぶちまけながらカップが転がる。それにブーツのつま先が当たって止まった。


「ルシアン様、申し訳ございません」


 立っていたのはメイドだ。

 手には野蛮な光を反射する大型のナイフ。目に映っているのは言葉とは裏腹に酷薄な光だった。

 ナイフを逆手に持ち替えると、それを一気に振り下ろす。

 ひゅん、と言う空気を切り裂く音。

 だが続いたのは肉を切り裂く音ではなかった。


「《危機感知:敵意察知》《術式:自動開始》《守護聖盾》」

「!?」


 硬い物にぶつかる音がして、メイドの手に握られていたナイフが弾かれていた。薄い青の障壁が、ルシアンとメイドを隔てている。いつの間にか、ルシアンの手元に開かれた本が浮いていた。魔法陣が展開されている。


「《状態異常検知:解毒治癒》」


 椅子に座ったままのルシアンの体を、上から下まで魔法陣が通り抜ける。

 それと同時にゆっくりとルシアンが目を開けた。


「くっ!」


 その声は自分が任務に失敗したことを悟ったメイドの声だ。

 そしてメイドは手にしていたナイフを自分の胸に何の躊躇もなく突き立てる。柔らかい肉を突き破り、心臓に一瞬でナイフが到達する。メイドは任務に失敗した場合の訓練もしっかりと積んでいた。一瞬で命が終わりへと加速する。


「ああ、まだ死なれちゃ困るな」

「!?」


 だがいつの間にか目を開けていたルシアンが突き立てられていたナイフに手を伸ばしていた。


「《生命転換:樹木造命》」


 メイドの命が尽きて、その魂があの世へ行くほんの一瞬の間。そこに割り込んだルシアンの魔法陣がメイドの体を駆け巡ると、両手両足の先から緑色の樹木へと変質していく。両手両足はあっという間に床材を突き破ってその下の地面にまで伸びると膨張を始めた。

 メイドは10代半ばで、身長も10才のルシアンとさほど変わりない低さだった。体も華奢な女の子だ。だが今彼女の体は樹木へと変質し続け、幹の太さは大人数人が輪になって囲めるほどだ。あっという間に緑の葉を茂らせた幹の先端が天井を轟音と共に突き破っていく。


「ふむ、この魔法初めて使いましたが加減が難しいですね。面白い」

「あ、がががが」


 そうして図書館の真ん中に鎮座することになった元メイドだが、それが元メイドだと判別できる部分は幹の中央部から突き出した彼女の上半身のみだ。だがその上半身も肌は樹木同様で、目は黄色く濁っている。


「さて、どこの誰に命令されたのか教えてもらいましょうか」


 ほんの少し前までの立場と逆転し、ルシアンがすでに人間ではなくなったメイドに問いかける。

 その声は命を狙われた直後だと言うのに好奇心と楽しさに満ちていた。まるで新しいオモチャを手にした子どものように。

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