第22話 王の道標


「レイトさん!」


 リナレスの言葉に硬直していた怜人の元へ、駆け寄って来る少年の姿があった。


「ユーノ! 無事だったか」


 駆け寄ってくるのは緑と赤の瞳を持つ少年、ユーノだった。

 怪我をしている様子もなく安堵した怜人だったが、そのすぐ後ろから駆け抜けて来た小柄な人影がドン、と体当たりするようにしてしがみついて来る。衝撃はほとんどなかった。体重差が大きかったからだ。だが怜人は体を硬直させた。

 上げられた顔を見て息をのむ。鳶色と金色の縦長瞳孔をもつ両の瞳と視線がぶつかった。レザックの妹、アーニャだ。


「レイトお兄ちゃん! お兄ちゃんは! お兄ちゃんはどこなの!?」


 悲鳴のような声だった。

 その声が脳裏にあの時の事を想起させる。

 暗闇の中響く崖が崩れ落ちる音。そして誰もいない、ただ暗闇だけが広がる谷底。

 怜人はそんな記憶を振り払ってアーニャの目線に合わせるためにしゃがむ。


「すまない」

「どうしてあやまるの?」

「俺は、お前のお兄ちゃんを助けてやれなかった」


 怜人の言葉にアーニャは体を硬直させる。次いで大きく開いた目から大粒の涙を流し、それを合図とするかのようにとめどなく涙があふれ始める。

 怜人は覚悟した、冷たい言葉で罵られると。

 以前の世界でそうだったように。


「お兄ちゃん……お兄ちゃんは、死なないもん」

「アーニャ……」

「お兄ちゃんは、あたしを置いて行ったりしないもん……」


 そう言って、必死に涙をこらえようとしている。

 小さな女の子の懸命な表情に怜人は何も言えなくなってしまう。想像していた罵声もなく、ただ兄の死を受け入れられないでいる幼子の姿に怜人の心は罪悪感でズタズタに切り裂かれていた。

 いっそ殴られたほうが楽だった。

 そう思って顔をそらすと、その頭に小さな手が乗せられた。


「どうしたの? いたいの?」


 涙をこらえたアーニャと目が合う。なぜか彼女の手が、怜人の頭を優しくなでていた。


「どう、して」

「お兄ちゃん、別れる時言ってた。『何があっても必ず帰ってくるから、レイト兄ちゃん達と待ってるんだぞ』って。だからあたし、待つの」


 目尻に涙を浮かべ、必死で流れ落ちる涙をこらえようとするアーニャの目にはただ信じている気持ちだけがあった。その光が、怜人の目に映っていた過去の光景をわずかばかり振り払ってくれた気がした。


「大丈夫。あなたのお兄さんは必ず見つけて見せる」


 涙をこらえるアーニャの背後からその背中を抱きしめて囁いたのはミリアだった。


「本当?」

「きっと。見つけてみせるから。――リナレス」

「ハッ!」


 ミリアの声に響くような返事をしたのはリナレスだ。だが、同時に隣に立つマルファスも姿勢を正している。


「親衛騎士団二番隊以降全隊を投入して捜索に当たりなさい。場所は国境の橋周辺より北。流されているなら神聖法王国までたどり着く可能性がある」

「お言葉ですが魔王陛下、それでは陛下の護衛に割ける手が足りません」


 ミリアの流れるような指示に口を挟んだのはマルファスだ。

 だがミリアはその言葉を一蹴する。


「不要。自分の身は自分で守れる」

「ですが御身は未だ――いえ、出過ぎたことを申しました。采配の通りにいたします」


 ミリアの言葉に一瞬口答えしようとしたマルファスだったが、すぐに口を引き結ぶと何かに耐えるようにして身を引く。背後に控える騎士達、彼らが親衛騎士団だったのだろう――に指示を伝えに行ったようだ。


「彼らなら、きっと何かの痕跡を見つけてくれる。だから安心して待っていて欲しい」

「……うん、ミリアお姉ちゃん」


 アーニャは頷きを返すとミリアの体をぎゅっと抱きしめ返した。

 そして同時に膝から力が抜ける。


「アーニャ!?」

「大丈夫。眠っただけ」


 顔を覗き込むと、寝息を立てている。レザックが戻って来ないことを知って、その上怜人たちとも会えず気を張っていたのかもしれない。


「お姉ちゃん、アーニャちゃんは僕が預かるね」

「お願い」


 ユーノがやってきて眠ったままのアーニャを受け取る。背中にアーニャをおぶさると、ユーノは元来た馬車の方へと向かって行く。彼女はユーノに任せてよさそうだ。

 だからようやく怜人はミリアに向き直った。


「これでやっとまともに話が出来る。とりあえず聞きたいんだが――お前が魔王って言うのは本当なのか?」


 少しだけ聞くのに躊躇って、けれど一息に確認する。

 するとミリアは意外なほど何でもない様子で首を縦に振ったのだ。


「そう。ボクが現魔王。ドラグヘイム帝国の長、魔王ミリアリンデ」

「そ、そんなはずありませんのよッ!」


 けれどそれに激しく反応したのはエレイーナの方だった。


「エレイーナ?」

「魔王は細身で長身のエルフのはずですのよ!? 弓よりも魔法が得意で、二つ名として『賢帝』の名をほしいままにする理知的な魔王!」

「それは先代の魔王。50年前に代替わりした」

「そ、そんな……」


 ミリアの言葉に何がショックだったのかエレイーナは膝から崩れ落ちる。


「お、おいどうした?」

「……『賢帝』とすら呼ばれるお方なら、わたくしの召喚魔法についても何か知見を得られると思っていましたの」

「やけに素直に俺達に付いて来ると思ったら、そういう企みもあったのか」

「もちろん、当初の目的は忘れていませんのよ。あなた以外の偽勇者共を倒すことが、王国貴族としてわたくしがなすべき責任ですもの!」

「ま、お前もう国から追われてるみたいだけどな」

「うわああああですのおおおおお!!」


 怜人の言葉がとどめになったのか、エレイーナが今度こそ地面に突っ伏して泣き出す。

 周囲をはばからぬ大声で、ミリアがこちらへ来たことで様子を窺っていた騎士たちがなんだなんだと視線を投げて来る。


「……ここじゃ話しづらいな。馬車の中で話せないか?」

「わかった」


 怜人の言葉にミリアが頷く。

 歩き始めると、ようやく泣き止んだエレイーナが「わたくしも行きますのよッ!」と言って着いて来る。


   ◇


「で、こうして戻ってきたわけなんだが」


 怜人はついさっきまで自分が看護されていた護送車の長椅子の上に座っている。向かいには同じくベッド兼長椅子に座ったミリアとエレイーナ。首を横へ向けると入口の前で仁王の如く立っている金髪耳長の騎士。


「なんであんたがここにいるんだ」

「アタシは魔王陛下の護衛だからな」

「さっき騎士団でレザックの捜索をするって命令されてなかったか?」

「アタシは一番隊隊長と団長を兼任してる。参謀がマルファスだ。二番隊以下の面倒はマルファスに任せてあるからいいんだよ」


 そういってフフン、と胸をそらしながら鼻で笑うのだ。

 何故かこの女を見ていると怜人は胸がざわつくのを感じる。馬が合わないと言う以上に感情を持て余すのだ。

 だが今はそんなことは後回しにすべきだろう。

 聞くべきことは山ほどある。


「ミリア……って、偽名だったんだな」

「ボクの名前はミリアリンデ。名前の半分だから偽りではない。そのままミリアと呼んでもらって構わない」

「そうか。とりあえず、お互い無事そうでよかったな」


 頭のてっぺんから見回して、特に怪我らしい怪我も残っていないことを見て怜人は安心した。


「無事だと!? 無事なもんか!」


 だが、隣に立つリナレスがいきり立つ。


「どういう意味だ?」

「どうもこうもない! 魔王陛下は体こそ修復されているが中身は――」

「リナレス、そこまでにして」

「ハッ!」


 しかし何かを感情のままに口走ろうとしたリナレスの口は、ミリアによって塞がれてしまう。


「……それはもしかしてお前の心臓の話か?」


 心臓、と言う言葉にわずかだがミリアが顔を強張らせた。

 エレイーナもはっとしたように息をのんでいる。ミリアを背負った時心臓がないことに彼女も気が付いていた。


「ファームベルグは確かに心臓を貫いていた。だがお前は生きていて、奴は心臓を喰えなかったようだった。魔力ほとんどがないと言うのも、心臓が無いのなら頷ける」


 心臓は物理的に血を送り出す重要な臓器であると同時に、魔力を生産し送り出すものでもあるのだ。もし心臓が無ければ魔力は体にめぐらなくなる。それはまさしく今のミリアの状況そのものだ。

 怜人の推測に、ミリアはわずかに間をあけて頷いた。


「ボクの心臓は今ここにはない。別の場所で使っている」

「使っている?」


 どういう意味だ?

 わけがわからず困惑する怜人だったが、脇から再びバカにするような声が上がる。


「魔王陛下の心臓は今アタシらベゼルの民たちのため、加護としての役目を担っているのさ! てめェのような俗物にゃ理解できんだろうがなァ!」

「リナレス」

「ハッ!」


 べらべらと喋っていたリナレスが、ミリアに呼ばれて再び直立不動の姿勢に戻る。

 こいつらはコントでもしているのだろうかと言う思いが脳裏をよぎるが、今はそんなことを考えている時ではないだろう。


「とりあえず、体は大丈夫なんだな? で、その心臓は魔都ベゼルにあると」

「そう。だから意識が戻らないボクを心配して、彼らは急いでベゼルへの道を進んでいた」

「それで皆さん鬼気迫る表情で行軍していたんですのね」


 この三日、一糸乱れぬ様子で行軍している彼らをエレイーナはずっと格子窓越しに見ていた。幾ら精強な軍であっても、全員が必死な様子で移動する様は異常だ。誰かしら疲れや不満は浮かべるものだ。


「当然だ。アタシらの魔王様の命がかかってんだかんな。一人だって不満なんて――」

「リナレス」

「ハッ!」

「やっぱお前ら遊んでるだろ」


 再びのやりとりに、そう言わざるを得ない怜人だった。


「仕方がありませんよ。リナレス様は魔王陛下を心配されて食事も喉を通らない様子でしたから」

「マルファス!」


 扉から入ってきたのは采配を任されたマルファスだった。余計なことを言うな、と噛みつきそうな様相のリナレスだったがマルファスは意に介していない様子でミリアの傍に跪く。


「陛下、用意が整いましたので二番隊以下はこれより国境河川の捜索に向かいます。僕も同行しますので、後の事はリナレス様に引き継ぎます。一番隊の方の準備もすでに整っています」

「よろしく」


 マルファスはミリアの言葉に一度深く頭を下げて立ち上がる。だがすぐには動かなかった。


「陛下、最後に一つお尋ねします。――彼らは陛下の何なのでしょう」


 空気がわずかに張り詰めた気がした。

 返答によっては先ほどの続きをしかねない。

 そんな雰囲気だ。

 だがミリアはごく自然に口を開いた。


「仲間」

「……そうでしたか。差し出がましいことを申しました。これにて失礼いたします」


 ミリアの言葉に笑みを深くしたマルファスは、踵を返すと入口へと歩み去っていく。途中でリナレスの脇を通り抜けるときに、その胸当てをコンと叩いて「後の事は任せます」とだけ言い置いていった。

 マルファスが出ていく。だが彼がいなくなってもリナレスは固まったまま動かない。何か衝撃を受けたような表情のままだ。


「ベゼルまではあと半日程度。他にも理由があるから、すぐに出発する」

「ハッ! かしこまりました!」


 ミリアの言葉に返事をしたリナレスが護送車を出ていく。

 こうして部隊が止まっていたのは小休止だったのだろう。


「それじゃ、もう少しでこの旅も終わりだな」

「そうですわね。ところでそろそろこの首輪、外してくれませんこと?」

「向こうに着いたら外してやるよ」


 他国にまで来てしまったのだ。流石にもうどうこうできはしないだろう。


「ミリアさん、ベゼルに着きましたら魔法について調べたいのですけれど、どなたか紹介していただけないですの?」

「厚かましい奴」


 明らかに直前の仲間発言を笠に着たお願いに、怜人は軽蔑のまなざしを送るがエレイーナの「うるさいですのよッ」という視線とぶつかる。

 そんな視線のやりとりの間で、けれどミリアは何でもない様子で頷いた。


「分かった。城には先代が収集した図書館もある。好きに見ていい」

「感謝しますわ!」


 ミリアの言葉を聞いてエレイーナは小躍りしそうなほど喜んでいる。狭い護送車の中でなければ本当に踊っていただろう。

 だが反対に、ミリアの顔はあまり明るいとは言えない。


「ミリア?」


 どうかしたのか、と言う言葉はミリアが首を横に振ったことで遮られた。

 護送車が再び動き出し、足もとからゴトゴトという振動が伝わって来る。

 それもあって怜人は口を閉じた。

 いずれにせよ、ベゼルまでの関係なのだ。

 向こうに着けば旅も終わる。

 報酬をもらって、それからミリアと会うことはなくなるだろう。

 ミリアは魔王――この国の王なのだから。

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