第14話 襲い来るものたち

「ああ、燃えてる」


 ぽつり、とレザックの口から言葉が漏れたのは村を出てしばらく歩き、小高い丘にたどり着いた時だった。

 全員が足を止めて振り返る。

 つい今しがたまで歩いて来た道の先に、出て来たばかりの村が小さく見えた。その一角が煌々とした赤い光に照らされている。

 どうやら村人たちが放った火が本格的に家に燃え広がったらしい。

 これだけ離れたところから明るく見えると言うことはきっとかなり燃えていることだろう。火が収まるころにはきっと何も残っているまい。

 誰も何も言うことが出来ず、無言でそれぞれの瞳に火の光を映す中、レザックが隣に立つアーニャの手をぎゅっと握った。

 絶対に離さないとでも言うかのように。

 そんな2人に怜人は何も言ってやることが出来なかった。

 今まで自分たちを見守ってくれていると思っていた大人たちを失い、生まれた時から住んでいた家すらも失って、本当に帰る場所を失ってしまったのだ。

 今のレザックたちにとって、お互い以外に帰る場所はもうない。

 せめてそんなことを思い起こさせるこの場所から早く立ち去ろう。そう思って声をかけようとした怜人の視線が、しかし村よりもずっと向こうの地平を掠めて固まった。


「おい、なんだあれは……」


 真っ暗な地平。

 そこに無数の赤い光点が埋め尽くしている。

 《マナ感知》ですら微かにしか感じ取れないほどの遠い距離にあるそれらは全てが生物の持つ魔力の反応だ。


「魔獣……」


 ミリアもそれを見つけたようだ。険しい顔で呟く。

 原生大森林から溢れ出した無数の魔獣の群れは、まるで津波の様に広がっていく。その津波が向かう先を見てレザックが「あっ」と声を上げた。


「村が、飲み込まれる……」


 ゆっくりとした速度だったが、魔獣の津波は確実に村へと迫っていた。

 一歩、元来た道へと足を踏み出すレザック。

 その肩を、ミリアの手が優しく包んだ。

「行く必要はない。彼らはあなたちを、捨てた。もうあなたが彼らに責任を感じる必要はない」

「で、でも……!」

「そ、そうですのよ! 確かに彼らはレザックたちにひどいことをしましたが、それでも見殺しにする必要はありませんでしょう!?」


 言いよどむレザックに代わり、焦った声を上げたのはエレイーナだった。

 対するミリアの目は冷たいままだ。


「どうした、エレイーナ。そんなに焦って。あいつらのレザックたちへの仕打ちはお前も見ただろう。あんな連中、助ける意味なんてあると思うか?」


 その言葉にエレイーナはびくりと肩を震わせる。

 また首輪が反応するかと思ったのだろう。

 だが怜人が首輪が発動しないように気を付けて話したおかげで特に反応は出ていない。そのことにほっとしながらエレイーナの、毅然とした視線が向く。


「確かに彼らはレザックたちにひどいことをしましたの。ですけど彼らはこの国の民で、国王陛下の財産ですの。わたくしには貴族として陛下の財産を守る義務がありますのよ」

「それはあなたの義務。ボク達には関係のないこと。巻き込まないでほしい」

「あなたには人を思いやる心はありませんの!?」

「そういうあなたもただの義務感。人を助けたいわけではない」


 角を突き合わせる2人。

 二人の視線がぶつかり合い、すぐ傍に立っていたレザックがオロオロと困っていた。


「レイト! あなたはどうするべきだと思いますの!?」


 埒が明かないと思ったか、エレイーナが怜人へ水を向けて来る。


「俺は……」


 二人の視線を受けて、怜人は慎重に考えた。

 命は喪われればそれで終わりだ。取り返しはつかない。

 以前の異世界で怜人はそのことを嫌と言うほど知っていた。

 そして選択によっては村人たち数十人だけではない、ここにいるミリアたちの命も危険にさらすことになるのだ。

 そして怜人にとって、ここにいる人以上の価値は村人たちに感じないのだった。

 だから今すぐに国境へ向かおう、そう口を開きかけた時だった。


「レイト?」

「……誰か来る。それも複数」


 その言葉に一同緊張が走る。

 《マナ感知》の圏内に急に現れた気配は10。

 村の方からかなりのスピードで向かってきていた。魔獣の類なら納得できるスピードだが、村を無視しているのが気にかかる。人間だとしたら足が速すぎる。馬にでも乗っていなければ出ないスピードだ。

 そして怜人はおそらく後者だろうとあたりを付けた。


「話してる時間は無くなった。国境へ走るぞ」

「ちょ、村はどうしますのよ!」

「諦めろ!」


 そう叫ぶとエレイーナがわずかに身を強張らせた。

 悪いと思ったが隷属の首輪が発動するように発言した。首輪が発動したことを感覚で察してエレイーナは2、3回だけ口をパクパクさせると口を引き結んで踵を返した。


「……ほら、何をしていますの。急ぎますわよ」


 背後を振り切るかのようにエレイーナはレザックとアーニャの背を押して歩き出した。

 何が起こっているのかよくわかっていない2人に、さらにユーノも一緒について歩いていく。アーニャも隣にユーノが付くことで少し安心したようで、歩く速度が上がった。


「レイト、どういうこと?」


 ミリアの声は危機感に引き締まっていた。


「こっちに向かってきている連中、結構なスピードで近づいてきてるだけじゃねえ。一定の隊列を維持してこっちに向かってきてるみたいだ」

「! それじゃ……」

「ああ、多分訓練された軍人とかそういう連中――間違いなく追っ手だろうな」


   ◇


 時間はほんの少しだけ遡る。

 怜人たちが立ち去った後、ミリアの威圧からようやく解放された村人たちは呆然と燃え盛る家を眺めていた。

 さほどの時間をかけずにこの小さな家は燃え落ちるだろう。後にはきっと燃えカス以外何も残るまい。ここに誰かが住んでいたことなどやがて忘れ去られここに誰かがいたことなど誰も思い出さなくなるはずだ。

 だがそれでいい。

 そんな未来を想像して、村長はようやく安堵の吐息をもらした。


「ほう、これはずいぶんと派手な焚火だな」


 いきなり降って来たその声に、村長は飛び上がらんばかりに驚いた。


「だ、誰だ! あんたは!」


 そこにいたのは馬にまたがってこちらを見下ろしているフードを被った紫のローブ姿の男だった。


「ひっ……!」


 チロチロと、背後で徐々に大きくなっていく炎に照らされてフードの中の顔が見えた村長は短い悲鳴を上げてのけぞった。

 そこにあったのは顔を覆う鉄色の仮面。

 隙間から覗く眼光は氷のように冷たい。


「我々は王国魔法師団である。ここにはある人物を追って来たのだ」


 仮面の男、ファームベルグはそう言い放つとあたりを見渡す。

 アルマド・リュートレーネンからの情報では、この村にヤツがいるらしかった。

 だが見える範囲にいるのは疲れた顔をした村人ばかり。


「おお、ついに王国の騎士様がきてくださった! どうかお助け下され、この村は魔獣の脅威にさらされているのです!」


 しかし村長はファームベルグの言葉を何も聞かず、彼の乗る馬にすがって助けを求めた。

 必死な声に、しかしファームベルグは仮面の下で眉一つ動かさなかった。


「そんなことはどうでもいい。この村によそ者は来ていないか。若い男女の4人組だ」

「そ、それでしたらつい先ほど村を追放したところでございます」

「ほう……」


 周囲を見回していたファームベルグの視線がようやく村長に向いて、彼は身を竦ませる。自分が何かとんでもないことを言ったような気がしたからだ。


「追放したとはどういうことか?」

「そ、それはやつらが亜人族の子どもをかくまっていたからでございます」


 口を開けなくなった村長に代わり、隣に寄ってきていたムサダノが叫ぶ。

 動けなくなっていた事実より、脇から騎士にアピールするタイミングを奪われたことに村長はいらだちを覚える。つい一瞬前まで自分が蛇に睨まれたカエルの様になっていた事実を忘れて。


「しかしご安心ください、亜人族の子どももろとも旅の者達は追い出しました! ですからどうか村に迫っている魔獣の脅威からお救い下さい。騎士様たちほどの方々なら魔獣など一ひねりでございましょう!?」


 早口でまくしたてるムサダノがさりげなく村長に肩を当てて、騎士の視界から遠ざけてくる。ムサダノのそんな必死の様子に今さらながら村長は違和感を覚えた。

 ムサダノはかなり臆病なタイプの人間だ。騎士など権力者の前に立って自分の有能さをアピールして悦に浸るようなタイプではない。どちらかと言えばひっそりと端の方にいて、わずかばかりのおこぼれに満足するような人間だ。

 それがどうして今、村長を押しのけた上で額に脂汗を垂らしながら必死で――まるで命乞いの様にくっちゃべっているのか。


「なるほどな。貴様の話はおおよそ理解した。……ところで私は貴様らに言っていないことが3つある」

「な、なんでございましょう」

「一つは我々はお前達が気にしている魔獣だがな、あれはもうすでにこの村へ向かってきている。大型の魔獣も多い、その上津波のような数だ。もはやこの村は終わりであろうな」

「そ、そんな」


 落胆の声は周囲の村人たちの中から上がった。そんな声無視してファームベルグは続ける。


「2つ目は我々はお前達を助けに来たわけではないということだ。我々に貴様らを助ける義理はない。先ほど言ったようにこの村にいた旅人たちに用があって探していたのだ」


 我々、と言う言葉に村長は首を傾げようとして、ファームベルグの背後に同じように紫のローブを身に纏い、馬にまたがった者達がいることにようやく気が付いて飛び上がりそうになった。

 普通馬ならいななきや蹄の音、武装した騎士達なら鎧がこすれ合う音などがするものだ。ましてや10人もの騎士たちがいて、一切気配を感じさせないだなんてこと尋常の技量では不可能だ。

 そのことを理解して村長の脳裏を嫌な予感が満たしていく。


「そ、そんな! 先ほどは王国魔法師団だと……!」

「ああ、あれは本当だが半分だけだ」


 この騎士たちは一体何者なのか。


「そして最後の一つが……我々が『教団』の異端審問官であり、人をなぶって殺すのがとても好きだと言うことだ」

「え?」


 目の前でムサダノの首が宙に舞った。村長の口から間の抜けた声が出たのは一瞬で事切れたムサダノの目と目があったからだ。

 背後ではさらに激しくなった火の勢いでうるさいくらいだと言うのに、場を一瞬の静寂が満たした。

 しかしそれはゴン、と言う音を立ててムサダノの首が地面に落ちて静寂が破られる。

 同時に背中を向けて逃げ出した村人の口からそれぞれに自然と絶叫が溢れ出した。


「さぁ、逃げられるものなら逃げるがいい。逃げる人間を狩ることほど楽しいことはないのだからなぁ!」


 狂気に満ちたファームベルグの声を、村長は地面にへたりこんで聞いていた。

 動けなかった彼は、すぐにファームベルグによって心臓を貫かれることになった。

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