第10話 狂気と矜持が紡ぐもの
「いったい何がどうなっておる!?」
会議室にアレス・ザーツ・セレスティアン13世国王の怒声が響き、文官たちが首を竦めた。
テーブルの上にはルスタ領から送られて来た報告書が何枚も散らばっている。そのどれもがルスタ領領主と、王国魔法師団から放逐されたはずのギンドロに関するものだ。にわかには信じられない内容だったが、送ってきたのはほかでもないこの国の将軍にして王国の剣とも呼び声の高いリュートレーネン家の長女アーデルハイドだ。疑う余地はなかった。
「い、いかがいたしましょう国王陛下……?」
「いかがもクソもあるか! オルバスとギンドロは即刻国家反逆罪で処刑せよ! 余の財産である王国民を他国へ売買するなど余を馬鹿にするにもほどがあるッ」
恐る恐る確認した文官に対して国王は顔を真っ赤にしながら叫び散らした。怒声を浴びせられた文官はびくりと体を震わせ「す、すぐに執行させます!」と言うなり会議室を飛び出していった。その背中に会議室に残された他の文官たちが恨めし気な視線を向けていると、国王がテーブルを激しく叩いたことで視線を集める。その手の中にはくしゃくしゃになった一枚の報告書が握られている。
「……アルマド宰相よ、これは事実だと思うか」
アレス国王の低い声に一人の男が前に出る。
黒服のいかめしい顔つきの男だった。アルマドと呼ばれたその男はアレス国王の手に握りつぶされて見ることはできない紙片に視線だけを落として口を開いた。
「残念ですが、事実と見て間違いないでしょうな。当家で放っている密偵の報告からも同様の報告が来ています。アーデルハイドからの報告とも重複する部分があります」
深くしみわたるような、けれど冷徹な声で答えたアルマド宰相。「残念」などと言いながら頭に血が上っているアレス国王とは真逆の感情を一切感じさせない声だ。国王の懐刀とも呼ばれるセレスティアン王国宰相だった。
「何たることか……国を救うために呼び出した勇者共がまさか全員『魔王』となるとは」
ギリッ、と奥歯を噛みしめる。アレス国王の手の中にある報告書には、この世界に呼び出された『勇者』たちの所業が『魔王』として報告されていた。
そのことにさらなる怒りをにじませた国王の声に文官たちが身を竦ませる中、アルマドは変わらぬ口調で口を開いた。
「今更言っても仕方ありますまい。かくなる上は新たに生まれた魔王共を一人ずつ滅ぼすだけ」
「そんなことが可能なのか?」
聞き返したアレス国王の顔には諦観が浮かんでいる。
元勇者たちはそうさせられるだけのことをこの国でしていた。
ルシアンは城を出た後王国随一の知識の集まる場所、王立魔法学院を襲撃し数日にわたり占拠。貴重な魔法書を何冊も奪った上、何らかの魔法で学院の教授たち数人から物理的に知識を奪ったらしく、教授たちを廃人にしていずこかへと立ち去った。
ギードは南へと立ち去り、その途上で謎の病原菌を振りまいて疫病を蔓延させていた。
エデルリットは国宝の魔法船と数人の騎士たちを洗脳して引き連れ北へと飛び去った。今は神聖法王国にいる。
フラムに至っては追跡していた騎士団を返り討ちにしたうえ、王都内で無差別に私刑を行っているらしい。殺された半分くらいは本当に犯罪者であるため一時的に治安が良くなっているのだが、奴にとっては喧嘩を吹っかけた子どもですら私刑の対象らしく一夜明ける毎に死体が幾つも王都中に転がっているのが続いていた。
そして怜人はルスタ領領都セヴィアスで領民を扇動し領主を打倒してしまった。
「ええもちろん。入るがいい」
アルマドが入口の向こうに声をかけると扉を開けて一人の男が入って来た。
「お前は、ファームベルグ卿、か?」
現れたのは白銀の鎧を身に纏った大柄の騎士――だがその顔が仮面で覆われている。
「卿は召喚の儀の後心を病んでいたはずでは……」
文官の一人が思わずと言った様子で呟く。
「ええ、その通りでした。ですが私はアルマド師団長のお力によりこうして蘇ることが出来たのです」
その声を聞いた文官たちが、仮面の下から覗く狂気を孕んだ笑みに後退る。
「彼は負傷してなお、我が王宮魔法師団の戦力にふさわしい力を有しておりますよ」
宰相でありながら、王宮魔法師団師団長であるアルマドが珍しく言葉に愉悦を浮かべたことで一堂に動揺が走る。
元々親衛隊の騎士長として最強を謳われたファームベルグが魔法の力まで得たと言うのであれば、その力はいかほどの物か。それを想像して全員が震えた。
「そ、そうか。蘇ったのならば心強い。であれば護衛に戻れるのか?」
ファームベルグは召喚の儀の事件後心身の不調を理由に騎士長の位を辞していた。だが国王にとってファームベルグはこの国で最も有用な剣であり盾だ。たとえ狂気に飲まれていようと使えるのならば使うに越したことはない。そう思っての言葉だったが、ファームベルグの視線が向けられた瞬間、一瞬で自分の血が凍りついたかのような錯覚を覚えて息をのんだ。
「陛下、申し訳ありませんが彼の身柄は現在魔法師団で預かっております。治療もまだ完了したわけではありません。ましてや国王親衛隊騎士長にはジグルド卿が就任したばかり。このタイミングでの再度交代は問題になりましょう」
「う、うむ」
自分が殺気にのまれたのだと理解した直後ファームベルグの前に立ったアルマドがそう答えて場を収める。
「それで、まずはどの魔王から討伐に向かうのだ?」
「最初に向かうべきはたった一人でございます、陛下」
アレス国王の問いに、答えたのは宰相ではなく瞳に狂気を浮かべたファームベルグだった。
「幸いにして、場所は分かっておりますからな」
アルマドの言葉にファームベルグはさらにその目をぎらつかせたのだった。
◇
「SYAAAAAAAAA!」
荒涼とした草木一つ生えていない大地に猫を思わせる鳴き声が響いた。
「サーベルキャットだ! そっち行ったぞ、ミリア!」
「了解」
怜人の言葉に頷いて、ミリアが一足飛びに距離を詰める。
その先にいたのは長い剣のような牙を生やした猫だ。だが猫と呼ぶには体格が良すぎる。大きさは大型犬ほどもあり、伸びた牙が口からはみ出していた。縦長の瞳孔をもつ黄色の瞳は獲物として認識したミリアから一切離れない。
「HUSYURRRRRRRRR」
「チッ、こっちも来やがったか」
大地を這って緑色の触手が怜人へ向かってくるのが見える。草木一つない茶色の大地の上で、その姿は容易に見ることが出来るのが幸いだ。
猛スピードで蛇の様に直進してくる緑の触手は、木の蔦のようだった。だが怜人のすぐそばまで迫った蔦は槍の如く空気を裂いて突進してくる。
「このっ!」
放たれた数条の光線が蔦を迎撃して打ち落とす。半ばから焼き切られる形となった蔦は一瞬後退して見せるがすぐに新しい蔦が現れる。
「《目からビィィィィム》!」
放出された極太の光線が、まとめて一気に蔦を焼き切る。だがこんなこと時間稼ぎにもならないだろう。本体はずっと遠く、森の中にいる。
茶色の大地が途中で途切れた先、青々と木々が密集した森が視界の先にある。
原生大森林。
魔獣たちの住処だ。今怜人たちが戦っている魔獣たちは無限とも思える数がそこからやってきていた。
「エレイーナ、あの辺にエルダートレントがいる! やれ!」
「いいんですの!? 何が出るか分かりませんですわよ!」
エレイーナが魔力を集中させながら叫ぶ。言葉ではそう言いながらも発動の準備をしているのは首にはまった隷属の首輪が反応するのを避けるためだろう。
「いいからやれ! この辺に人間は俺達しかいない!」
「分かりましたわよ!」
その言葉と共に魔力が解放され、怜人が指定した森の上空に大きな魔法陣が浮かび上がった。
「『開け、断界の門』……行きますわよ! 《サモン・ゲート》!」
その言葉と共に上空から落ち潰すかのような空気の波が打ち下ろされた。魔法陣の真下に広がっていた森が一気に白く染め上げられていく。
「絶対零度の空気か? ハズレだな」
エレイーナは魔法が使えない。この世界には6大属性と呼ばれる6つの属性が存在し、火・水・風・土・光・闇の属性の魔法を使える者達を「魔法使い」と呼ぶ。ユーノがセヴィアスで怪我人に使った《ヒール》は水属性に分類される魔法だ。
だがエレイーナはこの6つの属性のどの魔法もろく使うことができない。だが彼女は代わりにこれらに該当しない召喚の魔法を使うことが出来た。
それが《サモン・ゲート》だ。
この魔法で異世界から怜人たちを召喚したのだ。
だが対象を限定して召喚するには補助となる触媒や、大量の魔力を必要とし一人では行えない儀式魔法だ。それを一人で、しかも対象を限定しないで行うとどうなるかと言えばさっき起きた現象になる。
つまりランダムでどこか別の世界のどこかにゲートを開いてそこにある何かを呼び出すのだ。ちなみに《鑑定》は召喚先にある物を特定するために副次的に身につけたもので、6大属性の魔法ではない。
「うるさいですのよ! 何度も言いますけれどわたくしの召喚魔法は一人では呼ぶものを選べませんの!」
キーキーと喚くエレイーナを無視して魔力探知を行うと、森の中にいたエルダートレントが奥の方へと立ち去っていくのが感じられた。
「今日はここまでだな。ミリア、そっちはどうだ?」
「終わった」
そう言われて今騒ぎ続けるエレイーナと共にミリアの方へ向かって行くと、両手に短剣を握って立つ姿を見つける。
「……ずいぶんやったな」
「うぇ」
顔に感情を映さずこちらを見つめて来るミリアの横顔にはべっとりとサーベルキャットの返り血が張り付いていた。そして足もとには点々と、茶色の地面に無数の死体が転がっている。惨殺の限りを尽くしたようなその姿にエレイーナは騒ぐ余裕をなくしたようだった。
「……仕方ない。一か所に集めて燃やすか」
「またやるんですの? 気持ち悪いから嫌ですのよ」
「馬鹿、このままにしたら変な病気の元になるか腐臭をかぎつけた別の魔獣が寄ってくるぞ」
「うぅぅ~嫌ですのよ、嫌ですのよ~!」
嫌々、と首を振りながらもエレイーナはトボトボと足を動かし始める。
「一体いつまでこんなことするんですのよ!」
エレイーナの文句が荒野に響いた。
◇
「あ、レイト兄ちゃん! どうだった!?」
荒涼とした大地を抜け、しばらく歩くとやせ細った大地を耕しまばらに金色の穂が実った畑に出くわす。声の主はその周囲に粗末な木の柵を立てていた。
赤毛の、まだ若い少年だった。
「レザック……また柵を立ててたのか?」
怜人の言葉にレザックは苦笑を浮かべて頭をかく。
「オレに出来ることなんて、これくらいしかないからさ……本当は兄ちゃんたちみたいに戦えたら良かったんだけど」
「馬鹿言わない。あなたが怪我でもしたら、妹さんはどうする」
「……そうだよな」
明るい顔を一転させ、沈んだ表情を浮かべる。
なんとなく居心地の悪さを感じた怜人はあたりを見渡して、レザックの立てていた柵をじっと見つめる。どの柵も頑丈とは言い難いが、丁寧に仕上げられており作った人間の本気が伝わってくる物だ。
「まぁ、お前のやってることだって無駄じゃないさ。もし魔獣が来た時にはきっと役に立つよ」
「そうかな」
小さな村の、原生大森林側を隔てるようにして建てられた柵。ずらりと並ぶそれは全てレザックが一人で作ったものだ。
「もう兄ちゃんたちが来て数日たったんだな」
「俺達がここに来た時にはまだ柵はほとんどなかったな」
怜人たちがセヴィアスの街を出発して、ドラグヘイムへ向けて旅を始めて数日。あと少しで国境というところで小さな村に立ち寄った。
名前すらもないような小さな村は、東にドラグヘイムが迫り南は原生大森林が広がると言うセレスティアン王国でも端も端に位置する村だ。
そんな村で足を止めてしまったのは、原生大森林から溢れ出す魔獣に困っている人々をミリアが見かねたからだったのだが、それ以降こうして村に留まり続けている。
「あんとき兄ちゃんたちが来てなかったら、オレは今頃魔獣の腹の中だった。ほんと、感謝してるよ」
「感謝は対価で示して欲しいですの。今晩はせめてお肉が食べたいですけれど?」
レザックの家の、上等とはお世辞にも言えない寝床や食事にずっと文句を言い続けているエレイーナが上から目線でそう言うと、レザックは胸を張った。
「それなら安心してくれ。柵の材料を取りに行った時に罠に兎が掛かってたんだ。今日はそれを捌くからな」
「それは魅力的ですわね!」
エレイーナは上機嫌な足取りでさっさと歩いて行ってしまった。
「すまないなレザック。あいつは後でしめておく」
「いいよ。それに俺の本業は柵を立てることじゃなくて猟師だからな」
そう言いながら地面に転がしてあった大きな木槌を肩に背負う。
「さぁ、帰ろうか。妹とユーノも待っているだろう」
レザックと共に入った村の中は閑散としていた。ほとんどが木でできたこぢんまりとした家ばかりで、夕暮れ時とは言え外に人気はほとんどない。
皆魔獣に怯えて最低限村の外に作った畑に行くとき以外はほとんど出歩いていないのだ。
村の中央を抜けたところで怜人の服の裾が引っ張られた。背後を歩いていたのはミリアだ。
「レイト、ボクは村長の所に行ってくる」
「また行くのか」
「今日こそは協力してもらう」
「……無駄だからやめろって言ってるだろ」
少しだけ、力を籠めて握られた袖を引っ張るとミリアの手が離れる。少しだけ悲しそうな顔をするミリアだったが、一瞬でその顔をひっこめた。
「それでも、助ける」
「……そうかよ」
はっきりと不機嫌さを見せてやると、ミリアは一瞬足を止めてすぐに怜人たちとは反対方向へと歩き始めた。ミリアが向かう先には他の家よりも多少だが立派な家がある。
その家が村長宅だ。
「あれ? ミリア姉ちゃんはどうしたんだ?」
「……ちょっと村長の所に報告をしてから行くってよ」
ミリアがいないことに気が付いて訊ねて来るのに怜人はそう返すほかなかった。
「そっか。報告は必要だよな。騎士団の人たちが来た時にどんな魔獣がいるのか報告する必要もあるし、村の皆が戦うときにも情報はあって困らないもんな」
「……そうだな」
レザックの疑いもしていない笑顔に怜人は再び嘘を重ねるしかなかった。
毎日村を守るためにちまちまと柵を立て続け、魔獣に立ち向かうことを夢見ている少年に村人たちが立ち上がる気がないことも、騎士団が来ないことも言うことは出来なかったのだ。
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