第18話 灼光の攻防
「きゅおおおおおおん!」
アザラシの口から青白い光が一気に放出される。
あたり一面が青色に染め上げられた。
「ふはははははは! 何だこの生き物は! 面白い、面白いぞ!」
氷が地面を覆い尽くし、空気が凍っている。巨大アザラシの口から吐き出される青い吐息は触れた物を凍り付かせるだけではなく、地面の下の水分を操っているのか槍のように霜柱を立たせている。
そんな世界をファームベルグはご機嫌な笑い声を上げながら駆けまわっていた。
だがファームベルグもやられっ放しではもちろんない。隙を見ては間合いを詰め、巨大アザラシの体に剣を振り下ろしている。だがその度に白い体毛に阻まれろくに傷もつけられないでいた。
ファームベルグと巨大アザラシの攻防によって、あたりは氷柱の立つ林のようになり始めていた。
「……とんでもない物を呼び出しやがったな」
呟きは、白い吐息になった。
レザックへの頼みはほんの少しの間、ファームベルグの意識を奪ってくれればそれでよかったのだ。だがあの巨大なアザラシは怜人の期待以上に働いてくれていた。
これなら勝機はある。
「レザック!」
手の中に、再びマナを溜めたところで予定通りにレザックに合図を送る。それを見たレザックが一つ頷くと「お願い、やって!」と巨大アザラシに頼む。
「きゅおおおおおん!」
やはり言葉を理解しているのか、巨大アザラシは氷った草原を滑るようにして一直線にファームベルグへ向かう。額の長い角を槍のようにして。
「ぬぅっ!? 来るか! よかろう!」
頭を低く下げた角の突進を、ファームベルグは真正面から受け止めた。巨大アザラシは小山のような巨体だ。当然突進による速度も角には乗っていたはずだ。それでもファームベルグはほとんど後退せず、剣で受け止めたのだ。
ファームベルグの体が淡く黒い光に包まれている。オーラのように立ち上るそれは、ニルゼググが吸収した魔力の光だ。身体強化の魔法だろうと思われた。
魔力を湯水のごとく使って体を強化したことで、押されていた体が止まる。ニヤリと挑発的な笑みを浮かべる。
「どうやら力比べは互角のようだな」
「こっちはそんなつもりないよ!」
巨大アザラシの背中に乗ったレザックがそう言うと同時、角を突き出すために下を向いていた巨大アザラシの口から青白い吐息が放出される。足もとから一気に冷気が立ち上った。
「ぬ、これは!?」
足もとで放たれた冷気によって、ファームベルグの両足が氷つき固定される。
「レイト兄ちゃん今だよ!」
その言葉と共に怜人は霜柱の陰から飛び出した。
ファームベルグが巨大アザラシとの戦いに気を取られている間に、霜柱の陰から陰へと移動して距離を詰めていたのだ。その手の中にはため込んだマナを集めた光球がある。
「くっ、動けん!」
足だけではなくファームベルグの握っているニルゼググもまた、巨大アザラシの角と撃ち合わせた部分が一緒に凍り付いていた。まだ無事な柄を両手で握って力の限り引っ張っているようだが氷は砕けず動かない。
これなら届く。
その予感と共に怜人はファームベルグに肉薄した。
右手の拳を握り、その先に光球を乗せて躍りかかる。
「《暗黒魔闘光線――》」
「などと言うと思ったか?」
拳の先の光球を解き放ち、すべてを焼き溶かすような光線を放とうとした矢先にファームベルグの愉悦を含んだ声が響く。
「キィエアアアアァァァ!」
ニルゼググが奇声を上げて、金色の双眸を最大まで広げた。
そして同時に凍り付いていない柄の部分から剣が一気に伸びる。ファームベルグは足を動かさないまま上半身と腕だけを動かして剣を引っ張り引き伸ばしているのだ。ぐるぐると剣を振り回す度、ベールのように剣が体の周りに巻きつけられる。
ついさっき、動けなかったのはそう見せかけた罠だった。
ほとんどゼロ距離から放たれた光線が、ニルゼググを直撃する。
だが、
「ギシャシャシャ」
笑い声が、光線の当たった場所から聞こえていた。
「そ、そんな」
巨大アザラシの上から見下ろしていたレザックが愕然とした声を上げる。
つい一瞬前まで剣の先端にあった不気味な顔が、移動している。今ファームベルグの体を覆っている剣の腹の部分へと。
そして大きく開けた咢で光線を貪り食いながら哄笑を響かせている。
怜人が放ったすべての光線を喰いきったところで、ファームベルグは纏わせていた剣の結界を解く。
「惜しかったな。ニルゼググを避け、私に直接攻撃を当てようとしたことは間違いではなかった。だが、どうやら私の方が一枚上手だったようだな」
剣の中ほどは未だ凍ったまま、巨大アザラシの角と一緒に固まっている。だが伸長した剣はまるで蛇がとぐろを巻くようにして、ファームベルグの頭上で渦を巻いている。
「いや、この時を待っていた」
勝利を確信したファームベルグが見せたわずかな油断。ニルゼググを鞭のように振り下ろそうとした直前に怜人はさっきまで突き出していたのとは反対の左拳を高速で突き出す。
その先には先ほどの物と同じ、赤い光球がある。
「《暗黒魔闘光線〝双〟波》ァァァァァァ!」
光線が、2人を赤く包み込んだ。
最初の光線も至近距離からの一撃だったが、今の一撃はさらに密着した状態からの攻撃た。躱せるはずがない。
「レイト兄ちゃん?」
巨大アザラシの上から見下ろしていたレザックが、そう確信するほどの状況だったにもかかわらず、攻撃を放ったまま怜人が動かないことに疑問を抱く。
「全く、貴様ら勇者は本当に油断ならない連中だ」
土煙が晴れた時、顔を覆っていた仮面の下半分だけを焼失させたファームベルグが口元を笑みに歪めながらそう呟いていた。
怜人の攻撃はファームベルグの顔面をわずかに掠めただけだった。
その理由は、レイトの腕に絡みついている黒い布、いや剣によるものだ。
「く、ぁッ!?」
ぎりりと締め上げられ怜人の口から苦しげな声が漏れる。
巻き付いた左腕が持ち上げられ怜人の足が地面からわずかに離れた。
しかし目線がファームベルグと合ったところで怜人の拘束されていない右手が閃く。
「おぉっと」
しかしそれをファームベルグは苦も無く剣を握っていない方の手で受け止めてしまった。
「貴様はどこまでも私を楽しませてくれる、最高のおもちゃだよ……」
「この、変態野郎め」
「何とでも言うがいいさ。今はもう、貴様の命は私の手の中なのだから」
左手の拘束がさらに強まって、腕が悲鳴を上げるが今度は何とか口から声が出るのは抑える。こんなことで意地を張っても仕方ないが、叫び声一つ上げなかったことでファームベルグがつまらなさそうに口を結んだことにわずかばかりの優越感を覚えた。
「レイト兄ちゃん、今助けるよ!」
「おぉっと、そうはいかない」
巨大アザラシが凍り付かせていた角を振って再度攻撃に転じようとする。しかしそれは同時にファームベルグの動きも自由になると言うことだった。
「ギャギャギャギャギャギャ!」
帯のように長く伸びて空中に浮かんだ剣の一部が動いて、金の双眸と咢が移動する。巨大アザラシが再び青い吐息を吐き出そうとするその正面で、ニルゼググの口腔深くに黒い光が収束する。
「やめ、逃げろ!」
空気を切り裂く音と共に、ニルゼググの口から光線が放たれた。威力は先ほど怜人が放った《暗黒魔闘光線波》と同等、いや同質のものだ。
黒い光線波まっすぐに飛んで巨大アザラシを直撃した。倒れ込むその姿を見てファームベルグが哄笑を上げる。
「ふははははははははは」
「テメェ……」
ギリッと歯を噛んで、ファームベルグを睨み付けるものの。ファームベルグはその視線をまるで気持ちのいいもののように受け止める。
「いやはや、楽しい時間だった。だが、それも終わりだ」
怜人の眼前に、ニルゼググの口腔が向けられた。
剣には見えない、ぬらぬらとした赤い口の中から生暖かい息を吐きかけられて気持ちが悪い。そしてその奥で黒い光が収束する。
「くそっ」
腕の拘束が外れない。
無理矢理外そうとした右手が刃に触れて血が流れる。
その間にニルゼググの収束する黒光は臨界を迎えている。
避けられない、その思いが頭を満たした時だ。
「―――」
「ぬぅっ!?」
無言の気配を感じたのだろうか、ファームベルグがとっさに体をひねる。
振り下ろされた短剣は、本来肩口から体の真ん中を通り抜けるはずだった軌跡を取り残された左肩に変えて断ち切った。
「外した」
宙に舞うファームベルグの左腕を見ながら、ミリアが短くつぶやく。
そのまま再び両手の双短剣を以てファームベルグに斬りかかろうとしたミリアに、ニルゼググが奇怪な叫び声を上げた。
「ギギギィィィ!」
口腔からいくつもの黒い光が放たれた。
それと同時に怜人も宙に放り出されていた。
突然の解放に驚いて、地面を転がった怜人が見た光景は地獄の様相だった。
腕を斬り飛ばされながらもファームベルグが興奮したように笑い声を上げている。
「そうかそうかそうかそうか! まだ貴様のような面白い者がいたなァ! もっとだ! もっと私を楽しませろォ!」
ファームベルグを中心に、剣を伸ばし帯状に展開したニルゼググ。剣の表面を顔の部分が移動して、攻撃の隙を伺うミリアを狙って光線を幾つも打ち出し地面に小さなクレーターを穿っていた。
ミリアはそれを、高速で移動しながらなんとか避けていた。
「しかし貴様がここにいると言うことはァ、あっちに向かわせた連中は全滅か。無能共め」
「ずいぶんと冷たい言い草。それでも仲間?」
「あれらは勝手について来たおまけに過ぎぬ。私の目的はただ闘争にあるのだからなァ」
そう言って、新たに立ちはだかったミリアににんまりとした笑みを向けた。
「そう」
ほとんど感情を感じさせないながらも、ミリアは勢いよく迫る。ファームベルグは一歩も動かず、ニルゼググがしなって鞭のように振り下ろされた。ミリアがそれを躱すと、その躱した先へ再び鞭が振り下ろされる。連続でミリアへ向けて振り下ろされる攻撃は、絶え間ない豪雨の様だった。
怜人はその光景を目の当たりにして動けずにいたが、一瞬ミリアと目が合った気がした。
アメジストの瞳がするりと怜人の隣へ流れて行って、それでようやく怜人は自分がやるべきことを思い出した。
「レザック、無事か?」
倒れた巨大アザラシの後ろ、あおむけに転がっていたレザックに駆け寄るとうめき声を上げながらレザックが目を開けた。
「オレは大丈夫……それよりこいつは?」
どうやらレザックは多少の擦り傷以外は無事な様だった。起き上がったレザックがすぐに巨大アザラシの様子を確認している。
「ひどい……」
「きゅううううん……」
完全な直撃を受けていた巨大アザラシの首元は、白い毛皮が焼けて下の地肌が爛れていた。あれほど高密度な魔力光線の直撃を受けて、貫通しなかった頑丈さことにむしろ感心するが、見ていて本当に痛々しい。
「レイト兄ちゃん……」
「残念だが、俺じゃあどうしようもない。ユーノがいれば治療の手段もあるかもしれないが……」
荷物の中に傷薬程度はあるが、これほどの怪我に対しては焼け石に水だろう。ユーノの回復魔法があれば何とかできるかもしれないが、ミリアも怜人もそう言った魔法は使えなかった。
「取りあえずすぐにどうこうなるほど命の危険はないはずだ。これだけの巨体なら生命力も比例して高いはずだからな」
「きゅうううん……」
そうはいったものの巨大アザラシの上げる鳴き声は悲痛で、罪悪感がこみあげて来る。早く治療してやらねばならないだろう。
そのためにはまず奴を倒さなければならない。
決意と共に視線を向ければ、そこではさらに速度を上げて激しく戦う二人の姿があった。相変わらずファームベルグはほとんど動いていないが、その手に握るニルゼググの動きはもはや鞭の結界の如く動き、周囲を残像を残す勢いで駆けまわるミリアへ銃撃の如く降り注いでいる。
割り込む余地が見つけられなかった。
「くそっ、どうすりゃいい」
焦った声を上げた時、ひときわ甲高い音が上がる。
はっとして見ると、弾き飛ばされ宙を飛ぶミリアの背中が見えた。
「ミリア!」
咄嗟に駆け出して、地面に激突する直前でその小さな背中を受け止める。
「くっ、おい大丈夫か!?」
腕の中でぐったりとするミリア。
額から血が出ている。浅い息を繰り返して体全体が火に包まれているかのように熱かった。それでも両手に握られた双短剣から力は抜いていない。
再び声をかけようとした怜人だったが、それよりも先にミリアが双短剣を地面に突き立てて立ち上がろうとする。
「おい、ミリア――」
「逃げて」
ミリアの声に怜人の動きが止まる。
指はミリアの肩にかかる直前だった。
「アレはボクが止める。その間にレイトは4人と一緒にドラグヘイムへ向かって欲しい」
そう言いながらギュンと風を切って襲い掛かって来たニルゼググの先端を短剣で打ち返している。
火花を散らしてニルゼググが引き戻されていく。
「だ、だけど……!」
「このままでは勝てない。だから、あなたには彼らを守って欲しい」
「っ!」
すっくと立ちあがったミリアの額から流れ落ちた血が、地面にぽたりと一つシミを作る。
その背中を見上げて怜人は口を開こうとして、けれどすぐに引き結んでしまう。
現状、ファームベルグと怜人の相性は最悪だ。
ビームはもちろん、マナそのものを喰われてしまうため攻撃や防御そのものがニルゼググを強化してしまう。しかもファームベルグの超人的な反射神経は決まったところからしか発射できないビームをほぼ完全に避けてしまう。
八方ふさがりだ。
「ボクは魔力を使わない。対等に戦えるはず」
嘘だ。
ミリアには魔力はなくともファームベルグにはある。ニルゼググがここまで怜人の攻撃から吸収した魔力が。
「……」
「早く、行って」
「逃がしはせんぞ!」
その言葉と同時、黒光が照射される。
ファームベルグの手元、ニルゼググの口腔から放たれたそれは交差されたミリアの双短剣によって切り裂かれ周囲へと散らされた。
「――分かった」
耳をつんざくような轟音の中、怜人が苦しさをにじませながら立つ。
レザックの元へ急ぐと、巨大アザラシを起こすところだった。
「行くぞ」
「本当にいいの?」
「……俺に出来ることはねえからな。それにお前らの事を頼まれた」
そう答える怜人の顔を、レザックが張り詰めたような表情でじっと見ている。
「……何だよ」
「本当にそれで後悔しないのか?」
踏み出そうとしていた足がピタリと止まる。
その様子を見たレザックがさらに言葉を重ねた。
「ミリアお姉ちゃんの『お願い』はともかくとして、レイト兄ちゃんはどうしたいんだよ!?」
「俺は……」
「このまま放っておくのかよ! 一人で戦わせていいのかよ!?」
背後から、背中に軽い衝撃。
ぶつかって来たレザックが握り締めた拳で背中を叩いている。子どもの力だ、マナで強化されている怜人の体には大した痛みも伝わらない。
だと言うのに何故か痛みではなく胸を強く叩かれた感触が揺さぶる。
「レイト兄ちゃんは! どうしたいんだよ!」
レザックの言葉が胸に突き刺さる。
どうしたいのかという意志を言葉にする。
ただそれだけのことに怜人は口が動かなかった。
目の前の赤毛の少年の姿が掻き消えて、黒髪の幼い少女の姿がタブ付く。腕に抱きしめられた不細工な人形。目尻には小さな涙。
『お兄ちゃん』
音が聞こえない世界で、口の動きだけで何を言ったのか理解する。
いや、覚えていた。
忘れるはずがない光景。
すでに思い出しているのに頭が思い出すのを拒否しようとする。喉がからからに乾いて目の奥がチカチカする。必死に今自分がいる場所を思い出そうとして、けれど目の前の少女が赤毛の少年に戻らない。
まさか今いるのは本当にあの時なのか?
そんなありえない幻想に手を伸ばして、耳朶を撃った衝撃にようやく時間が元に戻る。
目の前にいるのは赤毛の少年、レザックだ。
その頭に手を伸ばそうとした状態で怜人は固まっていた。
伸びてきた手を見て、レザックは疑問のまなざしを向けている。伸ばされた手が、怒りに震えているわけでも拒絶しているわけでもなく、ただ優しく感じたからだった。
「ふははははははははは! とった! とったぞ!」
だがそんなことを言っていられる時間は無くなる。
次いで耳に届いたのはファームベルグの狂気に染まった笑い声だったからだ。
振り向いた怜人たちは目に入ってきた光景に息を止めた。
ファームベルグが狂ったような笑みを浮かべている。その手の中には血にまみれたニルゼググの姿。ニルゼググを伝う血は、その中ほどに突き刺さったまま揺れるミリアの体から流れてきていた。
「そんな、ミリア姉ちゃん」
隣に立っていたレザックが力を失ったように膝から崩れ落ちる。
「あ、」
ファームベルグが無造作に、ミリアの体を投げ捨てる。
未だ煌々と夜を照らし続ける光魔法の下、ミリアの体の真ん中に出来た空白がはっきりと見える。
「ああああああああああああああああ」
怜人の視界が、真っ白になった。
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