第11話 プライドの行方
初めて彼らを見た時から、アーニャはその存在が自分の兄や村の人たちとはかけ離れていることに気が付いていた。彼らの纏っている魔力が、アーニャの知っている周囲の人間の誰とも違ったからだ。
「ケホッケホッ」
「ああ、アーニャちゃんダメですよ寝てなくちゃ」
仕事から帰って来る兄たちのためにお茶を用意しておこうと思って台所に来たアーニャだったが、咳き込んでいるところをユーノに見つかって背中をさすられてしまった。
弱い自分の体が本当に憎らしかった。猟師として生計を立てていた父や、そのあとをついで猟師として生きている兄の様に頑強な体とまでは言わないが、せめて他人に迷惑をかけないような体が欲しいと常々思う。
だが今までそれを口にしたことはなかった。
自分を生むと同時に亡くなってしまったと言う母も、2年前までずっと兄妹を守ってくれた父もそんなつもりがなかったことは分かり切っていたことだった。
体が弱く村の同年代の子どもたちと遊ぶこともなかったアーニャには、そんな内心を打ち明けられる人はいなかったのだ。
背中をさすってくれている、少しだけ年上のこの少年が現れるまでは。
「ユーノくん、ありがとう。少し楽になったよ」
「それなら、良かったです」
にっこりと笑うユーノに、アーニャは胸にこみ上げる何かを感じる。それはここ最近ずっと、日を追うごとに強くなっていく感情だった。
「どうしました? もしかして、痛みますか?」
ぼーっとしていたことで何か勘違いさせてしまったらしい、ユーノの手が包帯に覆われた左目に触れる。その指先に魔力が集まっているのが包帯越しの左目にははっきりと見えた。薄い緑色で宝石のような綺麗さだった。
「ねぇ、ユーノ君。わたしの目見てくれる?」
今までこの目は父と兄にしか見せなかった。
だが、彼になら見せてもいいかもしれないと思ったのだ。
◇
レザックの家は村の外れにあった。他の家々からは一軒だけ離れてポツンと建っている。家の裏手には納屋と小さな畑がある。
「ん?」
そんな場所にある家の方から村人が一人、駆けて来る。
「あれ? ムサダノさん、家に何か御用でしたか?」
「っ、レザックか。……いや、大したことじゃない。また今度出直すから気にしないでくれ」
呼び止められた村人は、一瞬ぎくりとした表情をしたがすぐに取り繕うとすれ違って村へと足早に行ってしまう。
「知り合いか?」
その背中に何か不審な物を感じて怜人は尋ねる。
「ムサダノさん。父さんとは友達だったらしくて、時々様子を見に来てくれるんだけど……何の用だったんだろ」
「ふーん」
気になったがもうすでにムサダノの姿は見えなくなっていた。もしかしたらよそ者である怜人たちを監視に来たのかもしれない。レザックには何も言わずに怜人はそう自分を納得させた。
「遅いですのよ」
何故か家の前では先に向かっていたはずのエレイーナが腕を組んで待っていた。不機嫌な声に怜人が眉をしかめる。
「何で家の中で待ってなかったんだ?」
「わたくしが一人で帰って来たら、一人だけ逃げ出して来たみたいに見えてしまいますでしょう」
豊かな胸をそらして言い放つエレイーナの姿に怜人はため息をついた。
「だ、大丈夫だよ。アーニャはそんな勘違いしないって」
「お前、年下にこんなフォローさせて恥ずかしくないのかよ」
「う、うるさいですのよ! さっさと入りますの!」
顔を羞恥に染めながら、エレイーナが家へと入って行く。
その様を後ろから眺めながら、目を合わせたレザックに怜人は肩を竦めて見せるのだった。
「あっ、おかえりなさい。お兄ちゃんたち!」
家に入った3人はアーニャの嬉しそうな声に迎えられた。
入ってすぐの部屋はリビング兼台所と言った風情で、真ん中のテーブルでアーニャがお茶を飲んでいた。彼女は立ち上がるととてとてとレザックの元まで歩いて来る。
アーニャはレザックと同じ赤毛の少女だった。ユーノよりもなお幼く年は6歳だという。体が弱く、ほとんど家の中に引きこもっているのだとレザックは言っていた。何よりも左目を覆っている包帯が痛々しい。魔法での治療を申し出たユーノ達にレザックは「治せるものじゃないから」と丁寧に礼をいって固辞した。
「お、どうしたんだアーニャ。今日はなんだか嬉しそうだな」
家に入るなりぎゅっと抱き着いて来たアーニャの様子にレザックも嬉しそうに尋ねる。こんなに楽しそうな妹の姿を見るのが久々だからだろう。
「うん、ユーノ君といっぱいお話ししたの」
「そうか。良かったなアーニャ。ユーノありがとう」
「いえ、僕はそんな……」
礼を言われたユーノは、しかし何故か歯切れが悪い。そのことに疑問を抱くが、椅子にどっかと腰を下ろしたエレイーナが「ご飯はまだですの?」と言い出したために思考を止めることになった。
「今準備するよ」
「あ、それでは僕も手伝います」
「わたしも!」
台所に立ったレザックに続いてユーノとアーニャも手伝いを申し出る。小さな二人の言葉にレザックは嫌な顔をすることもなく「それじゃ、頼むよ」と言って料理を始めた。
「ったく、少しは遠慮ってものを覚えろよお嬢サマ」
「うるさいですのよ」
エレイーナの向かいの席に腰を下ろした怜人が咎めるように言うと、エレイーナはつーんと唇を尖らせて視線をそらした。
「それよりも、ミリアはどうしましたの?」
「……あいつなら村長の所だ」
その言葉にエレイーナは少しだけ怜人を凝視して大きくわざとらしい溜息をついて見せる。
「全く、どうでもいいことで空気を悪くしないで下さいませ」
「……うるせ」
怜人の反応から、ミリアと喧嘩のようになったことを察したのだろう。今度はエレイーナの方が咎める番だった。
「ですけどミリアさんにも困ったものですのね。いつまでもこんなところに居続けるわけにはいきませんのよ?」
この村に着いて現状を確認してから、エレイーナは王宮へと救援要請を出していた。この地の領主であるルスタ領主があの状態である以上、救援は望めない。故に王宮へと送ったのだった。
そしてルスタ領が救援に動けないのは自分達にも責任の一端があると考えたミリアの言葉によって一行はこの地にとどまっている。
不思議だったのはエレイーナがそのことに対しては一言も反論しなかったことだった。
「なぁ、お前どうしてここで戦うことに反対しなかったんだ?」
エレイーナにとって、この村は何の関わりもない小さな村のはずだ。もちろん、隷属の首輪によって怜人の意見に反することができない状況ではあるが、それでも文句の一つも言いそうなものである。
怜人の言葉に一瞬キョトンとした顔を見せるエレイーナだったが、すぐ瞳に強い意志をにじませる。
「あなたには分からないかもしれませんけれど、わたくしは貴族。このセレスティアン王国のリュートレーネン家に生を受けた栄えある貴族ですの!」
そう言いながら傲然と豊かな胸をそらす。
「貴族とは王国を守護する存在ですのよ。ですからわたくしが陛下の財産である国民を守るのは義務。よってわたくしがこの村を守り続けることに関しては何らおかしなところはありませんの」
強い視線が怜人を睨むようにして見つめている。
今の言葉には何一つ偽りはない、彼女の貴族としての本心なのだろう。セヴィアスで領主の横暴に対して反乱を起こした時にも彼女はほとんど反対しなかった。それもまた、一領主の横暴のために国王の財産である国民が傷つけられていたからだろう。
彼女の姿は、怜人の知るどの貴族とも違うものだった。
エレイーナの睨むような視線の意味は、そんな自分の貴族としての信念を軽く見られたがための物だった。
だからだろうか。あれほど王族に感じていた嫌悪感をエレイーナに対してほとんど覚えなくなっていた。その感覚は日を追うごとにより薄まっている。
次第に『王族』としてではなく『エレイーナ』として認め始めている自分がいることを、怜人は認めなくてはならなかった。
言うつもりは全くなかったが。
「そうか。それは悪かったな」
「きゅ、急にしおらしくならないでくださいませ。気持ち悪いですのよ」
「おまえな……」
そんな本気に触れたからこそ怜人は素直に謝ったのだが、エレイーナは気持ち悪そうに言うだけだった。
だがエレイーナも怜人が本当に素直に謝ったのだとすぐにわかったのだろう。こほんと咳ばらいをして空気をかえた。
「とはいえ、これからどうするおつもりですの? 国から騎士団の派遣は可能になったとしてもまだ先ですのよ」
「俺達が力尽きるのが先か、援軍が到着するのが先か……」
「縁起でもないことを言わないでくださいませんこと?」
窓から差し込む西日を眺めながら、怜人は頭をがりがりと掻くがいい案は出てこない。
二人そろって唸り続けるのだった。
◇
「何度も申し上げますが、ワシらに出来ることはありません。どうぞ、お引き取り下さい」
「そんなことはない。あなたたちだって、きっと……」
「いいえ。ワシらが握るのは剣ではなく鍬です。ともかく、無理なのです」
やんわりとした口調にはっきりとした拒絶をにじませながら、初老の村長はミリアの前で丁寧に頭を下げてから扉を閉じた。
「全く、騎士様は何をしていらっしゃるのか。あんな旅人を頼っているなど、領主様に知られたら何と言われることか」
そんなぼやきを壁越しに聞かせられながら。
家から漏れていた明かりがなくなり、ミリアは今さらながら辺りが既に闇に包まれ始めていることに気が付いた。
辺境の中のそのまた辺境であるこの村には街灯どころか家にはガラスの窓すらない。唯一の例外は村長の家だが、その家の窓だって小さい物が少しだけ。微かに家の中の明かりが離れたところで漏れているだけだ。
ミリアは小さくため息をつきながら踵を返した。
うまくいかない。
ここ数日、この村に立ち寄ってからずっと胸の中を塞いでいる思いだった。
村の状況を確認して、魔獣に怯える人々の姿を見てミリアはすぐに戦うことを選んだ。だが魔獣は多すぎた。だからミリアは村人たちに一緒に戦うことを求めたのだ。
しかし村長に可能な限り人を集めてもらって説明しても一緒に立ち上がってくれる大人はいなかった。一人ひとり訪ねて説得しようとしてもダメだった。そして村長もあの態度である。
唯一の例外がこの村に来るきっかけになったレザックだった。
彼だけがミリアたちに対して好意的だ。
それはそもそも彼がこの村唯一の猟師だからかもしれなかったが、それでもよそ者とはほとんど顔すら合わせようとしない村人よりずっと友好的だったと言える。
だからミリアは諦められなかった。
レザックの様に協力してくれるようになる村人がいるかもしれない。
村のために立ち上がろうとしてくれる人が増えるかもしれない。
その思いだけで、ミリアは今日まで村を守って来た。
「セヴィアスでは……うまく行った、のに」
誰もいない、真っ暗な夜道で独り呟く。
今日は新月らしく辺りは真っ暗だ。そんな夜道を当然の如く何の問題もなく見て歩きながらミリアは怜人の事を思い出す。
自分を守ろうとしてくれる人に初めて出会った。
今までミリアの周囲にはミリアが守らなければならない人しかいなかった。
それはユーノも含めて、だ。
セヴィアスではより自分の願いをかなえるために一緒に動いてくれた。だからあれだけ多くの人と共に戦うことが出来た。
「だけど、今のボクは……何も……」
村人たちと一緒に戦うことを提案した時、怜人は頑として手伝おうとしてくれなかった。
その事実が、ただ落胆として胸を塞いだ。
彼はただ一言「無理だ」と言ったのだ。
そして魔獣の駆除には協力してくれるものの、村人の説得には絶対に手伝ってくれない。
「なんだろう……胸が、おかしいよ」
胸を塞ぐ気持ちが、よくわからなくてもやもやとする。
ドラグヘイムにいたころはこんな気持ちになることなんかなかった。
すべてがミリアの力の前に道を作ったのだ。
ミリアはただ求められるがまま力を振るって、助けを求める人達を救えばそれでよかった。
何も考える必要はなかった。
今は、何もわからない。
「どうしたら、いい?」
誰も答えは返してくれない。
ミリアは思考に没頭しながらレザックの家へと向かったが、その途中すれ違った村人の事を気に留めることはなかった。
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