第23話 奴もまた魔王


 ベゼルへ向かう空間は、護送車の中と言うことを除けばここまでの旅の中では一番落ち着いた空気が漂っていた。

 セレスティアン王国王都セレンを脱出し、セヴィアスへ向かう間は昏睡したユーノを背負っての道程だった。追手を警戒していたこともあって心理的な圧迫感はこの時がマックスだったと言っていい。

 セヴィアスを出てからは徒歩での移動で、しかもエレイーナと言うおまけが出来てしまった。肉体的な疲労と甲高く喚くエレイーナによる心理的なストレスはこの時が最高潮だった。

 そして辺境の村を出て、ファームベルグと魔獣たちとの追いかけっこでは文字通り死にかけた。

 どこをとってもろくな道のりではなかった。

 そんなことを怜人は格子窓の向こうに見えている青空を眺めながら考えていた。


「ふんふふ~んふん~」

「ご機嫌だな」


 そんな護送車の中、エレイーナだけが分かりやすくご機嫌だった。


「それはそうですの! なんたってベゼルの魔法図書館はこの大陸一と言われる蔵書数ですのよ!? 絶対行けないと諦めていましたが、まさかこうして足を運ぶことが出来ようとは!」


 ミリアと図書館へ行く約束をしてからずっとこうだ。


「きっと、今度こそ召喚魔法を使いこなす糸口を見つけて見せますのよ!」

「見つけてどうすんだよ」

「それはもちろん王国貴族として王国のために……」

「だからもう王国からは追われる身になったんだろーが」

「お、思い出させないでくださいましっ!?」


 目を吊り上げて叫ぶエレイーナの姿は少し面白い。ベゼルに着くまでこうやってからかって遊んでいるのもいいかもしれない。


「そもそもこれからお前が知識を得ようとしているのはその王国と敵対関係にある国の首都なわけなんだが」

「ぐぬぬぬ」

「そんな腹積もりだって知れたら図書館に入ることすら拒否されるんじゃねーの?」

「そ、それは……! ね、ねぇミリアさん、わたくしたちは仲間、そう仲間ですわよね!?」


 ついに耐えられなくなったエレイーナがミリアへと助けを求める。

 だがエレイーナと2人、視線を向けるとそこには椅子に座ったままの状態で寝入っているミリアの姿があった。穏やかな表情で、その様子からはとても魔王を名乗る一国の王だなどとはとても思えなかった。


「寝かせといてやろう」

「そうですわね……」


 幾ら傷がふさがったと言っても体力も、ましてや心臓がまだ戻っていないのだ。そっと寝かせておいてやりたい、その点で2人は意見が合致した。


「それにしても本当にコイツが魔王なのか? とてもそうは思えないが」


 幾分控えめにした声でエレイーナに尋ねると、彼女も頷く。


「わたくしも同意見ですのよ。そもそもわたくしの知る魔王はエルフで魔法に長けた男性のはずでしたの」


 そう言えば確かにそうだった。


「ちなみにそいつの名前は?」

「名前? それは『魔王』ですのよ」

「いや、それは役職というか二つ名とか称号みたいなもんだろ。個人の名前とかあるだろうが」


 そう馬鹿にするように言ってやるも、エレイーナはちょっと考え込んで少し顔色を悪くする。


「どうした?」

「そう言われてみれば、わたくし『魔王』の名前を聞いたことがありませんのよ。わたくしの知っている人々も、学校も、王宮でも、皆『魔王』としか言っていませんでしたの……」


 それはつまり。


「情報が操作されていた、ということか?」

「だとしても、いったい誰が何のためにですの」

「お前がそれを言うのか?」

「……」


 閉口するエレイーナ。

 行動には抜けたところや言動が多いが、別に頭が悪いわけでも察しが悪いわけでもない。むしろ聡明な部類だと言っていい。

 そんなエレイーナがこの原因に心当たりがないわけがない。


「貴族は……」


 ポツリ、と言葉を発しながら隣で眠るミリアへと視線を向ける。

 穏やかな寝顔に向ける目線は、まるで妹でも見るかのように優しい。


「王国を守るために存在しますの。そのためならば敵国は……魔王は……滅ぼさなければならないんですの……」

「……そんな顔で言うことかよ」


 エレイーナの顔はあっという間にまるで泣き出す寸前の子どものようにくしゃくしゃなものにしていた。

 きっと頭の中もぐちゃぐちゃだろう。

 エレイーナの中にある貴族として在りたい、在らねばという思いと、ミリアが魔王であると言う事実がぶつかり合ってそんな顔をさせているのだ。

 ミリアの寝顔にかかった一筋の髪を払ってやりながら、とても戦う相手に向ける顔をしていないエレイーナの姿を見て怜人は深くため息をつく。


「お前の言う貴族はよくわからないが、外から見てみることも重要だろう」

「外から、ですの?」

「内側、国内からじゃわからないことも国外からなら分かるかもしれねえだろ。お前が貴族として、何をするべきなのかはそれから考えればいい」


 怜人の言葉を聞いて、エレイーナの顔に少し力が戻ってきたようだった。


「そう、ですわね。そうしてみますの」

「好きにすればいいさ」


 そっけなく、そう返す。


「……レイトさんはどうするつもりですの?」

「俺か? 俺は……」


 どうしようか。

 と言うのが正直な思いだった。

 元の世界には帰れないだろう。と言うよりエレイーナの召喚は、聞いた限りでは本当に呼ぶことしか出来そうにない。帰るのは不可能だ。

 とはいえ帰れるとしても帰る必要性はあまり感じなかったが。

 そしてここまで来たのもミリアたちに乞われてのことだ。もちろん報酬はもらうつもりだが、それからどうやって生きて行くか。怜人の中にはもうやるべきだと思うことがなかった。

 考えに耽って、言葉を返してこない怜人にエレイーナは何を思ったのか嘆息する。


「まぁ、時間はありますの。ゆっくり考えればいいことですのよ」


 何故この女に心配されているのかよくわからなかったが、それも事実なので頷きを返そうとした怜人だったが、エレイーナに撫でられながら眠っていたミリアがいきなり目を見開く。


「っ――!?」


 立ち上がると視線を一点に向けて固まる。


「ど、どうなさいましたの?」


 突然の奇行にエレイーナが恐る恐る訊ねる。


「敵。戦ってる」

「え?」


 ミリアの短い呟きに、意味を問いただす間もなく彼女は身を翻すと走行中にもかかわらず馬車の扉を体当たりするかのように開けて飛び出す。


「待っ……!」


 エレイーナが止めようとするよりも先に、ミリアはドアを開けて逆上がりのようにドアの上に指を引っかけ体を回転させた。ヒュッ、と視界からミリアが消える。すぐに護送車の天井から足音が聞こえてミリアが上に登ったのだと気が付いて安堵する。


「何なんだ」


 怜人はその疑問を解消すべく、ミリアの後を追った。


   ◇


 馬車の車輪が今までの比ではないほどの回転速度で回り、車を引く馬の蹄の音も相まって騒がしい。だが伝わって来る衝撃が先ほどまでに比べておとなしいのは、ベゼルに近づいているせいか舗装された道にかわったからだろう。

 風が耳元で音を立てて流れていく。


「急いで」

「ハッ! かしこまりました!」


 馬車の上、隣に並んで立つミリアが御者を急かす。

 その横顔は緊張によってか色が白い。


「いったい何があったんだ?」

「ベゼルが襲撃されてる」

「……どうしてわかった?」


 ミリアの顔色から冗談を言っているとはとても思えなかった。だがどうして察知したのかと言う疑問は残る。


「ボクの心臓が、ベゼルで戦ってる」

「心臓が?」


 どういう意味だろうか。

 要領を得ない。

 だがやはりその表情を見ると嘘を言っているようには見えない。

 心臓の場所を服の上からぎゅっと握って、険しい視線を前方に向ける姿には口を閉ざさざるを得なかった。


「見えた」


 ミリアのつぶやきに、怜人は視線を隣の少女から前方へと移す。

 最初に見えたのは細い塔の先端だった。

 魔王の住む居城と言うから黒くおどろおどろしい物を想像していた怜人だったが、次第に地平線から現れたそれは意外にも白と銀を基調とした美しい姿だった。

 太い塔を中心に、細い尖塔が幾つも複雑に組み合わさったシルエットをしている。城の下部は高い城壁によって隠れているが、そのさらに下に円形に広がった城下町を形成しているようだ。そしてベゼルの周囲は黒く炭化した円形のクレーターが幾つも開いている状態だった。

 どうやらルシアンの《隕石爆撃》による攻撃の後の様だ。これほどの攻撃を受けてベゼルが無事だったことが違和感だった。

 あと少しでたどり着きそうだ、とそんな景色を見て思っていた怜人だったがいきなり目の前の光景を左から右へ、金色の光が瀑布の如く迸った。


「なっ!?」


 光に目を焼かれた直後に耳を突き刺すような轟音が遅れて響く。

 黄金の光は一直線にベゼルの城へと向かい、尖塔の一つにぶつかる直前間に割り込んだ何かに弾かれた。


「なんだ、あれは」


 目に映ったその姿に思わず唖然としてしまう。

 漆黒の翼を羽ばたかせ空に浮かぶその姿は爬虫類を思わせる形状だった。だがその大きさは明らかに今怜人たちが乗っている馬車ほどのサイズであり、手足に生えた爪は鋭い。体中を黒い鱗が覆っており、再び放たれた黄金の閃光を体当たりするようにして鱗で弾いた。

 その姿は神話にある竜そのものだった。


「うっ――」

「ミリア!?」


 がたっ、と音を立ててミリアが急に膝をつく。

 額には脂汗が浮き息をするのも苦しそうだ。


「ゴガアアアアアアアアァァァァァァァ!」


 ミリアの肩を支えながら、顔を上げると黒い竜の口から蒼い炎の塊が無数に放たれた処だった。

 それらは一直線に黄金の雷の発生源へと飛翔していき、ベゼル西側の農地だと思われる場所を火の海に変えた。地面を文字通り蒼い火の海へと変えた黒い竜のブレスに怜人は冷たい汗を流す。

 もしあんな威力のブレスを受けたら《マナシールド》でも受け止められるかどうか。

 だが、そんな蒼炎の海を割って現れた姿があった。

 未だ少年の面影を残す人物は右手に自身の身長よりも大きな杖を握っていた。一目見て、それが誰か理解する。


「何でここにいるんだよ」


 ルシアン・ペリュドレの姿がそこにあった。


「おい! レイトとか言ったか!? 魔王陛下は無事か!?」


 焦ったような声は馬車の脇、いつの間にか並走していた馬に乗ったリナレスの物だ。


「わからねえ。あの戦いが始まってからいきなり苦しみ出したんだ!」


 戦いの音と馬車の音にかき消されないように怒鳴り返すと、リナレスが険しい表情になる。


「くっ、やっぱそうかよ。あれは守護竜エルドリンデ。魔王陛下の心臓が守護竜として顕現したお姿だ」

「それじゃ、あれがミリアの心臓そのものだってのか!?」


 リナレスの言わんとすることをようやく理解して、怜人がその姿を再び仰ぎ見ると空中に浮かんだエルドリンデが大きく開けた口に魔力を集中させているところだった。その魔力量は先ほどのブレスの比ではない。《マナ感知》で感じ取ったその量は怜人の手が震えそうになるほどだった。

 収束する魔力が極大化していく中、再び雷の雨がベゼル西の農地から放たれる。

 その量は明らかに先ほどよりも多い。

 まるで槍の雨の様だった。

 一本、二本とその体に雷の槍が突き立つが、それでもエルドリンデは魔力を収束させるのをやめない。


「かはッ!?」

「ミリア!?」


 隣にうずくまるミリアが口から大量の血を吐き出した。やはりエルドリンデとミリアは深いつながりにあるようだ。もしこのまま攻撃をエルドリンデが受け続ければどうなってしまうのか。


「おい、もっと早く走れないのか!」

「これで精いっぱいだ!」

「クソッ」


 と、その時一方的に攻撃を受けるままだったエルドリンデの姿に変化が現れる。体をハリネズミのように串刺しにされながら、ため込んだ魔力をブレスとして放出したのだ。

 一瞬、世界が蒼く染め上げられる。

 空も大地も、すべての色が奪われたようだった。

 突然のことに馬たちも驚いたのか馬車のスピードが落ち、周囲にいた騎士たちも走ることよりも馬をなだめることに精いっぱいになっていた。


「やったのか!?」


 徐々に色が戻っていく中、怜人は蒼い炎が放たれた先を目を細めながら確認した。

 だが、ひゅんと巨大な雷の槍が一本飛翔する。

 一直線に飛んだ槍はまっすぐにエルドリンデの胸を貫き、その巨体を弾き飛ばした。戦いが見えて初めてエルドリンデが吹き飛ばされ、背後の守っていた城へとぶつかり一部を崩落させながら突っ込んだのだ。


「レイト! 馬車を降りろ。ここからは馬だけで行く!」


 その光景に唖然としていた怜人に向かって叫ぶリナレス。その隣には馬に乗った他の騎士の姿があった。

 馬車はいつの間にか停まっていた。馬たちはどうにか落ち着いたようで、今は普通の様子だ。他の騎士たちが寄ってきて、その内の一人がひらりと馬を降りる。代わりに乗って行けと言うことらしい。


「分かった」

「わたくしも参りますの!」


 そう言ってエレイーナが馬車から飛び出してくる。


「それで、どっちに向かうんだ?」


 城か。

 ルシアンか。


「あんなバケモノと戦ってられっかよ。まずは魔王城へ急ぐぞ。エルドリンデを魔王陛下の体に戻さねェとだし」

「戻す?」

「あれは魔王陛下の心臓そのものなんだよ。あれが戻れば魔王陛下は真の姿を取り戻すのさ!」


 確かにひとまずはミリアの身の安全が最優先だ。そう考えて怜人は頷く。


「んで? あのバケモンは何なんだよ。お前らの知り合いか?」


 リナレスの問いに、首を振って知っていることだけ教えてやる。


「あれか? あれは異世界の魔王さ」

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