第16話 王国貴族としてあるために
「き、来ましたのよミリア!」
「仕方ない、ここで迎え撃つ」
そう言いながらミリアが腰から短剣を引き抜き両手で構える。
「やるしかありませんのっ!?」
エレイーナも杖を構えながら、後ろに下がらせたユーノ達の様子を窺う。
ユーノは背中にアーニャを背負ったまま、敵の動きをじっと見ている。かなり落ち着いているようだ。アーニャは顔を緊張に強張らせてユーノの背中にしがみついていた。レザックはと言えば、ここまで走った疲労から肩で大きく息をしながら地面に膝をついていた。もうしばらくは走れないだろう。
覚悟を決めて、エレイーナは召喚魔法の使い時を見計らうことに決めた。
ミリアとエレイーナが見つめる先で、馬に乗った紫ローブたちが次第に大きくなっていく。
そしてあとわずかでミリアの間合いに入ろうかと言う直前で、召喚魔法を使おうとしたところで紫ローブたちが一斉に馬を止めた。
「武器を捨て、降伏せよ! 抵抗は無駄である! 我らが神の名の下に、貴様らは必ず浄化してくれよう!」
そう声高に叫んだのである。
予想外の宣告に、エレイーナは戸惑った。
先刻、怜人と戦っていた相手は自分からいきなり怜人に斬りかかって行ったように見えていた。連中にこちらと対話する気など全くないのだろうと勝手に思っていたのだ。
隣を見ると、ミリアは未だ険しい表情で紫ローブたちを睨んでいる。
仕方なくエレイーナが口を開く。
「あなたたちは何者ですの? 何の目的があってわたくしたちを追いかけるんですの?」
「……貴様は、リュートレーネン侯爵令嬢か?」
だがエレイーナの問いに紫ローブは問いで返して来た。
その言葉にエレイーナは一瞬体を固くする。ミリアたちには自分の正体についてまだ話していなかったからだ。もし知られてしまえば――貴族であるにもかかわらず怜人に隷属の首輪をはめられていると言う、生きていけないような恥辱をさらしてしまうことになる。そして高貴出自だと知れば、普通に喋ることもできなくなるだろうとエレイーナは思っていた。
しかし今のは確実に聞かれてしまっただろう。かくなる上は自分からしっかりと名乗るのが貴族の矜持!
「リュートレーネン?」
隣のミリアが頭に疑問符を浮かべながら呟く。後ろを見れば、他の面々も全然ピンと来ていない様子だった。
「……」
そのことに心の中でさめざめと涙を流しながら、けれど貴族としての意地を見せるべきとエレイーナは立ち上がった。
「その通りですの! わたくしがエレイーナ・リュートレーネンですのよ!」
「そうか、ここで見つけられたのはちょうどよい。我らの主より貴様には抹殺の指令が出ている! この裏切り者め!」
間髪入れず浴びせられた罵倒にエレイーナは目を白黒させた。
「う、裏切り!? 何かの間違いですのよ!」
「そんなわけあるか! こうして貴様は王国を揺るがした偽勇者の仲間として旅をし、あまつさえ亜人を連れて国外へと逃亡しようとしているではないか!」
「っ!?」
はたから見れば確かにその通りだった。
「そ、それには理由が……!」
「黙れっ、貴族の面汚しめが! 貴様のような無能の貴族がいるから国がダメになるのだ! 貴様などもう貴族ではない、異端の徒と共に浄化してくれるわ!」
「つっ!?」
その言葉にエレイーナは足もとが崩れ落ちるような衝撃を受けた。いや、文字通り膝から地面に崩れ落ちた。
「エレイーナ?」
隣に立っていたミリアが視線を向けるが、エレイーナは反応すら見せずに震えている。
ただ事ではない様子に、ミリアはエレイーナを正気に返らせるのを諦めた。
「あなたたちは、教会の異端審問官。というわけ?」
「いかにも、そのとおりである」
硬直したまま動けないエレイーナの代わりに尋ねたミリアに、傲慢さを含んだ声で頷く紫ローブ。
「浄化って言うのは、具体的に何をするつもり」
ミリアが一歩、エレイーナをかばうように前に出た。問いこそしたが、もちろん返答は分かり切っていた。
「無論、この手で我らの神の下に送ってやるのよ!」
そう言って紫のローブを全員が脱ぎ捨てる。
下から現れたのは黒く塗りつぶした全身鎧を一様に装備した者達だった。顔にもフルフェイスのヘルメットをかぶっており、容貌は全く知れない。手にはそれぞれ武器を持ち、中には杖を持っている者もいることから魔法使いがいることも見てとれる。
だが、エレイーナはそれを見ても立ち上がることが出来なかった。
そんな様子を見たミリアが双短剣を構える。
「やれるものならやって見せればいい」
ミリアの言葉が、戦端を開いた。
◇
貴族とは、王国を守る者。そして国王陛下の財産である国民を守ることが王国を守ると言うこと。
幼いころからエレイーナは父からそう言われて育った。
この国の貴族は、たいていの場合は魔法が使える。それは脈々と祖先から受け継ぎ血をもって魔法適性を維持、あるいは向上させてきたが故の結果だった。
そしてリュートレーネン家はそう言った貴族の中でも特に傑出した魔法の大家だ。
長女であるアーデルハイドは氷の魔法において突出した能力を見せ、また剣の腕でも一流。王国の将軍として成長した。次女であるウルスラは、アーデルハイドほどではないものの魔法全般に才を見せ嫁ぎ先の家では参謀としても辣腕を振るっている。
そんな姉たちの才能に尊敬と憧れを抱いていたエレイーナはと言えば一般的な魔法に関しては全く才能がなかった。
本当に、炎の揺らめきどころか氷の礫一つすらも生み出すことが出来なかったのだ。
ただ一つ、ろくに制御することのできない召喚魔法を除いては。
自分は姉たちのようになることは出来ない。その事実を理解した時エレイーナの両肩には貴族としてかくあるべきという父からの教えが重くのしかかっていた。
ならばせめてもと手を伸ばした武術や知識の面においても姉二人の足元にも及ぶことができない。
貴族足りえない自分に価値はない。周囲からの嘲笑の視線はエレイーナの成長に大きな影を落とした。
それでもエレイーナは自分に出来る召喚魔法を磨くことだけはやめなかった。
力がなくては王国を守れないから。貴族足りえないから。
そんな強迫観念にも似た思い込みが、不可能を可能にした。
ただひたすらに召喚魔法打ち込んだのだ。
だが道は険しかった。
この国で召喚魔法は一般的ではない。
召喚魔法と名付けたのは父だった。リュートレーネン家に代々受け継がれてきた国一番とすら謳われる魔法の知識にすらその存在はなかったのだ。
王国の長い歴史の中にあって、勇者の召喚は何度も行われている。だがその方法については喪われていたのだ。いったいなぜそうなったのかはわからない。
ただエレイーナにとって召喚魔法は最後のよりどころだった。
貴族としてこの国のために戦うための。
この国に生を受けた貴族として生きるための。
だから王宮から、『勇者の召喚』を行うために招聘された時には内心の喜びを押し隠すのに必死だった。
一体いつの間に用意したのか、エレイーナの召喚魔法を制御するための補助魔法を幾つも王宮魔法研究塔に作り、サポートする人員を王宮魔法師団は調達していた。明らかに王宮魔法師団ではない者まで出入りしていたが、そんなことは気にならなかった。
ただ王国のために自分が役立つことが出来る。
その事実だけでエレイーナは自分がようやく人間になれたような気がしていた。
◇
エレイーナの眼前で、ミリアが地面を割りながら吶喊をかけた。短剣の先が大盾を突き、盾ごと異端審問官を引きずって地面に足跡を深く刻んだ。だが、盾を破ることは出来ない。
「死ね!」
短剣を振り切った状態のミリアに剣士たちが一斉に躍りかかる。だがその剣はミリアに届くよりも先に、盾に突き立てられていた方と逆の左の短剣でいなされた。すぐさまミリアは盾にわずかばかり突き立った右の短剣を引き抜くと同時に再び盾ごと蹴りつける。
両手がようやく空いたミリアが真正面から残った二人の剣士の相手をし始めた。
ミリアが人間とは思えない速度で動き、異端審問官たちを翻弄する傍らでエレイーナはその光景を呆然と見ていることしかできなかった。
貴族としてあるために戦って来たつもりだった。
だが異端審問官たちの言うことももっともだ。今の自分は何をしているのか。王国で狼藉を働く元勇者共を倒すため、幾分マシかと思われた怜人に接触したものの、何もできずただずるずると旅をしている。
辺境の村では村人たちを一人では守ることもできず、今またミリア一人に任せて自分は地面に座り込んでいる。
そんな自分をエレイーナは『貴族』だと言い張ることができない。足にも心にも力が入らなかった。
だがそんな横にレザックが立つ。
「何をしているんですの」
レザックは弓に矢をつがえた状態で戦いを見ている。だがその手の中の弓は心細いと言うレベルではない。森の中の小動物を射抜くには十分な矢でも、あの黒塗りの鎧を貫くことは出来まい。
「オレは、アーニャの兄ちゃんだから。守らなきゃいけないんだ」
背後を振り返ると、ユーノとアーニャの姿はない。視線を遠くへやって、アーニャを背負ったユーノの姿をようやく見つける。
「ごめん、先に逃げてもらったんだ。俺の弓じゃ、出来てもせいぜい時間稼ぎくらいだから」
「……あなた、死ぬおつもりですの?」
エレイーナの問いに、レザックは一瞬きょとんとしてすぐに噴き出す。
「そんなわけないだろ。アーニャには、オレがいてやらなきゃいけないんだからな」
「それでは……何か考えがありますの?」
「ない!」
「はい!?」
きっぱりと言い切ったレザックに、エレイーナは思わず変な声を出してしまう。
「それはこれから考える」
「あなた、行き当たりばったりですのね」
「勝算はあるさ。だって、エレイーナ姉ちゃんは貴族様なんだろ?」
「!」
レザックがまっすぐにエレイーナの目を見てくる。何の根拠を心の中に持っているのか、迷いのない目だ。
「オレは田舎もんだから、エレイーナ姉ちゃんがどのくらい偉い貴族様なのかはわかんないけどさ、貴族様ってのはすごいんだろ? この国は貴族様達が上手く回してて、だから貴族様は偉いんだって死んだ父さんが言ってたからな」
「そう、ですの。あなたのお父様が……」
もはや自分のことなど誰も貴族とは認めてくれないだろう。
そう考えていたエレイーナの冷え切った心にほんの僅かばかりの炎が宿る。
自分の『貴族』としての在り方は、こんな小さな子どもに守ってもらうことを良しとするものだったのか。こんな時のために自分は力を磨いて来たのではないのか。
「……そもそもあんなよくわからない連中に否定されたからと言って、何だと言うんですの」
自分は栄えあるリュートレーネン家三女。エレイーナ・リュートレーネンなのだ。
ここで殺されようとしている王国民を守らなくて何が貴族か。
エレイーナの胸の中にある小さな炎が一気に大きく燃え上がる。
「やって見せますわよ。見ていてくださいまし、お父様!」
立ち上がったエレイーナが力強く杖を握った。
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