第15話 狂気との再会


「おい、ミリア。国境はこっちで間違いないんだろうな!」


 走りながら隣のミリアに尋ねる。

 2人の走る速度は駆け足程度で、話すのに不都合はない。だがもちろんゆっくり走っているわけではない。

 目の前を走る子どもたちのスピードに合わせているだけだ。

 この速度でもレザックにとってはかなりきついペースだろう。ちなみにアーニャは早々にユーノの背におぶさっている。ほとんど家から出ない生活をしていたアーニャに全速力の持久走など不可能な話だった。

 その背負っているユーノはと言えば、ほとんど同じ背格好だと言うのにレザックよりもよほど余裕そうに走っていた。怜人の目には、ユーノが全身に魔力を纏わせて走っているのが見えていた。恐らく身体強化の魔法か何かなのだろう。

 ちなみに一行の中で一番不満をグチグチ言っているのは先頭を走っているエレイーナだったりする。


「なんでっ、このわたくしがっ、こんな目に、遭わなければいけませんの!?」

「喋ってる余裕があったらもっと足を動かしてみな」

「うるさいですのよ!」


 首輪に反応しない程度に発破をかける。どうやらまだまだ走れそうだ。


「レイト、このあたりのドラグヘイムとの国境は深い谷になってる。橋の形で関所が設けてあるから、そこを通る」

「なるほどな、それなら何とか、いや無理だな」

「!?」


 背後の虚空に向かって怜人が光線を放つと、飛来した矢を打ち落とした。

 遠くから迫ってくるかすかな気配。

 《マナ感知》を再度広げれば、思った以上に近づかれていた。


「まずいな、追いつかれるぞ」

「あ、見て下さい。谷です!」


 怜人がそう口にしたすぐ後に、ユーノが走っていた先に切り立った崖を見つける。それがセレスティアン王国とドラグヘイムを分ける国境の谷であることはすぐに理解できた。


「あ、危なかったですの……あと少し遅かったら谷に向かって飛び込んでましたのよ……」


 一番先頭を走っていたエレイーナは崖になっていることに全く気が付いていなかったらしく、腰を抜かして地面にへたりこんでいた。崖はまだ少し先だったが、怜人も目を凝らさなければ見落としたかもしれなかった。

 ちなみに一行は移動に際してたいまつのような灯りを一つも持っていなかった。いきなり飛び出て来ることになったのが大きな原因だったが、怜人もミリアもユーノも夜目が効くために明かりを必要としなかったのだ。先頭を走るエレイーナは星の光で足もとくらいしか見えないようだったが、ここまでずっと平原が続いていたので何とかなっていた。


「このまま崖に沿って北側に行く。橋は向こう」

「崖の下は深い川になっています。絶対に落ちないでくださいね」


 ミリアが指さし、ユーノが崖の下の事を教えてくれる。今は確認するような余裕はないが、そもそも落ちるつもりはない。


「ほら、そろそろ立てよ。時間がないぞ」

「わ、分かっていますのよ」


 へたりこんだままだったエレイーナを無理矢理立ち上がらせると、足をプルプルとさせながらどうにか立ち上がる。だがすぐには歩けそうにない雰囲気だ。


「レイト、もう無理」


 すぐ背後でこちらに向かってくる追跡者たちを警戒していたミリアが緊迫感を含んだ声で言う。

 振り返ると連中はもう見える位置まで来ていた。

 10人全員がローブを身に纏い、馬にまたがっている。

 一直線にこちらへと向かってきていた。

 そのうちの一人が腰から短杖を引き抜いて頭上へと向けた。すると杖の先から小さな光が空へと昇って行き、いきなり光の球が広がった。周囲が真昼の如き光に照らし出される。

 平原の、身を隠す場所もないところでのことだ。向こうも完全にこちらを認識したらしく先頭の一人が腰から剣を引き抜きぐんとスピードを上げた。


「くそ、やっぱり敵だよな」


 こちらとは関係のない連中である一縷の可能性を期待していた怜人だったが、その可能性はこれで完全に砕けた。

 舌打ちしながら思考を戦闘態勢に変えていく。


「ミリア、俺が足止めしてる間にユーノ達とドラグヘイムへ!」

「大丈夫なの?」

「分からないがやるしかねえだろ。お前やエレイーナはともかくユーノ達じゃ戦えない」


 遠目に見ても技量が十分にある敵だとここまでの動きから分かった。そんな相手に子どもたちを戦わせるわけにはいかない。


「任せたからな!」


 そう言って怜人は走り出した。

 心臓裏の《マナジウム結晶体》から一気にマナを吸い上げ全身にいきわたらせる。地面を蹴って加速しつつあった体がさらにぐんと速度を上げる。

 既に騎馬集団との距離は光線の射程内だ。

 走りながら人差し指を向ける。

 すると先頭を走っていた人物が他の人間たちに何か指示を出した。すぐに先頭の一人を除いて全員が方向を変えて走って行く。


「なっ!?」


 その先は、崖に沿って急いでいるミリアたちの方向だ。

 予想に反した素早い動きに怜人は歯噛みする。


「仕方ない!」


 それでもやることは同じだ。

 まずは目の前の紫ローブを倒してそれから他の連中を追いかけるのだ。


「行くぞ!」


 指先から光線を連続で放つ。

 彼我の距離は既にわずかだった。

 空に輝く光魔法によって照らされていながらも、なお煌々と輝く赤い光線が数条とび、馬に乗った紫ローブに吸い込まれる。怜人はそう信じて疑っていなかった。

 だが、目の前に迫った紫ローブはいきなり馬の上で剣を振り回し、光線を切り落とした。その芸当は神業に近い。距離がもはやゼロに近い以上発射されてから着弾までどんなに低く見積もってもコンマ数秒以下の時間しかなかったはずなのだ。とんでもない反射神経だ。

 そしてその動きに怜人は見覚えがあった。

 引き伸ばされた時間の中でフードの下の目があった気がした。


「勇者ァァァァァァァァァァ!」

「やっぱりお前かあああああ!」


 馬上から飛び上がった紫ローブ男――ファームベルグがローブを捨て去って剣を振り下ろしてくる。

 ズン、という重い感触が展開した《マナシールド》越しに襲い掛かって来る。


「何でお前がここにいるんだよ!?」

「無論、貴様を追って来たに決まっているだろうが!」


 ファームベルグが顔を覆う仮面の下で怒鳴る。その声は狂喜に満ち満ちていた。

 ニタリと笑った気配が仮面越しに伝わって来る。

 怜人の背筋を悪寒が駆け抜けた。

 それと同時に《マナシールド》を解除する。急に遮るもののなくなったファームベルグがたたらを踏みながらも剣を振り下ろしてくる。怜人は体をひねって、前髪を数条散らしながらもどうにかこれを躱す。

 すれ違いざまに指先から光線を発射した。


「効かんわ!」


 だがそれをいともたやすく再び剣で切り裂いてしまう。


「何だよその剣!?」


 ファームベルグは以前剣と鎧が一対となった『聖鎧剣ニュルンヴォルグ』を使っていた。今も彼が身に纏っている鎧はその時と同じ白銀の物だ。だが手にあるその剣は当時の物とは真逆。禍々しさをにじませた漆黒の剣。


「そう言えば貴様、私から奪った剣をどこへやったのだ?」

「とっくに売り払ったよ」

「そうか」


 怜人が距離を開けながらシンプルに答えてやると、予想に反してファームベルグはさらりと答えた。


「何だ? 気に入ってるようだったから怒り狂うかと思ってたよ」

「ああ、以前の私ならばそうだったであろうな。だが、今の私にはこれがあるからな」


 そう言って黒い剣を八双に構える。


「新しい相棒はずいぶんと禍々しいんだな」

「こいつの真の姿はこんな無粋なものではないぞ、見せてやろうではないか。――喰らうがいい『悪食剣ニルゼググ』!」


 その言葉と共に剣にはっきりとした変化が現れた。

 金属でできていた剣が一気に膨張し漆黒の柔らかいものに変わる。蛇の様にしなやかに伸びた剣の先端には黄金の双眸と、ずらりとならんだ鋭い牙。赤い口腔がちろちろと覗く凶悪な咢が開いていた。


「な、」


 一瞬の硬直。

 その瞬間にまるで槍の如く剣が伸びた。

 反射的に展開した《マナシールド》。だが悪魔の如き容貌の剣は盾がないかのように直進してくる。

 チリッ、と脳裏に嫌な予感を覚えて怜人はシールドをそのままに体を剣の射線から回避させようとする。

 その目の前で、怜人のマナから作り出された《マナシールド》が喰われた。


「シャアアアアアァァァァァァ!」


 おぞましい声を上げながら不揃いな鋭い歯が《マナシールド》を食い散らかす。シールドを突き抜けて怜人に襲い掛かって来たニルゼググを転がって躱した怜人だったが、体の中からごっそりと何かが奪われた感覚に襲われる。


「その剣魔力を喰うのか!?」

「正解だ」


 伸びたニルゼググを引き戻しながらファームベルグが肯定した。


「そしてこいつは、魔力を喰うだけではない」


 剣の中に飲み込まれた魔力の反応が剣自体の魔力と同化する。そしてその魔力が柄を伝ってファームベルグの体に吸収された。


「こいつは食ったものを魔力として分解し、さらにそれを装備者に倍増させて渡すことが出来るのだよ」

「とんでもない魔剣だな」

「魔剣とはひどい言い草だ。これでも以前召喚された勇者が残した聖遺物として扱われているのだぞ?」


 その言葉に怜人は得心した。

 まるで生物のような剣の能力は明らかにこの世界の魔法水準に適していない。オーパーツやアーティファクトのレベルだ。

 そしてその能力は怜人にとって天敵と言っていいレベルで相性が悪い。


「理解したようだな。こいつはお前を倒すためにあの方から頂いたのだ」

「わざわざ俺のために用意してくれるとは光栄だね」


 口元に笑みを浮かべながらも、怜人は内心この状況をどうするべきか高速で考えていた。

 《マナジウム結晶体》から吸い上げたマナは全てあのニルゼググによって吸収されてしまう。光線も盾も全てだ。その上指から発射した光線は吸収できるだけでなく剣で叩ききられてしまう。


「こんなことならこっちはミリアに任せるべきだったな」


 そう言いながらもそんなことは出来なかっただろうとも思う。もしミリアが残って、怜人がエレイーナたちを連れて逃げれば、ファームベルグたちの配置が逆になっただけだろう。


「来ないのか? ならばこちらから行くぞッ!」


 わずかな逡巡の間にファームベルグが駆け出してくる。

 考えている余裕はない。

 向こうに行った連中までファームベルグほどだとは思えないが、それでも追跡の練度から言って間違いなく手練れだ。ミリア1人で4人を守り抜くのはかなり難しいだろう。

 エレイーナを無意識のうちに戦力外に数えながら、怜人はファームベルグを迎え撃った。

 豪速で振り下ろされ続ける剣を可能な限り躱し続ける。《マナシールド》で受け止めても相手に餌を与えるだけだと分かり切っているからだ。だがファームベルグの卓越した剣技は数秒もたたずに怜人を押し込む。


「くっ」


 避けきれず、仕方なく《マナシールド》を展開する。ぶち当たった剣が火花を散らす。

 そのことに怜人は違和感を覚えた。

 さっきのような喰われる感覚に耐えようと身構えていたがそれが来ない。

 代わりに《マナシールド》の上を何かが高速で這いずる感覚があって、慌てて怜人は《マナシールド》の展開を解除して後ろへ飛び退る。

 ガチン、というギロチンが落ちるような音がして一瞬前まで怜人がいた空間をニルゼググの乱杭歯が噛み合わさって通り過ぎた。

 ファームベルグが仮面の下で笑みを浮かべているのが雰囲気でわかる。

 シールドとぶち当たった部分をそのままにニルゼググが伸びたのだ。怜人の顔の目の前で閉じられた咢が再び開き、飛び退る怜人をさらに追随してくる。

 まるで蛇のような動きに怜人は内心舌打ちした。

 まだしばらく、追いかけっこは続きそうだった。

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