第12話 この手は弱く、出来ることは少ない


 ミリアが帰って来たのはちょうど夕食が出来た頃だった。

 夕食はレザックの宣言通り、兎の肉と裏手にある畑で採れた野菜のスープそしてパンだった。野菜はユーノとアーニャが二人で採ってきてくれたらしい。

 質素な夕食だが兎の肉が入っている分豪華だと言えた。

 この村の猟師は今はレザック一人だけであるし、村には商店の一つもない。ほとんど自給自足と物々交換で成り立っている経済だ。行商人がやってくることはあるが、それも月に一回のペースでしかない。

 そのため村で肉は貴重品だ。


「う~、もっとお肉が食べたいですのよ……」


 決してこのようにわがままを言うべきではない。


「ごめんなエレイーナ姉ちゃん、もうちょっと大きいのが捕まえられたら良かったんだけど……」

「うっ!?」


 申し訳なさそうな顔をする少年の姿をみてさすがにまずいと思ったのだろう。エレイーナが視線で助けを求めて来る。


「エレイーナ、子どもをいじめてはダメ」

「う、うるさいですのよッ!?」


 ミリアのとどめにエレイーナが食って掛かる。

 一人後から遅れて帰って来たミリアの表情はやけに暗かったが、その理由を怜人とエレイーナはすぐに察した。レザックたちは少し心配していたようだったが、今のやりとりで普段通りになったのを見て少し安心しただろう。

 質素ではあるが、皆が腹を満たしたことで少し落ち着いた雰囲気が辺りに漂う。

 このタイミングでいいだろう。

 怜人はそう確信して口を開いた。


「皆、話がある――この村を出よう」


 怜人の言葉に、弛緩していた空気が一気に硬直する。

 全員の目が怜人に集中して、ミリアが口を開こうとするよりも先に怜人は続きを口にした。


「もう時間はないだろ。原生大森林から溢れて来る魔獣は数が増えてる。なんで魔獣が溢れてるのかはさっぱりだが、このままいけば遠からず俺達が対処できる数を越えちまう」


 魔獣の一匹一匹は大した強さはない。

 だから怜人たちは相手にしてくることが出来た。

 だが、数が増えればその限りではない。


「ここらが潮時ってやつだ。だから――レザック、アーニャ。お前達も一緒に来ないか?」

「え? オレ達もか?」


 驚いた顔で自分を指すレザック。自分たちがこの村を離れることなんて全く考えてもいなかっただろう。

 それは当然のことだ。この世界の村の住民たちは大抵その村で生まれ、その村で育ちその村で死ぬ。都市部へ出るものなどごくわずかしかいない。ましてや見知らぬ土地へ行くことなどほぼない。


「ちょ、ちょっと待って下さいまし。それはドラグヘイムへ亡命すると言うことですの?」


 怜人たちの行先へ一緒に向かうと言うことは、政治的に見れば亡命に近い。貴族的に琴線に引っかかったのだろう、押し黙っていたミリアよりも先にエレイーナが慌てた口調でまくしたてた。


「そこまで大げさな話じゃない。もし行ける伝手があるならセヴィアスだって王都だって構わないさ。でもそんな伝手、こいつらにはないだろうし」


 そう言って二人を見ればそろって首を横に振る。

 両親を亡くした子ども2人にそんな伝手など存在するはずがない。


「だから連れて行く。さっきは行かないか、なんて言ったけどな。俺はもうお前らを連れて行くつもりだ」


 あえて強引に伝える。エレイーナの反応から、選ばせるとごねるような気がしたからだ。

 2人はそんな怜人の様子に黙ったまま目を大きく開いている。


「別に、ドラグヘイムに入国するにあたって特別な審査みたいなのはないんだろ?」

「はい。ここから一番近い国境ここから東に少し行ったところにあります。関所とは言っても怪しい人間を確認することよりも、原生大森林から迷い込んできた魔獣を駆除するのが主な仕事ですが」


 それも当然だろう。

 人間至上主義の国家からわざわざ亜人種の住む国に行きたいと考える人間など、いればとうにこの国を見捨てて出て行っているだろうから。

 怜人は説明してくれたユーノに頷いて、再びレザックとアーニャに向き直る。


「向こうでの生活は俺が何とかする。あんまり贅沢はさせられないだろうけど、それでもいつ魔獣が襲い掛かってきてもおかしくない場所で、子ども2人で生活しているよりは安心できると思う。だから、来てほしい」


 出来るだけ、誠実にありのままを伝える。

 怜人の言葉に、レザックとアーニャはお互いに視線を交わしながら何も言えずにいた。

 だから最初に口を開いたのはさっきから口を挟むタイミングを見計らっていただろう彼女だった。


「待って欲しい、レイト。レザックたちもそう簡単に自分の生まれた村を捨てるなんて決められないはず。だったら村人たちと一緒になってこの村を守る方が――」

「ミリア、悪いけどそれは無理だ」

「っ――」


 すべて言い終わるよりも前に断言した怜人に、ミリアが息をのむ。わずかな間を置いて、その口から聞こえてきたのは低い、感情を押し殺した声だった。


「どうして――」

「どうしてもこうしてもない。お前は気づかなかったのか? この村の連中は――この村を守る気がない」


 村に来てからずっと考えていたことに怜人はようやく結論を出していた。


「……それはどういうこと」

「作物を育てるのが農民の仕事なら、魔獣を狩るのは騎士の仕事だとでも思ってるんだろ。連中、俺達が魔獣を退治してる向こうでごく普通に畑仕事してるんだぞ?」

「でもそれは、戦い方を知らないだけで……教えてあげればきっと彼らも――」

「それにどういう訳か連中、魔獣を野良犬か野生動物程度にしか考えてないみたいだ」

「た、確かに村に迷い込む魔獣はほとんど弱い魔獣ばかりで……オレもあんな大きい魔獣レイト兄ちゃん達と会った時まで見たことなかったよ」


 レザックが頷きながらそう呟く。初めてレザックと会った時彼を襲っていたのは熊のような魔獣で、腕が全部で6本。その全てに太く鋭いかぎ爪が生えていた。もしあんな存在が頻繁に村までやってきているなら、とても生活など出来るはずもない。

 その時の様子を思い出しながら、エレイーナも自分の考えを口にする。


「恐らくですが、普段は原生大森林から大型の魔獣は出て来ることはなく、漏れ出たものは領軍の見回りが一匹残らず討ち果たしていたのでしょうね」

「エレイーナ、この国の人間――特にこのあたりの人間は武器を持って戦うことはあるのか?」

「ない、とはっきり言えますわね」


 断言するエレイーナ。


「特にこのルスタ領は魔獣の脅威から民を守るために精強な領軍を持っていますのよ。農民たちが農具を槍に持ち替えることなどないでしょうね」

「けど、その領軍は……」


 ミリアの目が後悔の色を帯びたのを見て怜人は頷く。


「そうだ。俺達が領軍の本拠地であるセヴィアスで騒乱を起こしちまって、向こうは大変なことになってる。とてもこっちにくることは出来ない。それはエレイーナが出してくれた王国からの救援も望み薄で同じだ」


 それを知らない村人たちは畑仕事をやめない。すぐ隣に命の危機が迫っていると、半ば予感しながらも、だ。


「連中は自分で自分たちを助けるつもりがないんだよ。自分たちの仕事をしていれば、誰かが助けてくれると本気で思ってる。だから、俺達がどれだけ声をかけたって立ち上がることは、ない」

「……」


 怜人の言葉にミリアは顔を俯ける。ここ数日の村長たちの反応を思い出しているのだろう。ミリアが彼らを助けたいと思って行動していることは怜人も理解していた。

 だがそれが徒労に終わることも確信していた。

 彼らの目は以前の世界で出会った無気力で、自分たちに力がないことを他人のせいにする人々にそっくりだったからだ。

 だから怜人は早々に彼らに見切りをつけた。


「で、ですけど! それなら村はともかく村人だけでも助けられませんの? 全員で村を脱出するですとか」


 黙り込んだミリアの代わりにそう声を上げたのはエレイーナだった。


「俺もそれは考えた。でもその答えはエレイーナ、お前自身が言った事だ。それこそ『そんなことをすればほとんど亡命』だ。そんなことを村人たちが選択すると思うか? ドラグヘイムじゃなくてもいい。他の村や町に行って彼らは自分で生きる術を見つけられると思うか?」

「それは……」


 エレイーナも想像したのだろう。村を出た彼らがどんな末路を辿るかを。


「自分で自分を助けるつもりがない奴は、どこに行っても誰かを頼って誰かのせいにするだけだ。だから俺は。自分で面倒を見れる――見るつもりのあるこいつら以外を連れて行くつもりはない」


 怜人の宣言に、ミリアもエレイーナも黙ったままだ。

 その様子に、怜人胸の内にわだかまる苦い想いを抑え込んでいた。

 目の前にいる二人はかつての自分だ。

 勇者として、すべての人を救わなければならないと考えていた自分。求められるがままに力を振るって無理して人々の先頭に立って戦い続けた自分だ。

 だから彼女たちの気持ちも痛いほどに分かる。

 けれど、選んだのは当事者たちだ。


「レイト兄ちゃん。オレ、一緒に行くよ」

「!」


 レザックのその言葉にミリアとエレイーナが顔を上げる。

 2人の顔には驚きが浮かんでいた。それもそうだろう、目の前のまだ少年が村の大人たちが決断できなかったことを決断したのだから。


「わたしも、ユーノ君たちと行くよ」

「アーニャちゃん……」


 ユーノの隣に座っていたアーニャはいつの間にかユーノの腕を取ってそう宣言していた。まだ幼いこの少女には全てを理解できていないかもしれないが、それでもその手を放すまいと言う決意を感じた。


「……レザック、本当にいいの?」


 ミリアの声は迷いを含んでいた。

 彼らだけを助けると言うことは、彼ら以外を見捨てると言うことと同義だからだ。


「うん、オレ父ちゃんからアーニャの事頼まれてるから。生きるために何でもやらなきゃいけないんだ」

「……そう」


 ミリアの声は、硬い。

 それでも何とか納得してもらいたい。でなければ先に進めないのだから。


「決まりだな。出発は明日の朝にしよう」

「ちょっと待って下さいまし。村はこのままにしていきますの?」

「一応出る前に警告はしていくさ。現状この村の最大戦力は俺達になってるから、どこか俺達がいればなんとかなるって言う雰囲気を感じてる連中がいたならそれでさすがに逃げるだろ。それでもそのまま残るなら、そいつの選択だ」

「……仕方ありませんわね」


 ようやくエレイーナも納得したようだ。


「それじゃ、明日のために出来る準備はしておけよ」

「あ、レイト兄ちゃん待ってくれ。一つ、言わなきゃいけないことがあるんだ」


 荷物をまとめようと立ち上がった怜人を、レザックが引き止める。


「言わなきゃいけない事?」

「いいよな?」

「……うん」


 レザックの視線がアーニャを向いている。

 アーニャはその問いにぎゅっとユーノの腕を握り締め、間をあけてから頷いた。


「実は、アーニャは亜人種の先祖返りなんだ」


   ◇


 生まれて来た妹を初めて見た時、レザックはその左目を綺麗だと思った。

 宝石のような金色の瞳。猫科を思わせる縦長の瞳孔。

 妹が可愛かった。

 だが自分の周りの空気が固まったことにも気が付いていた。


「……レアン、ザニーヤ。あたしゃ今回の事は見なかったことにするよ。後の事はあんた達で何とかしな」


 産婆役を買ってくれた、老婆はそう言って立ち去った。その声に憐れみが含まれていたことを今のレザックなら理解できる。

 妹は亜人種の先祖返りだった。

 元々この国にも亜人種は存在していた。だが10年前の方針転換で、亜人種としての特徴が体に現れていた人々は国を去った。だがその血が混じっている者もいたのだ。

 王国に残った者達の末路はたいていの場合悲惨なものだった。

 だからアーニャが亜人種の先祖返りだと言うことは隠すことになった。生まれた時からずっとその左目を包帯で隠して。

 とは言えアーニャを生んだ後体調を崩してしまった母はすぐに死んでしまった。ちなみに産婆は言葉通りアーニャが亜人種の先祖返りだと言う事実を墓まで持って行ってくれたようで、父が死ぬまでそれ以外に大きな支障はなかった。

 つい最近になって、大きくなってきたアーニャが寂しげに外を眺めるようになったこと以外は。

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