第13話 叫び
レザックがそう告白するのと同時、アーニャが左目を覆っていた包帯を外す。その下から現れたのは、鳶色の右目とは違う金色の瞳だった。
「黙っててゴメン」
レザックはそう言って頭を下げた。
だが、
「そうか」
「……それだけ?」
そっけない怜人の反応に、レザックは拍子抜けしたようだ。
「と言われてもな。俺はこの国の人間じゃないし、ミリアもユーノもその魔人族のいるドラグヘイムから来てるからな」
視線を2人に向けると頷きを返される。
ユーノは少しはにかんだ笑みを浮かべながら「実はさっき見せてもらっちゃったんだ」と言う。その言葉にレザックは驚きに目を見張って、アーニャに視線で問う。アーニャは顔を赤くして「ごめんねお兄ちゃん」と消え入りそうな声で呟いた。
だがレザックは怒ることはなかった。
「アーニャが信頼して話したんだったらいいんだ……でも、エレイーナ姉ちゃんはそうじゃないみたいだけど……」
そう言ってあんぐりと口を開けたまま固まっているエレイーナを指さす。
「まぁこいつはこいつだからな」
「ちょ、こいつ呼ばわりはやめて下さいですの!」
プンプンと怒り出したエレイーナが怜人の指を折り曲げる。
「とはいえ、仕方ありませんわね」
「意外だな。お前は受け入れられないかと思ってた」
「言いましたでしょう。亜人種排斥の流れは民たちの働き口が奪われたのが原因だと。それが解消されている以上別にわたくしから言うことは何もありませんの。ましてやこれから別の国へと向かうと言うのであればなおのことですの」
つまり、見なかったことにするということだ。
「はいはいツンデレ」
「な、何を言っているのか1リンも理解できませんのに馬鹿にされていることだけは理解しましたのよ!」
キィィー! と奇声を上げるエレイーナの事は無視して話を続ける。
「それにしても今までよくバレなかったな」
「ほとんど家から出なかったからね。なんとかやって来れたよ」
「わたし……もっと外で遊びたかった」
しゅん、とうなだれるアーニャの頭をミリアが優しくなでる。
「大丈夫。ドラグヘイムに行ったらいっぱい外で遊べるから」
「ほんと!?」
アーニャが目をキラキラと輝かせるのにミリアが深く頷く。
「お兄ちゃん、わたし、ドラグヘイム、行く!」
「うん、わかったよ」
そんな妹にレザックが笑顔で頷く。
「ほら、持っていきたいものを選んで来なよ。自分で持てる分だけだぞ」
「うんっ!」
大きく頷くとアーニャは奥の部屋へと駆けて行った。
「ユーノ、エレイーナ手伝ってやってくれるか?」
「分かりました」
「仕方ありませんわね」
エレイーナは不承不承と言った様子だったが頷いてユーノに付いていった。
リビングに3人だけが残って、レザックが溜めていた物を吐き出すように大きく息を吐くと椅子に深く座り込む。顔が暗い。
「どうした?」
「いえ、オレは……アーニャに何もしてやれなかったんだなって、思って。あんなに笑ったアーニャの顔、父さんが死んでから初めて見たかもしれない」
顔に浮かんでいるのは後悔か。
「仕方ないさ、今までは村の人たちに隠さなきゃいけなかったんだろ」
知られたらどうなるのかなんて、考えるまでもなかった。
親のいない子ども2人なんて、あっという間に村から追い出されただろう。
いや、もしかしたらもっとひどいことだってあったかもしれない。セヴィアスで見た異端審問官たちへの怖れを思い出してそう思う。
「そんなことより、俺達も明日の準備だ」
荷物をまとめておけ――そう言おうとした矢先に家のドアをコンコン、とノックする音が聞こえて来る。
「こんな時間に誰だろう?」
そう言いながらレザックが腰を上げて入口のドアへと向かう。
気になった怜人とミリアもそれに続くと、ドアの前に立つ初老の男性とレザックが向き合っていた。
「あれ、村長さん?」
ドアを開けたレザックが不思議そうな声を上げる。
そこにいたのはこの村の村長だ。だがなぜかその顔は緊張で強張っていた。
村長の顔を見た瞬間、隣にいたミリアは夕方の件で心変りがあって協力してくれるのかもしれないと期待したようだったが、その表情から違うことはすぐ察せられたようだ。
「レザック、今日はお前に話があって来た」
「どうかしたんですか? 顔色があまりよくないみたいだけど?」
そう尋ね返すのと同時、奥の部屋の扉が開いたのを感じて怜人は振り向く。そこに立っていたのは予想通りアーニャだ。包帯を巻きなおし、左目を隠した状態だったが、未だ顔を輝かせて手には荷物のつまったリュックを抱えている。
「お前がバケモノをかくまっていると聞いた。それは本当か?」
村長の言葉が静かに響いた。
アーニャが笑顔のまま固まる。
レザックと、ミリアは一瞬呼吸が止まった。
怜人だけは反射的に《マナ感知》を使っていた。
「下がれ、レザック! 囲まれてるぞ!」
家の周囲を無数の小さな魔力が取り囲んでいた。恐らく村の人間たちの魔力だろう。
レザックに叫ぶと村長の目が怜人を映して、すぐに後ろにいたアーニャへと移った。
怜人に向いていた時は無関心だった視線が、アーニャを認めた瞬間怒りと憎悪に染まる。
「お前のような化け物がいるから村が不幸になるのだ!」
びくっ、と背後のアーニャが身を竦ませるのが気配で分かった。隣にいたミリアが傍へと駆け寄る。
「この村にバケモノは置いてはおけん。領主様にも顔向けできんからな」
「そ、村長さん、何を言って……こいつは、アーニャはオレの妹ですよ?」
レザックが震える声を出す。今まで見たこともない村長の顔に、レザックはそれ以外に言うことは出来なかった。
「妹だと? バケモノに生まれついた時点でそいつは人間じゃない! レアンとザニーヤには悪いが亜人がいては村に不幸がうつる。処分させてもらう」
「ち、違う! アーニャは人間だ!」
「ならその包帯を取って見せろ! その下にある眼が人間の物ではなかったと言っている村人がいるのだ!」
その言葉に連想させられたのは家に帰って来る直前、すれ違った不審な村人。
「ムサダノさん……」
レザックも思い至ったのだろうあの時すれ違った村人の名前を口にする。レザックは両親の友人だったと言う彼の裏切りに呆然としていた。
「さぁ、そこを通してもらおうか」
村長が無理矢理に通ろうと、呆然としたまま動こうとしないレザックの肩に手をかける。
「……旅の方、何をするのですかな?」
だがその手は怜人によって止められた。
どろりと濁った眼が怜人へと向けられる。
「これは村の問題。旅の方は口を出さないでもらいましょうか?」
「……あんたらにとっては村の問題でも、俺にとっては友人の問題なんでね」
「よそ者風情が! 知った風な口を利くんじゃあない!」
村長が掴まれていない方の手を振り上げる。
「や、やめてくれ村長! レイト兄ちゃんは、友達なんだ!」
「うるさいっ!」
レザックの言葉に我を失ったか、掴まれていた方の腕を村長が振りほどく。その腕が当たりそうになってレザックが後ろへよろける。
すぐ後ろにいたアーニャへとぶつかってしまった。
「お、お前その目は……やはり!」
その拍子に巻いていた包帯が外れてその下の目があらわになってしまう。
包帯の下から現れた、金色の猫のような瞳を直視して村長が狼狽える。
「バケモノを殺せ!」
そう叫ぶと村長は腰から鉈を取り出す。普段は畑仕事で使っているであろうその刃は土と錆が浮いているが、子どもたち2人を怯えさすには十分だ。
「うっせえ、こいつはバケモノじゃねえ」
「ふごっ」
とは言え怜人にとってはただの鉈でしかない。城で戦ったファームベルグの剣などと比べればつまようじ程度の物だ。
何の遠慮もなく村長の腹を入口から押し出すようにして蹴りあげる。村長はボールの様に後ろへと転がって行った。
「大丈夫か!?」
振り返るとアーニャもレザックも固まっている。
今まで浴びせられたことのない悪意に戸惑っているのだろう。
「ごめん、なさい」
しかしやがてアーニャの口からこぼれたのは謝罪だった。
「アーニャ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
目の端から涙があふれる。
「生まれてきてごめんなさい」
「バカ! 何言ってんだよ!」
そんなアーニャの手をレザックが取って叫ぶ。その声に、アーニャが涙を浮かべながら顔を上げた。
「オレはお前が生まれてきてくれてよかったと思ってるぞ! だから謝るな!」
「お兄ちゃん……」
「そう、だよ」
隣にいたミリアがアーニャをふんわりと抱きしめる。
「ボクたちはあなたの事を否定しない。あなたに会えて良かったと思っている。だから、泣かないで欲しい」
「……うん」
コクリ、頷きを返すアーニャ。
もう大丈夫そうだ。
「ちょっと、何がありましたの!?」
奥の部屋からようやく出て来たエレイーナたちがアーニャたちのただならぬ様子を見て硬直する。
「おせーよ、お前ら」
「すみません。変な匂いがすると思ったら家の裏手に火を付けられたみたいで消化していました」
「火だって!?」
その言葉にレザックが驚く。
「一応消しましたが、あの様子だとまたすぐに付けられるかも――」
そう言い終わるよりも先に、村長がいなくなった玄関から何かが飛んでくる。
軽い音を立てて床に転がったそれは火のついたたいまつだった。
床の上で煌々と光をはなつたいまつからじりじりと火が床に燃え移っていく。
「これはもう時間がないな。すぐに出るぞ」
「で、でもまだ何も準備が!」
「悪いが諦めてくれ。何か重要なものがあるなら急いでそれだけ持ってくるんだ。エレイーナ、付いていってやれ」
「分かりましたの」
「ミリア、俺達の荷物を取りに行くぞ。そろったら脱出だ」
「どこから行く?」
慌てて歩き出したレザックの後ろ姿を見ながら怜人は口元を吊り上げる。
「無論、正面からだ」
あんな大人どもに遠慮する必要なんてない。
◇
「くそっ、火だ! 火を放て!」
起き上がった村長はあたりを取り囲んでいた村人たちにそう叫んだ。
彼らは皆手に火のついたたいまつを握っており、バケモノを殺すために集められた者達だ。この家に着いた段階で、裏手の方では既に火をつけていたのだが、家の中にいる連中に逃げられないことを教えてやるため、あえて大声を上げた。
「そ、村長……本当にやるのか?」
「くどいぞムサダノ。奴がバケモノなのはワシがこの目で確認した。村を守るため、バケモノは殺さねばならん!」
「わ、わかりました……」
不承不承と言った体でムサダノが頷くが、そもそも密告をしてきたのはこのムサダノだ。だと言うのに今更怖気づいているのは彼が生来の臆病者だからだろう。
彼が村長に密告してきたのもまた、臆病ゆえの事だったのだから。
家に向かってたいまつが投げ入れられる。
いくつかは壁に当たって地面に落ち、枯れ草に火が付き始めていた。
「よし、あとはあのバケモノを始末すれば異端審問官様にも申し訳が立つ。何も心配はいらないだろう……」
10年前、この国に変革の嵐が起こった時のことだ。
村長が知る限りこの周辺には3つの亜人と共存する村と、4つの人族だけが暮らす村があった。王国から亜人排斥の知らせが布告され、2つの亜人族の村はすぐにドラグヘイムへと移住した。
残りの一つは二つの村から移住しなかった者も合流してしばらく残っていた。
その期間は7日。
8日目の朝にその村はなくなっていた。村を住人ごと焼かれたのだ。
そしてその翌日に4つの人族だけが暮らす村の一つが焼き払われた。亜人を一人、かくまっていたらしい。
村長が知ったのは数カ月がたってからの事だったが、その時に村長は自分の村に亜人がいなかったことに本当に安堵したものだった。
そうしてこの周辺の村からは亜人が綺麗に消え去った、はずだった。
5年後のことである。
残っていた3つの村の内の一つが焼き払われた。
どうやら村で亜人の特徴をもつ子どもが生まれたらしかった。
村はそれをかくまったのだ。
内々に王国から村長へと渡って来た書状にそれが記されていた。
それを知った時村長は恐れおののいた。
村を存続させるためには子どもは生まれなくてはならない。だがほんの数年前まで亜人族と密接に関わっていたため、誰の血に亜人の血が混じっているかはわからない。ある日生まれた子どもに亜人族の特徴があってもおかしくないのだ。
もし見過ごせばかくまったものとして村ごと処分されかねない。
だがもし村人全員が知れば、村はなくなってしまうだろう。事実他2つの村はそれぞれの村長が姿をくらまし、自然と村がさびれて数年もたたずに消滅した。
だが彼はこの村を捨てることは出来なかった。
この村を出て生きて行けるような伝手を持っていなかったのだ。
だから信用のおける村人数人を使って、村を監視した。もし、亜人族の特徴を持つ子どもが生まれてしまった時のために。
そして5年。
生まれてすぐに処分した子どもの数は10人を越していた。
だが唯一手下を回すことが出来なかったレアンとザニーヤの間に生まれた娘の時に、よりによって亜人族の特徴をもつ子どもが生まれるとは思ってもみなかった。
産婆は目を患っているとしか言わず、レアンも娘を外に出さなかった。怪しいとは思ったがレアンは村唯一の狩人の家系で、この村では村長職に並ぶ権力を持っていた。彼から不興を買えば、それ以降肉を口にすることはほとんど不可能になるからだ。
だから村長もこれまでは手を出すことは出来なかった。
だが今回の件ではっきりした。
バケモノは処分しなければならない。
「焼け! 跡形もなくなるまで焼き尽くすのだ!」
「うるせぇよ」
だが村長の叫びは家の中から飛来した無数の光線で遮られた。
新しく火をつけたたいまつを投げつける寸前で直撃を受けた村人たちがひっくり返る。村長はとっさにしゃがんで光線を避けていたが、顔を上げると玄関から出て来た怜人たちと視線が合った。
「悪いけど、そこを通してもらうぞ。怪我をしたくなかったらさっさとどけ」
「くそっ、よそ者風情が! 村の事に関わるな!」
村長が唾を飛ばしながら声を張り上げると、怜人はため息をつく。
「さっきも言っただろ。俺は友達がひどい目に遭いそうだから助けているだけだ。村の事なんてどうでもいい」
「ふざけるなよ! そうか、アーニャ! お前だな!? 自分を守るためにお前がこいつらを呼び込んだのだな! おおかた原生大森林から溢れ出すようになった魔獣どももお前の仕業だろう!」
もはや言いがかりにすらなっていない、錯乱したような言葉だったが周囲を取り囲むまだ無事な村人たちがざわめく。
自分たちが直面している問題が、目の前にいる少女――それも生まれた時から世話してやって来た子どもに原因があると村長から知らされたのだ。その言葉は衝撃と共に広がった。
周囲の村人たちが、より本気でアーニャを捕らえようという緊張感に包まれたのを感じて村長は内心ほくそ笑んだ。これなら何とかなるかもしれないと思ったからだ。
いくら力のある旅人だろうと、この人数でかかれば取り押さえることは容易に思われた。
男の方はさっきの攻撃から魔法使いだろうとは思われたが、あたりを見れば誰も大怪我を負っている様子はない。残りは女子供だ。成人男性がこれだけいれば勝てない道理はない。
そう、考えていた。
「クズ共め」
その言葉が、ミリアの口から発せられるまでは。
「っ――!? ごっ、これ、はっ!?」
パクパクと口を開きながら村長たちは地面に膝をついてあえいだ。
いきなり空気がねっとりとした粘液のように感じ出したのだ。酸素を求めるが、胸にも肩にも何かが乗っているかのような重さを感じてうまく動かせない。
「自分たちの守るべき子どもに、そんな言い方など……お前達は守る価値などない」
まるで死刑宣告の様に村長には感じられた。
冷たい眼光が村長の心臓を握り込んだ気がした。
「そのくらいにしておけ、ミリア」
ぽん、と何気ないふうに怜人がミリアの肩を叩く。
「こいつらにはお前が手を汚すほどの価値はねえよ」
「……分かった。行こう」
冷たい眼光はそのままに、発していた殺気を収めてミリアは頷いた。
それでようやく村人たちは空気を胸いっぱいに吸い込むことが出来るようになった。村長が見渡せば、何人かは意識を失っているようだった。どうにか上げた視線の先で、冷たいままのミリアの視線とぶつかって再び息が止まる。
「レザック、アーニャ。あんまり離れないで付いてこい」
「わかった」
地面に倒れ伏す村人の間を怜人たちは歩いていく。
辛うじて立ち上がることが出来た村人たちも、誰一人として怜人たちのことを止める者はいない。もし声をかけようものなら自分も村長と同じようになることが分かり切っていたからかもしれない。
怜人たちは周囲を警戒しながら、村を脱出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます